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書評に関するquagmaのブックマーク (19)

  • 海外文学初心者向け岩波文庫まとめ - 書物を積む者はやがて人生を積むだろう

    http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51586752.html このまとめを見ていて、岩波文庫へのイメージが古いまんまな人が多いように感じたので、90年代以降に出た、比較的とっつきやすそうな岩波文庫を羅列してみる。赤帯オンリー。 というかこういうスレが立つこと自体が岩波文庫ファンとしては悲しい。そもそも初心者向けとか言われるリストが70年代くらいから変わってないのが悪い。もっと新しい時代向けの(≠新しい)を見て欲しい。*1 正直このブログを見てる海外文学廃人さんには不要かもしれないと思ったりするけど、書きかけたので書く。 岩波は重版も多いし、この年代のものはそれなりの古屋へ行けば簡単に手に入る場合も多いので、現時点で品切れしてるものも入れておくよ。 聊斎志異〈上〉 (岩波文庫) 作者: 蒲松齢,立間祥介出版社/メーカー: 岩波書店発

    海外文学初心者向け岩波文庫まとめ - 書物を積む者はやがて人生を積むだろう
  • 『朱子伝』 - Arisanのノート

    年末から正月にかけて読んで、あまりの面白さにびっくりした。 朱子伝 (平凡社ライブラリー) 作者: 三浦國雄出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2010/08/10メディア: 単行(ソフトカバー) クリック: 27回この商品を含むブログ (4件) を見る 大思想家とされる朱子だが、このでは、気が短く直情径行で寛容さに欠けていたり、言行不一致であったり、またそうかと思うと心を許した弟子には見っともないほどに愛着や弱音を吐露してしまうなどといった、矛盾と欠点に満ちた「人間朱子」の姿、そうした性格上の欠点をよく自覚していながら、それを十分に克服することも出来ないまま死んでいった一人の男の姿が浮き彫りにされている。 著者の深い敬意と愛情を込めて描き出された、生身の朱子像と呼ぶべきものである。 朱子の性格について、彼をよく知る人は、たとえば次のように諌めていたという。 友人であり、思想上の好き

    『朱子伝』 - Arisanのノート
  • 西山太吉『機密を開示せよ』を読む - kojitakenの日記

    今年最初に読んだは下記。 機密を開示せよ――裁かれる沖縄密約 作者: 西山太吉出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/09/30メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 91回この商品を含むブログ (8件) を見る 購入したのは昨年10月末だが、元旦に一気に読んだ。 著者は1931年生まれの元毎日新聞記者で、1971年、アメリカからの沖縄返還に伴ってアメリカが自発的に支払うことになっていた復旧補償費の「見舞金」400万ドルを、日政府が肩代わりする密約の存在を突き止め、同年6月18日付の毎日新聞にその旨の解説記事を書いた。同年12月には、国会で社会党の横路孝弘衆院議員(現民主党衆院議員)がこの件で政府を追及したが、政府(当時の首相は佐藤栄作)は密約の存在を否定し、沖縄返還協定は成立した。 この件が広く知られるようになったのは、翌1972年3月、横路議員が著者から

    西山太吉『機密を開示せよ』を読む - kojitakenの日記
  • 『プルーストを読む』を読む - Arisanのノート

    プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書) 作者: 鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2002/12/17メディア: 新書購入: 5人 クリック: 23回この商品を含むブログ (24件) を見る このを読んでいて、一番戸惑いを感じたのは、たとえば次のような箇所だ。 これは、この小説の「語り手」による、社交界の生活の辛らつな描写に関する指摘である。 語り手はこういうときに、いちいち上流社交人の教養の無さを指摘するわけではない。むしろ彼らの言動を淡々と伝えるだけだ。そしてこれは作者プルーストの立場でもあるけれども、憧れを持って入りこんで行った環境のなかにあらわれる人々の滑稽な側面を、彼は異常なくらいの熱意をこめて描く。つまり外部から「フォーブール・サン=ジェルマン」を裁断するのではなくて、一種の共犯的な批判者として、華やかな世界の持つ醜さを、愛情をこめて紹介す

    quagma
    quagma 2010/12/20
    たまたま私も同じ本を本棚から引っ張り出して読んでたところだった(ちなみに、出版は8年前)のでびっくりした。
  • 『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート

