タグ

基地問題に関するuhyorinのブックマーク (180)

  • なごなぐ雑記:  「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その3)

    多忙ゆえに、報道等情報を追いかけることもできず、ましてや散らかし放題の手持ち資料をひっくり返し整理することもできない。このまま、ゆとりができるまで、なごなぐ雑記の更新を放置しておこうかとも思ったが、とりあえず状況に対する断片的な私見をメモしておくことで、自らの思考の整理に役立てるため(その3)を書いておく。 3月27日に、沖縄大学土曜教養講座で『沖縄論』に関するシンポジウムがある。縁あって参加するので、現在の私の状況では、そこで発言することの内容に集中できるかどうかが関の山である。そのための思考の断片なら、もしかして、なごなぐ雑記になにか書くことができるかもしれない、期待しないでときどき覘いてください。「okidaidoyoukouza.pdf」をダウンロード 【移設】 辺野古への新基地建設計画が、海兵隊普天間飛行場の単なる「移設」でないことは、現行計画の中身や経緯をみれば誰もがわかる。

    uhyorin
    uhyorin 2010/03/02
    "おそらく近代国民国家を成立させる際に包摂した沖縄は、日本という国家にとっては道具でしかない。"いわゆる「像の鎖」問題からの脱却を図るべき時期を迎えているのではないか?という感じかな。http://bit.ly/9JJnkF
  • なごなぐ雑記: 「沖縄のこころ」―民衆の社会的連帯の再生

    明日(もう今日だ)の沖縄タイムスの読書欄「今週の平積み」に、『沖縄論』の私の書評が掲載されますので、チャンスがあれば読んでください。新聞社の方がつけてくれた見出し(タイトル)は、私が確認したゲラでは「『沖縄のこころ』実現の提言」となっていました。 編著者である宮憲一先生は『沖縄論』のなかで、「沖縄のこころ」を「現実主義的理想」といいます。我々の世代もそうだし、復帰などを知らない若い世代はもっと「沖縄のこころ」といわれてもピンとこないと思います。世代間のギャップもあるけど、時代の推移も大きいものがあります。 新聞に掲載する書評では字数に限りがあり、書けなかったことを、なんとなく整理もしないまま、今日はここに書いておきます。 「沖縄のこころ」など、単なることばです。「こころ」は人の数ほどそれぞれにあり、うつろいやすく、情緒的抽象的なものだといっていいのだと思います。 『沖縄論』には、「沖縄の

    uhyorin
    uhyorin 2010/02/22
    ちょっと新聞読んでくる。/ 社内にタイムス、新報ともにすぐ読める環境にあるのはありがたい。/ 今の沖縄の状況は「異常」であるのは間違いない。が、何処まで歴史を遡ったら「異常ではない時代」に行き着くのか…。
  •  『ある神話の背景』を追及するブログ 国策のまちおこし 嘉手納からの報告

    uhyorin
    uhyorin 2010/02/11
    嘉手納町民的にはどうなんだろうなあ…。/ ニュースで流れる映像は「嘉手納基地からの爆音がものすごくうるさいです」としか流さないのはどうしてなんだろう。
  • なごなぐ雑記: 「ゼロベース」で沖縄からベース(基地)をゼロに(その1)

    なんだか、報道等に散見する政治家や有識者の発言に、とてもいらついてしまう沖縄の私がいる。自分の健康のために、辺野古新基地建設について、せめてこれぐらいは知っておこうというお話を整理しておく。 【沿革】 《海上ヘリポート》 1996年、SACOにより普天間返還の条件として、1300メートルの滑走路を有する撤去可能な代替施設「海上ヘリポート」建設が日米合意された。SACO文書には建設地は明記されなかったが、名護市キャンプシュワブ沿岸域が建設地とされた。(注1) 1997年、名護市民投票。基地建設反対が過半数超。 1998年、大田沖縄県知事が「海上ヘリポート」建設の受け入れ拒否を表明。 《軍民共用空港》 1999年、稲嶺県知事が軍民共用・15年使用期限等の条件を付けて普天間代替施設の受け入れ表明。県知事からの要請を受けて岸名護市長が条件付受入れ表明。日政府は、沖縄側からの条件を受入れるかたち

