ベ平連とその時代 : 身ぶりとしての政治 平井一臣著 有志舎, 2020.7 タイトル読み ベヘイレン ト ソノ ジダイ : ミブリ トシテノ セイジ
ベ平連とその時代 : 身ぶりとしての政治 平井一臣著 有志舎, 2020.7 タイトル読み ベヘイレン ト ソノ ジダイ : ミブリ トシテノ セイジ
ベトナム戦争に抗した人々 油井大三郎著 (世界史リブレット, 125) 山川出版社, 2017.8 タイトル読み ベトナム センソウ ニ コウシタ ヒトビト
こういうブコメがありまして。 1つ、マジで聞いてみたい。Lai Đại Hàn(ライダイハン)についても、同じようにMemory of the Worldに登録すべきだと思っているの? synopsesのコメント2017/10/28 05:33 http://b.hatena.ne.jp/entry/347023622/comment/synopses 「世界の記憶」が適切かどうかはともかく、ライダイハンについても何らかの形で負の記憶として残すべきですね。 「世界の記憶」として残すのならば、ライダイハンに限らずライミーも含める必要がありますし、混血児の問題だけではなく、戦時性暴力の問題として戦地強姦や強制売春の記録を収集すべきですね。ライダイハンだけ残せ、ライミーは不要というなら同意は出来ません。 記録を残すにあたって何を軸とするかも考慮する必要があるでしょうね。 ベトナム戦争での被害とい
Special Issue : Social Movements in the 1960s and their Upsurge in 1968 (1)
ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰霊する像が、ベトナムと韓国に設置される。正式名称「ベトナム・ピエタ」は、2011年、ソウル中心部の駐韓日本大使館の向かいに建つ慰安婦像(「平和の少女像」)をつくった彫刻家のキム・ソギョン(51)、キム・ウンソン(52)夫妻が構想した。「ベトナム・ピエタ」は平和教育と市民募金を経て、2016年中にベトナムで民間人虐殺があった地域と韓国内に設置される予定だ。 ベトナム戦争の歴史的な責任を追求する団体「韓国・ベトナム平和財団建立推進委員会」の関係者は1月15日、「今年、ベトナム中部のいくつかの村で、虐殺50年の慰霊祭が行われている」として「この行事に合わせて、謝罪と慰霊のために『ベトナム・ピエタ』を贈ろうと、各村やベトナム政府と接触している」と明らかにした。
吉沢先生は2001年に亡くなりましたが、その書き残された論考を集め、編集したのが本書です。その文章は今も輝きを失っていないどころか、アジア現代史を民衆の視点から考えるとき、必ず参照されなければならないのではないか、と思っています。 また、私は10年ほど前に、吉沢先生の生前最後の本となった『ベトナム戦争』(吉川弘文館)を編集させていただいたのですが、この本は1968年までの記述で終わっており、続編を準備されている時に先生は急逝されました。「民衆の視点からベトナム戦争の通史を描く」という先生の構想は未完となってしまいましたが、何とかそれにつながる作品を世の中に送り出せたのではないかと勝手に思っています。 それに、論文編成のご相談にのっていただいただけでなく、解説を執筆いただいた古田元夫先生(東京大学)、同じく解説を執筆いただいた、吉沢先生の著作をいくつも編集され、先生を知り尽くしている編集者・
ベトナム戦争に参加した韓国軍兵士に性的暴行を受けたなどと訴えているベトナム人女性やその家族らが15日、訪米中の朴槿恵・韓国大統領らに対し、韓国政府による謝罪と賠償などを求める請願書を提出したと発表した。「私たちのことが忘れられてしまう。正式な謝罪もなく数十年が経った」などと訴えている。 米国の支援団体「ベトナムの声」がワシントンで記者会見し、被害にあった女性4人(60~74歳)と韓国軍兵士と被害女性の間に生まれた男性(45)らがベトナムからのネット中継で謝罪を求めた。また、15日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルに意見広告を掲載。レイプ被害にあったという女性4人が顔写真付きで登場し、朴氏に対し「謝罪すべき時です」と呼びかけている。(ワシントン=小林哲)
ベトナム戦争に反対する団体「ベトナムに平和を!市民連合」、通称べ平連の事務局長を務め、平和運動などに力を注いだ吉川勇一さんが28日未明、慢性心不全のため亡くなりました。84歳でした。 大学中退後、ベトナム戦争が本格化した昭和40年からは作家の小田実さんや、哲学者の鶴見俊輔さんらが立ち上げた市民運動団体、通称べ平連の事務局長を務め、昭和49年の解散までアメリカの反戦運動と連携し、脱走兵の支援をするなどの活動を続けました。 吉川さんは、その後も予備校の講師を務めながら、非暴力と民主的社会の実現を目指すという目的で市民グループ「市民の意見30の会・東京」を結成したほか、近年は反原発運動にも参加していました。 関係者によりますと、先月30日にはベトナム戦争終結から40年を記念した集会に車いすで参加しスピーチをするなど、元気な姿を見せていたということです。 しかし、吉川さんは27日夜、体調が急に悪く
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