    差別感情の哲学 作者: 中島義道出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/05/15メディア: 単行 クリック: 77回この商品を含むブログ (21件) を見る 久しぶりに、読んでて卒倒しそうなほど腹が立った。 書いてあることは、普段身近でよく耳にする意見と重なるところがあるので、この機会にちゃんと批判を書いておきたい。 基的なスタンスへの批判 著者の基的なスタンスは、次のようなところに示されている。 私の疑問は、「心」に限定される。制度上の差別は撤廃してしかるべきであろう。差別的発言も(少なくとも)制限されるべきである。しかし、差別撲滅運動が人間の心に潜む悪意まで徹底的に刈り込むことを目標にするのだとしたら、誰もが差別感情を抱かなくなることを到達点とみなすのだとすれば、直感的にそれは違うのではないかと思う。(p9) しかし、現代日社会においていかに差別に対する社会的制裁が厳し

    『差別感情の哲学』を批判する - Arisanのノート
  • 白楽晴氏の分断体制(解体)論 - heuristic ways

    白楽晴(ペク・ナクチョン)氏は、一九八〇年代末以来、分断された朝鮮半島の現実を体系的かつ総合的に認識するために、「分断体制」の概念を提起してきた人である。二〇〇五年以来、「六・一五共同宣言実践」南側委員会の代表を歴任するなど、実践的な活動にも関わってきた。*1 氏の『朝鮮半島統一論――揺らぐ分断体制』(2001年)は以前読んだことがあったが、先日、図書館で『朝鮮半島の平和と統一 ――分断体制の解体期にあたって』(2008年、原著2006年)というを見つけたので、借りてきた。 今年に入って、韓国哨戒艦沈没事件(3月)や延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件(11月)があり、それに対抗して、米韓合同軍事演習が行われるなど、朝鮮半島に軍事的な緊張感が高まっている。われわれには、こういう事件は突発的で不可解な、非道な行為にみえるけれども、国際関係の現実は相互作用的に構成されるものである以上、われわれ

    quagma
    quagma 2010/12/09
    コメント欄も。
  • 読み書きと革命 - heuristic ways

    佐々木中『切りとれ、あの祈る手を――<>と<革命>をめぐる五つの夜話』を読んで、いろいろ考えていたら、だんだん疑問や混乱が膨れ上がってきて、収拾がつかなくなってきた。私はこのを「読んでしまった」がために、どうにも「読めないでいる」という苦境に陥ってしまったようなのである。 佐々木氏はこので、われわれの虚を突くような、驚くべき歴史的展望を提示している。を読むこと、書くこと、それが革命だったのだと。 たとえばルターの革命(ふつうそれは宗教改革と呼ばれているが、大文字のReformation、つまり「大革命」と呼ぶ慣わしもあるという)とは、一言でいえば「聖書を読む運動」だった。《ルターは何をしたか。聖書を読んだ。彼は聖書を読み、聖書を翻訳し、そして数限りないを書いた。かくして革命は起きた。を読むこと、それが革命だったのです。》 「欧米の革命」に限って言えば、「ひとは少なくとも六つの革

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    quagma 2010/12/02
    佐々木中『切りとれ、あの祈る手を――<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』
  • 【レビュー・書評】切りとれ、あの祈る手を―〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 [著]佐々木中 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    切りとれ、あの祈る手を―〈〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 [著]佐々木中[評者]斎藤環(精神科医)[掲載]2010年11月28日著者:佐々木 中  出版社:河出書房新社 価格:¥ 2,100 ■「すべてが情報」疑う 躍動する文体の挑発 著者のデビュー作『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)は、超重量級の思想書であるにも関(かか)わらず、まるで小説のように広く読まれた。かつて浅田彰の、あるいは東浩紀の処女作がそう読まれたように。 コンパクトで語り口調の書は、より多くの読者を獲得するだろう。そしてなにより、この「文体」である。小説すら文体を失いつつある昨今、この著者の確乎(かっこ)たる文体は際立っている。そこには反復と回帰が、躍動する挑発が、厳粛な切断とシリアスな笑いがある。書くこと、そして読むことは、常に身体的な経験なのだと今更ながら思い知らされる。 前作にひきつづき、

    quagma
    quagma 2010/12/02
    いま読んでるけど面白すぎる。著者自身がこの本の中で書いてるけど読みながら著者に対する「あんた何者?」という気持ちを抑え切れなくて笑ってしまう。
  • 古市憲寿『希望難民ご一行様』 - 紙屋研究所