    uhyorin
    uhyorin 2010/02/05
    10数年経過していることもあってか、いろいろと入り乱れていますね…。
  •  『ある神話の背景』を追及するブログ 嘉手納の実情2

    uhyorin
    uhyorin 2010/02/03
    ここで掲載されている写真を見ると「沖縄には税金が大量投入されています!」ってのが良く分かる。基地利権とも言える。
  •  『ある神話の背景』を追及するブログ 嘉手納(町)の実情

    uhyorin
    uhyorin 2010/02/03
    "米軍基地存在の最も恐ろしい影響は、米兵の犯罪でもなく米軍機の事故でもなく、このような人心の汚染であるという事を私は強調したい。"これは嘉手納町民でないと書けないだろう…。
  • 沖縄現代史(前編) | 信州沖縄塾

    << January 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >> 第二講座 沖縄現代史(前編)新崎盛暉 ◇沖縄現代史の転換点 これから休みを挟んで2時間、沖縄現代史について話します。大学の授業ですと、90分授業で15回分ぐらいある量ですので、できるだけ沖縄現代史というか、戦後60年間のとらえ方を中心にしてお話したいと思います。 私が使う資料は、この「信州沖縄塾」というパンフレット2ページ目、3ページ目のところに「現代日と沖縄」という題で、沖縄現代史略年表(以後「年表」と表記)というのが書いてあります。これは新城さんがお話された、近代・ペリー来航から2001年のブッシュ・小泉政権成立までの年表です。これは、『現代日と沖縄』(山川出版社)とい

    uhyorin
    uhyorin 2010/02/03
    かなりの長文だが、沖縄の戦後・基地問題に関心のある人には是非一読願いたい。歴史教育から「授業する時間がない」とかいう理由でスルーされがちな沖縄の、そして日本の戦後の歴史。
  • 【報告】海兵隊にさよならを

    ネオキの会12月例会記録 「海兵隊にさよならを」 スピーカー:佐藤学・沖縄国際大教授 佐藤学:なぜ海兵隊がいま問題になっているか。 普天間基地は海兵航空隊の基地。 海兵隊というのは航空部隊と陸上部隊と補給部隊から成り立っている。 米軍の中でどういう役割を果たしているか。 最初に海兵隊ができたときは、海軍の船に乗っていって、戦争をする、敵地に最初に攻撃を仕掛ける。 これは1700何十年、海兵隊ができたときから。 基的には最初に突っ込んでいく部隊。 海兵隊になぜ航空部隊があるのか。 海兵隊の売り物は一つの軍隊に陸上と航空部隊の両方があること。 空軍と陸軍、海軍の3軍が相互に連携をとって戦争をするというのは実は大変難しい。 それぞれの開発してきた通信、兵器のシステムが別になっていて、戦争を行うときは軍内部での主導権争いのようなこともある。 海兵隊のウリは、それがない。 航空部隊と陸上部隊が連携

    【報告】海兵隊にさよならを
    uhyorin
    uhyorin 2010/01/29
    長文だが、これは読まれるべき。すでに経済戦争な世の中、軍事面での戦争・抑止力だけでは世の中動いてないですよと。未だに「地政学的事情」で沖縄に基地を押し付けたがる人による冷静な反論に期待したい。
  • とてつもなく日本 : 後から住み着いた人達が声高に「出てけ」ですか 素晴らしいですね。

    国会中継 「参議院予算委員会質疑」★7 http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1264566083/ 866 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 14:41:45.51 ID:hwvJ86tQ 1945年 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c8/45716131148b7f7c9e5d92a505442127.jpg 1970年 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/b8/15d275639aca8eb568851f444186bec0.jpg 2005年 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/f6/d14ecf3b20eb5040b8a0ffdd8d5f8f9b.jpg 最近

