日本の現状を映す統計を巡り、内閣府と日銀が綱引きしている。国内総生産(GDP)など基幹統計の信頼性に日銀が不信を募らせ、独自に算出しようと元データの提供を迫っているのだ。内閣府は業務負担などを理由に一部拒否しているが、統計の精度をどう高めるかは、日本経済の行く末にも響きかねない大きな問題をはらんでいる。「基礎データの提供を求めます」。10月11日、政府統計の改善策などを話し合う統計委員会の下部
東博のデュシャン展に行ってきた。デュシャンと言えば20世紀前半に登場した芸術家で,やりたい放題やった人という印象であるが,その大規模な回顧展である。主要な作品は概ね出展されており,実際に彼の画業が一通り追える展示構成になっていて,作品制作よりはチェスに打ち込んでプロプレイヤーになっていた時期(ローズ・セラヴィという別人格を作っていた時期)も含まれている。 1887年生まれのデュシャンであるが,最初はとりあえず伝統絵画の勉強から初めてキュビスムに一旦はまっている。展示されていたキュビスムの作品は名前を伏せられたらまず間違いなくブラックの作品と勘違いするような見事なもので,若かりし頃の彼の勉強の様子がうかがえた。10年ほど年下のマグリットや,さらに10年ほど年下のポロックも全く同じコースをたどっていて,若い頃の作品を見るとそれぞれフォーヴィスムやキュビスムの作品がある。そこから独自の芸術を切り
サントリー美術館の醍醐寺展に行ってきた。醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山として,空海の直系孫弟子にあたる聖宝が開いた。9世紀後半,貞観年間のことである。実は命名に醍醐天皇と関係ない(後に帰依は受けている)。本展は昨年に上海・西安を巡回してきたもので,この後には九州国立博物館に行く大規模な巡回展である。醍醐寺が空になるような所蔵物の全公開状態で中国では延べ80万人が来館する大好評だったそうだ。 密教系であるので所蔵されている仏具は修法や加持祈祷に用いたものが中心になる。制作年代は鎌倉・室町時代が多いが,たまに平安時代の,それも創建からそれほど経っていない時期のものがあり,保存状態も良くて驚く。応仁の乱で伽藍の大部分が焼け落ちたそうだが,よく残っているものだ。展示には多くの仏像も含まれ,全部で15体ほどあっただろうか,それぞれがそこそこ大きく,これで海外まで巡回したというのは神経を使ったことだろう
1979年(昭54)のテレビアニメ「サイボーグ009」の主題歌「誰がために」で知られる、歌手の成田賢さんが13日、肺炎のために亡くなった。73歳だった。公式ツイッターが発表した。 「成田賢は本日、午前7時過ぎに肺炎の為亡くなりました。生前、故人の作品を愛して下さった方々、ライブに脚をお運び頂いた方々に深い感謝の意を故人に代わって申し上げます。尚、葬式一切は身内のみで行う予定ですので、今は故人の残した作品や動画で故人を偲んで頂ければ幸いです。アシスタントより」 成田さんは旧満州の大連市生まれで、1967年にグループ・サウンズ「ザ・ビーバーズ」のボーカル&ハーモニカ担当としてデビューした。「誰がために」のほか、80年にテレビ朝日系特撮「電子戦隊デンジマン」の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」がヒットも、1981年(昭56)に1度、歌手を引退。2007年にアニメジャパンフェスティバルで、26年ぶり
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