2014-11-15 努力と熱中は違うような気がする-努力信仰の怖さ 成功したスポーツ選手然り学者然り、成功した人には「努力」という言葉がつきまといがちだ。その努力こそが成功の要因であるような言い方がされることがある。 でも、泡は疑問に思う。「果たして彼らがしたのは本当に努力だったのだろうか?」 もちろん成功した人は皆人離れた頑張りがあったことは間違いない。その頑張りは他人からは「努力」と捉えられるかもしれない。 でも、彼らにとってそれは「熱中」だったのではないかとよく思う。努力という言葉からは何か、耐え忍ぶといったような印象も同時に受ける。 彼らは本当に好きな分野を見つけ、打ち込むことができた。そして、それに応えるだけの才能もあったのだと。もちろん、うまくいかないこともあっただろうけど。 もちろん、努力は決して悪いことではない。しかし、行き過ぎた努力信仰も怖い。努力信仰、あるいは義務感の