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/29
    あえて基地問題扱い。戦後の人口増を無視した空論だろこれ。普天間や嘉手納は沖縄陥落後に整備された基地であり、沖縄が日本復帰を果たした際には撤去されることが前提とあった…この学習認識が間違っている?
  • とてつもなく日本 : 元々、沖縄は別扱いで別予算が付けられてます。この手厚い予算が地域の自立を阻害してきたとも言えるのですね。

    【トラストミーと言っただけ】韓国経済崩壊 【約束はしてない】 http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1264416327/ 585 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/01/25(月) 11:57:13.55 ID:NKFUpV0V0 (PC) 沖縄のおばちゃん「日を守るために沖縄が犠牲になる必要無いから!」 byテロ朝 596 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/01/25(月) 12:02:10.50 ID:9sqteJYt0 (PC) >>585 観光だけで飯っていけるんならそういってもいいのかもしれませんけどね・・・ 618 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/01/25(月) 1

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/27
    "辺野古受け入れの代償900億円""福祉目的の移民""観光客・お客さんではなく「余所者」"議論として興味深いのは確かだが…。
  • なごなぐ雑記: ありがとう

    まだ投票箱は開いてもいないが、マスコミ各社が競って稲嶺ススム当確を打っています。間違いないだろうと信頼し、今日一日の緊張を解きます。 名護市民のみなさん。おめでとうございます。みなさんの一票一票が切り拓いた、新しい「まちづくり」へのスタートです。1977年の市民投票から13年。長くかかったけど、これでやっと主権者の意思決定と、市の意思決定をあわせることができる。ほんとうに名実共にノーサイドです。 比嘉鉄也さん、末松文信さん、島袋吉和さん、ほんとうに長い間の市政の舵取り、おつかれさまでした。大先輩に、若輩者が失礼な物言いばかりですみませんでした。 建男さん、私は鉄也さんが言うように死んでしまった人の考えや心を忖度することはしたくありません。でも、1999年と明らかに政治情勢も変わっています。沖縄に新たな移設先を沖縄が探すときではありません。あなたなら情勢の変化の中できっとそうしたであろうよう

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/25
    お疲れ様でした。十年一昔となるよう、新しい政治・自治が確立しますように。
  • 岩上安身 on Twitter: "速報。名護市長選で、辺野古への移設反対を唱える稲峰氏が、現職で、辺野古への移設を容認していた島袋氏を破り、当選が確実に。これで、移設現地の首長が建設強化を出さないと辺野古移設の工事は進まないので、日米合意案通りの辺野古移設案は、難しくなった。鳩山政権は米側ものめる代替案を示すべき"

    速報。名護市長選で、辺野古への移設反対を唱える稲峰氏が、現職で、辺野古への移設を容認していた島袋氏を破り、当選が確実に。これで、移設現地の首長が建設強化を出さないと辺野古移設の工事は進まないので、日米合意案通りの辺野古移設案は、難しくなった。鳩山政権は米側ものめる代替案を示すべき

    岩上安身 on Twitter: "速報。名護市長選で、辺野古への移設反対を唱える稲峰氏が、現職で、辺野古への移設を容認していた島袋氏を破り、当選が確実に。これで、移設現地の首長が建設強化を出さないと辺野古移設の工事は進まないので、日米合意案通りの辺野古移設案は、難しくなった。鳩山政権は米側ものめる代替案を示すべき"
    uhyorin
    uhyorin 2010/01/24
    QABでビフォアアフター放送中に速報あり。その後のニュースでも報道あり。しかし、開票は21時からですぞ!出口調査等から総合的に判断とか言ってたがそれでいいのか?<琉球朝日放送
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ケンタッキー・フライドチキン1号店への旅 ケンタッキー・フライドチキンがケンタッキー州の創業した当時の場所にまだ1号店を構えている、そんな当たり前なようで驚きの話を聞いたので行ってみる事にした。住んでいるデトロイトから車で6時間半。微妙な距離であるが、今しか行けるチャンスがない、行くしかない…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    uhyorin
    uhyorin 2010/01/14
    明日、もいっかい読み直す。/ 政府としては南西諸島をどうしたいのだろう?未だ方向性が見えてこないのがなんとも。/ 琉球は本土・九州とも異なる海洋国家だったんだよなと改めて思う。
  • とてつもなく日本 : 沖縄から基地を取ったら経済は何が残るんだ?