    わー、不快なだなー。胸くそ悪い・オブ・ザ・イヤーに決定。 冒頭に著者が 書は、読む人にとっては不快なである。 と断り書きしている通りだよ。 つれあいが新聞の書評欄か広告で見つけて、買ってきてぼくに読め読めと押しつけたものである。 ぼくはコミュニティや居場所を作り出すことは現代において社会運動の重要な機能であるとこの「紙屋研究所」でくり返しのべてきた。それは左翼運動にかかわる若い人たちとの交流の結果得たものだし、様々な読書体験を通じて得た結論でもあった。 ところが、書では、「ピースボート」の乗船体験やそこでのアンケート・インタビューをもとにして、その結論を否定する。このサイトでいろいろ論じているような、あるいはぼくが読んできたような論者や運動関係者を俎上にあげ、批判し、サブタイトルにあるような「承認の共同体」というものは幻想なのだとして、社会運動への悲観を述べて終わるのだ(必ずしもそ

    古市憲寿『希望難民ご一行様』 - 紙屋研究所
    quagma
    quagma 2010/11/23
    "9条の穴埋めテストとかやって 正解できたのは122人中3人に過ぎなかった とか嬉々として書いて" 著者のこころざしの低さが透けて見えるようなエピソードだな…こんど読んでみよ。
  • 大内伸哉『雇用社会の25の疑問』 - セイキキ

    読了。労働法をめぐるエッセイ集という感じなのだが、「市場の論理」も視野に含めており、労働経済学関連のでも目にしたことがある意見も開陳されている。基的に規制緩和すれば職場はバラ色、のごとく書かれている。たとえば、解雇規制を撤廃すれば若年者の雇用が増えるとか、最低賃金を上げれば企業は雇用を抑制するとか、長時間労働を規制すればサビ残が増えたり、時間あたりの労働強度があがり、かえって労働者の健康を阻害するとかいうものである。ただ、筆者の関心は「労働」「雇用」という局面にあるのであって、社会保障という形での救済まで否定しているわけではない。また、こうした規制緩和は労働組合が使用者に対して来持っていたはずの争議権を取り戻すことを前提として行われるべきだと考えているようである。組合が来持っていたはずの争議権を取り戻すことによって、規制緩和がなされても労働者の待遇を守っていけるし、個々の労働者の自

    quagma
    quagma 2010/11/12
    "基本的に規制緩和すれば職場はバラ色、のごとく書かれている"
  • 笑える池上彰氏の書評 - 百おやじの雑文・駄日記

    以前から探していた「文藝春秋」2010年8月号を近所のBOOK-OFFで発見したので、早速購入して池上彰のも藻谷浩介『デフレの正体』の書評を読んでみました。 予想通り、藻谷トンデモを絶賛しています。引用してみると、 藻谷さんは、労働力人口が減るということは、活発な消費活動をする若い人が激減するのだから、需要不足になり、デフレになるのは当然だ、と指摘します。(中略)目からウロコでした。(P408) 爆笑。池上氏は「なぜ先進国で高齢化が進んでいるのに日だけデフレが続いているのか」考えなかったのでしょうか?藻谷氏は、この反論に対して「生産者人口数と高齢化率は違う」と言っていますが、だったら生産者人口率(数では各国の人口が違うので比較できない)での国際比較の図を作成されて反論された方が藻谷氏のためにもいいと思います。ちなみに菅原晃氏が指摘するように、「55歳~64歳の男性就業率は、これらの国の

  • 渋谷望『ミドルクラスを問いなおす-格差社会の盲点』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    戦後日の労働史から住宅問題、アメリカのノワール映画、シカゴ学派による軍事的暴力等々と、さまざまな道具立てを使った格差社会論ですが、正直な感想としては、いささか平板な左翼史観になっているのではないか、もう少し、「ミドルクラス化した労働者たち」の共同主観に踏みいった分析が必要なのではないか、というものでした。 いや、その萌芽はけっこうあちこちに書かれています。とりわけ、最後のコモンズ論は、うまく使えば前半の議論を立体化する最適の道具立てだったはずです。しかしながら、渋谷氏は、「第6章 コモンズを取り戻せ!-ミドルクラス社会からの離脱」というコンテクストでしかこれを使っていません。大変もったいない! 渋谷氏の「ミドルクラス化した労働者たち」のイメージは、ブルデューだのホガートだのといった舶来社会学に基づき、「出身階級から切り離され「ヤツラ」の側にいった者」であり、連帯を求めず孤立して出世競争に