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/13
    一応ブクマしておくかな…感想としてはなんだかなあって感じなんだけど。/ コメ欄 ID: ihNXTVb10 経由で狼魔人日記 http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925 を参照してみたが、正直この手のネット言論をどう捉えたらいいのかわからない。
  • なごなぐ雑記: 「基地返還計画 軍事から経済発展の拠点に」

    「基地返還計画 軍事から経済発展の拠点に」は、2010年1月11日付けの琉球新報社説のタイトル。私は概ね、この社説の主張を支持するが、少し異論というか別の角度からみえる風景もある。そのことについてメモしておく。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-155447-storytopic-11.html …(略)  「日米安保の危機」を懸念する日政府、嘉手納基地すらも失いかねないとの「脅威」が米政府をも動かし、県計画は「困難」とされた普天間を含む11施設の基地返還を打ち出す「SACO合意」を引き出す成果を挙げた。  政府や土財界、県内の一部には「米軍基地がなければ沖縄経済は破綻(はたん)する」との固定観念がある。  だが、県の調査や実際に返還された基地跡地を見ても、ハンビー飛行場(北谷町)のように返還で雇用効果が23倍、税収が50倍、経済波及効果で81倍、牧

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/13
    沖縄の経済格差を理解できるエントリ。/ エントリとは無関係だが、那覇経済圏にJR並みの鉄道網があったとしたら全く違う街並みになっていたのだろうなあ。車多すぎ、皆が那覇に向かって車を走らせ、戻ってくるし。
  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―3)

    1997年の市民投票以来、新基地建設への反対と条件付賛成派に二分され、選挙のたびに名護市民は戦ってきた。「過去3度の市長選で民意は出た」と島袋ヨシカズ市長はいうが、基地を押し付ける政府ですらが見直しに入っている辺野古移設に固執するヨシカズ市長らの姿勢は基地の「誘致派」としかいえない。 これまでみてきた名護市の歴史を振り返りながら、現在・未来の名護市を展望して稿を終える。 1970年に一町四村が合併してできた名護市は、復帰そして海洋博という世替りと開発の荒波に対して「地域主義」を掲げ、自然保護と生活・生産基盤の確立、住民自治を原則にまちづくりをはじめた。70年代から80年代半ばまでは名護市の「基盤整備期」といえるだろう。その時期に名護市総合計画がもっていた「足元を掘る」精神は、ハードとしては市庁舎に表現され、ソフトとしては字史づくりなどの形で地域から学び地域に深く埋め込まれていった。 19

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/05
    id:nagonagu 更新お疲れ様でした。一人でも多くの名護市民に読んでいただけたら…と願わずにはいられません。
  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―2)

    「逆格差論」から180度転換する比嘉鉄也市政は、1997年に比嘉氏が市民投票の結果とは真逆の表明を行いセルフリコールするまで三期11年間続いた。 この間に、計画された開発事業は第三セクター方式で始まった三共リゾート開発をはじめ、名護湾を活用したウォーターフロント構想など計画策定に大金の税金が注ぎ込まれたが、そのすべてが事業化されず消えた。 唯一、比嘉市政において成立した事業は「名桜大学」の創設であり、継続している事業はずさんな経営体質の問題を抱えたネオパークぐらいであった。 名護市の企画部長であった岸建男氏は名桜大学創設の立役者であり、その功労をもって比嘉鉄也市長が彼を助役にしたのが1994年である。 名桜大学の創設資金は名護市の財政力では到底調達不可能だったが、岸建男氏は1992年に制定されたばかりの「地方拠点都市整備法」を活用し、名護市の財政力以上の有利な借金をすることで資金調達を

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/04
    そういえば名護に金融特区ってあったね…現状はどうやら酷いもののようで。
  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―1)

    1972年、沖縄の施政権は米国から日国へ返還された。沖縄の各自治体は地方自治法の枠内に入り、それぞれ「総合計画」づくりに着手する。1970年に一町四村が合併して市制施行したばかりの名護市も同様である。 1973年6月に市議会の議決を経て確定した「名護市総合計画・基構想」は、「逆格差論」と呼ばれ注目を浴びた。 沖縄振興開発計画で「格差是正」が叫ばれ、沖縄が官民あげて開発へと突き進む中にあって、名護市は土と沖縄(都市と田舎)の「格差は逆である」というテーゼを掲げ、豊かな自然や地場産業を守り発展させていくまちづくりの青図を描いた。現在なら「内発的発展」というもっともらしい名前をいただいている地域づくりの手法・概念・思想だが、1970年代初頭としてはかなり斬新で画期的な「地域主義」の宣言であった。 名護市がそのような総合計画を持つに至った背景は、土復帰に伴う沖縄島北部の開発ラッシュによる

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/04
    「名護市政」を振り返る貴重なエントリ。ネット表現で「どうしてこうなった(AA略」がよくわかるかもしれない。
  • なごなぐ雑記: 政治の貧困

    民主党の小沢幹事長が普天間移設先として下地島空港を提起したらしい(毎日新聞2009年12月30日)。日人の政治は海兵隊を沖縄に隔離しておくことしか考えつかないのか。10年余も「歌舞伎プレイ」を演じ、政権が変わっても質は変わらない。政治貧困は骨の髄まで貧困である。    次に掲げるのは、1998年3月13日に神奈川県内のホテルで行なわれた、普天間移設に関する日米の非公式協議の記録である。(琉球新報2009年11月15日) 日側から守屋武昌防衛審議官、防衛庁防衛政策課部員と外務省北米局審議官らが出席、米側はキャンベル国防次官補代理のほか在日米大使館公使らが参加しているが、外務省審議官および在日公使らは発言なし。 県内移設の理由としてわれわれが言っているのが、沖縄の戦略的位置ということ。地元などには非常に言いにくいのは、沖縄に海兵隊を支えるためのインフラがあることそのものが、在沖海兵隊の

    uhyorin
    uhyorin 2010/01/04
    付け加えるなら「報道の貧困」も。と書いて、THE YELLOW MONKEYの「JAM」の歌詞が頭をよぎった。検索するといろいろ出てきたが、言霊.inより。 http://www.kotodama.in/quote/42924
  • 大使呼び出し 緊急会談は誰の「演出」か - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社説 大使呼び出し 緊急会談は誰の「演出」か2009年12月27日  米軍普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部移設をはじめとする在日米軍再編の日米合意を推進するため、外務省が米国の圧力を実際以上に強調し、世論誘導を図ろうとした疑いが浮上してきた。  外務省側によると、藤崎一郎駐米大使は21日にクリントン米国務長官に呼ばれて国務省で緊急会談、普天間飛行場の移設など現行計画の早期履行を求められたとされる。日のメディアもそのように報じている。 ところが、米国のクローリー国務次官補は22日の記者会見で、国務長官が藤崎駐米大使を呼び出したのではなく「藤崎大使の方から訪れた」と言明した。事実だとすれば、藤崎大使とクリントン国務長官の緊急会談は日側による「演出」だったことになる。 クローリー国務次官補は広報を担当する高官だ。長官が大使を呼んだかどうかも把握せず、いいかげんな回答をしたのだろうか

    uhyorin
    uhyorin 2009/12/30
    情報が交錯してて何が正しいのかさっぱりわからない…。