    渋谷望『ミドルクラスを問いなおす-格差社会の盲点』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 渋谷望『ミドルクラスを問いなおす』 - heuristic ways

    先日書店に行ったとき、新刊コーナーで渋谷望『ミドルクラスを問いなおす――格差社会の盲点』(NHK出版 生活人新書、2010年)というを見かけ、少し考えて購入した。渋谷氏は『魂の労働――ネオリベラリズムの権力論』(2003年)の著者であり、「万国のミドルクラス諸君、団結せよ!?」(『現代思想』2005年1月号「特集=フリーターとは誰か」)という論文の次の指摘には刺激を受けたことがある。《ミドルクラスから排除されると同時にその「生活様式」を憧れる者は、言説化できない自己憎悪とコンプレックスに囚われる。》(2006-02-16「道徳的強制と自己憎悪」)。  渋谷氏はこので、九〇年代以降ネオリベラリズムがなぜ支配的になったのか、なぜそれが「なし崩し的に導入された」のかという問いを、系譜学的に遡って検証する。そして、ミドルクラスとはどういう存在なのか、ミドルクラスがその出自・来歴とともに覆い隠し

  • やっと出た『労働経済白書』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    諸般の事情で発表が遅れていた『労働経済白書』が、日ようやく発表されました。 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000000iqmv.html ここ数年、経済財政白書の発表にぶつけて、「経財白書VS労働白書」で話題をつくるというのが定着しかかっていたのですが、今年はかなりずれてしまいました。 石水さんの白書執筆もこれで5冊目ですが、今回の異動でも動かなかったので、来年は前人未踏の6冊目でしょうか? 今年は、第2章が「産業社会の変化と勤労者生活」、第3章が「雇用・賃金の動向と勤労者生活」。前者が競争力を備えた産業構造と労働生産性向上の関係を分析しているのに対し、後者では非正規雇用の増加と賃金格差の拡大について分析するという構図になっています。 とりわけ第3章における次のような記述は、石水さんの基的な考え方が非常に明確に打ち出されています。(「概要

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  • 八木啓代のひとりごと 続・『特捜神話の終焉』感想

    実は私は、仕事テレビの番組や取材のコーディネーターをやったり、企画に加わったりしたことが何度かあります。 当然だが、まず、こういったことは企画書作りからはじまるわけですが、ある案件について、ぜんぶ事情を知っている人間が企画を立てるということはふつうないのですね。 つまり、たいていはプロデューサーなりディレクターの「こういう内容で、こういう落としどころの番組を作りたい」という展開となるわけ。はじめっから。 (まあ、ぶっちゃけ言うと、もっと単純なバラエティーなど場合でも、日の番組のほとんどはそういう仕組みで成り立っているはずです。) なので、たとえば海外ネタの場合、 「経済難の中で、独裁者の圧政に苦しんできた民衆の姿を背景に、美少女の成長ストーリー」とか 「戦火の中で故郷を離れて、異国で成長したAさんが、10年ぶりの祖国に戻り、親戚と涙の対面ストーリー」 みたいな「企画」が「会議」を通って

    quagma
    quagma 2010/08/01
    TV業界と検察の類似性から日本論(日本的エリート批判?)へ。"現場の人間自体が、なんの疑問もなく「企画書通りに作るのが、俺たちの腕の見せどころ」と本気で思っている"
  • 八木啓代のひとりごと 書籍『特捜神話の終焉』

    新宿のイベントの待ち時間にこのを読んでいたら、スタッフの方に「意外な組み合わせですねえ」と。 まあ、普通に考えれば合わないでしょうな、ラテン歌手と特捜。ましてや、ソプラノ歌手はテロリストの同類という説までありますから(笑)。 で、イベント後、某有名ブロガーの方(これもたぶん、知らない人なら意外な組み合わせだと思われるかも)と打ち上げがてら飲みに行って、そこでも、(私のカバンの中にこのが入っていることは話題にしていなかったにもかかわらず)、このの話題に。 というわけで、かなり注目を浴びているのは確かなようです。 検察出身でありながら、特捜検察の捜査方法に対して厳しい批判を繰り返している郷原信郎氏と、まさにその特捜検察のターゲットとされ、「悪人」として社会的な激しいバッシングを受けたホリエモンこと堀江貴文、細野祐二、「外務省のラスプーチン」佐藤優の三氏との対談である。 というと、ものすご

    quagma
    quagma 2010/08/01
    本論部分ではないが"佐藤優氏、さすがにラスプーチンといわれるだけのことはある。相手を自分の土俵に引きずり込みつつ、持論を展開する話術の巧みさ恐るべし(賛美しているわけでも同意しているわけでもない)"
  • これでもかこれでもか ワーキングプア120連発 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    連合総研より、『ワーキングプアに関する連合・連合総研共同調査研究報告書Ⅰ―ケースレポート編― ~困難な時代を生きる120人の仕事と生活の経歴~』をお送りいただきました。 http://rengo-soken.or.jp/report_db/pub/detail.php?uid=208 ここに文と概要が載っていますので、是非ざっとでも目を通してみてください。ここには、現代日のもう一つの姿が、これでもか、これでもか、とばかりに120ケース連ねられています。 この報告書は、連合と連合総研が共同して行った働く貧困層への聞き取り調査120例のケースレポートです。もう一つ、アンケート調査も加えて分析した報告書は近日公表ということですが、この120ケース、一つ一つの事例が結構重いです。どれが、というのも難しいのですが、そうですね、最近の相撲部屋と暴力団の話題に引っかけてというわけでもないですが、調査

    これでもかこれでもか ワーキングプア120連発 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    quagma
    quagma 2010/07/22
    1500円、安い、と思い、反射的に購入を申し込んでしまった。
  • 西川祐子『日記をつづるということ 国民教育装置とその逸脱』(吉川弘文館、2009年) - mahounofuefukiのメモ

    日記をつづるということ―国民教育装置とその逸脱 (ニューヒストリー近代日) 作者: 西川祐子出版社/メーカー: 吉川弘文館発売日: 2009/05/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (6件) を見る 何らかの歴史事象を分析するための歴史資料として日記は重く用いられるが、書は「日記を書く」あるいは「日記を読む」という行為そのものを分析対象としている。特に市販の日記帳の枠組を通して日記を書くことが国民教化(例えば家計簿と一体化した「主婦日記」が近代的なジェンダーロールの確立を促した)の機能を果たしたことを重視する一方、そうした制約がありながらも日記を書き続けることでそこからの逸脱も生じ得ることを明らかにしている。 書では史料としてよく用いられる政治家・官僚の日記は意識的に分析対象から外し、文学者の日記も「生活」に即した記述があるものに限り、その点で

    西川祐子『日記をつづるということ 国民教育装置とその逸脱』(吉川弘文館、2009年) - mahounofuefukiのメモ
    quagma
    quagma 2010/01/10
    mahounofuefuki氏、一年ぶりの更新。相変わらず鋭い。
  • 田川建三 『批判的主体の形成[増補改訂版]』・その1 - Arisanのノート

    ここ数日、このをぼちぼち読んでいる。 批判的主体の形成[増補改訂版] (洋泉社MC新書) 作者: 田川建三出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2009/11/06メディア: 新書購入: 1人 クリック: 43回この商品を含むブログ (10件) を見る 田川建三って、読んだことなかったけど、こういうことを言ってきた人なのか。 ここに収めてある文章は、もともとは70年代初頭に書かれたものらしいけど、今読んでもたいへん刺激的だったり、示唆に富んでいたりする。 「弱さ」への居直り たとえば、当時すでにメディアにもよく出て広く影響力のあったキリスト教徒の作家遠藤周作の思想に、正面から対決し批判した論考「弱者の論理」。 ともかく、世間一般に広く影響力を持っている思想を正面から批判するというのは、難しいけど大事なことである。 著者は、正しいことが何か分かっていてもそれを実行したり貫き通すことができない

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