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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/haruyukisuzuki (34)

  • 一人では結構何でもできるが、死んだ後は一人では如何様にも出来ない - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    お一人様が増えている しかも、お一人様で無くても人との接触の頻度が低下している様な気もする。 人は残念ながら必ず死を迎える。以前ならば家族と同居が当たり前だったので、看取られない事は少なかった。 死を迎える場所も自宅から病院に移ったとしても家族ではない誰かが近くにいる。 では、高齢者の一人暮らしで家族や友人に近所の方との接点が少ない方はどうなるのだろうか? 家の中で体調が悪くなり動けなくなると、かなり危険だ。 実際、家の中で倒れて数日後に臭いや虫で見つかる事は結構ある。 家族がいても別居していて、息子や娘さんが警察に呼ばれて…となる。 個人的な感覚だけれども、警察の霊安室に迎えに行く事は増えていると思う。 死亡診断書ではなく死亡検案書が増えている様に思う。 亡くなって発見されるまでの日数や季節や亡くなった場所の環境によって遺体の状態はかなり異なる。 奇麗な状態の方もいれば、可哀想なぐらい自

    一人では結構何でもできるが、死んだ後は一人では如何様にも出来ない - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG
  • 葬儀屋の将来を冷静に考えてみる - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    東京圏の葬儀価格は更に下落しそうな気がします どれぐらいのスパンかは何ともいえませんがw 従来の葬儀スタイルの小型化の家族葬は、直葬*αになりスタイル自体が変化して低価格化 ってのが私の予想です。 現在も単価は下がっているけれどもビジネスモデルというか売り上げと利益の取り方は、従来通りの葬儀スタイルを基として営業している葬儀社が多いと追われます。 ですから、直葬が増えて(3割という説もあります)売り上げが減っても、まだまだ従来スタイルの小型化の家族葬が多いので何とかなっている様に思います。 (家族葬が安いと言う訳ではありませんが、工夫がないと安くなってしまいますw) これが直葬+αの方が家族葬よりも割合が増えてしまうと、アラ大変! 何か違いのある新しいサービスや内容を提供して売り上げアップ、又は施行件数のアップをしないと危険です。 葬儀は常に過渡期ですが、緩慢とした変化をしていくので、じ

    葬儀屋の将来を冷静に考えてみる - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG
  • 良い物ではなく、そこそこの品質で安い物が欲しい...多分、葬儀も同じ - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    の電気メーカーがテレビで4倍の解像度をほこる新製品を世に出すらしい。 4Kテレビとか言うらしいが... 確かに売れるとは思うが、爆発的には間違いなく売れないと思う。 何せ値段が... 経済的に余裕がある方々は高い性能の商品にお金を出すとは思うが、大部分の方々は「そこまで高性能は求めていない」と思う。 テレビ等は一部を覗いて特殊な物ではなく、一般化していて最低限の性能はかなりの低価格でもクリアーしている。 ブランド力がなければもう高額では売り難いと思う。 と、4Kテレビの記事を読みながら、葬儀もそうなんでは?と思う。 多分、火葬のみはまだまだ増えて行く。 火葬のみと言っても内容は色々とあるので幅が広い。 ま~今までの様な葬儀内容は正直なところ。「もう、そこまでしなくても良いのでは?」なんて感じている様な気がします。 人生の惜別に置いて外せないポイントってのはあると思う。 喪家によって、人

    良い物ではなく、そこそこの品質で安い物が欲しい...多分、葬儀も同じ - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG
  • また、判らなくなる - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    また、葬儀とは何なのだろうか?と言う最も基的な事が判らなくなるw 葬儀の意義が見いだせない~ 理屈的には、葬儀には意義がありやった方が良いとは思うが... 何だろうな~精神的に疲れてしまうと、なんか、もういいや~見たいになるのだろうか(^_^;) 最近は、良く今までは人様の葬儀を手伝ってきたな~と思う様になった。 どこにそんな自信があったのだろうか? 今、思うと全く根拠が見当たらないw そう、葬儀屋は大切な家族を無くされた遺族のお手伝いをする。 そう、他人様のお手伝いだ! 人生に置ける一大事、最も大切な惜別の時をだ... 俺でいいのか? そうも儲からないとならない俺でw 何て事を考えている。 以前はそんなに大それた事をしている様には思えなかった。 段々と年齢を重ねて死が現実を帯びて来たから思う様になったのか? と思いつつ同時に、そんなにメンドクサイ事を考えずに仕事としてやりなよ~と言って

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  • 喪家と葬儀屋の溝を埋めるアプリケーションの様な何か! - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    最近というか、結構前から葬儀社の人件費がもの凄く経営の重荷になっている。 重荷と言っても人がいないと全く成り立たないの葬祭業なので、アルバイトを入れて次から次へとはナカナカいかない。 ある程度の技量がないと駄目だし、人間性という面でも基礎的な資質が求められる。 しかし、その人件費はナカナカ社会には認めてもらえていない。 超零細葬儀屋と巨大な葬儀社とで、行う内容が同じ場合には巨大葬儀社の方が料金が高い傾向にある。 以前なら高過ぎだろう~と思っていたが、家族ではない他人が休みも取って年金や保険もしっかりとすると、その様な金額になってしまう。 安く出来るのは、ほぼ家族経営でしわ寄せをかわしている様に思えているだけの状態。 こんな状況で更に価格は下がる... デフレで景気も悪いので致し方が無い。 こんな暗い事ばかり考えていても致し方ないので、出来るだけ人件費がかからない方向へシフトせねばと必死なバ

    喪家と葬儀屋の溝を埋めるアプリケーションの様な何か! - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG
  • 相互不信 - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    最近は多い様に思う出来事です。 家族の誰かが亡くなり葬儀の事などを話合う時になって色々と問題が出てきます。 例えば、葬儀についての常識などは世代が変わるとガラリと変化します。 親戚等で以前からのスタイルである通夜、葬儀を行うのが葬儀との認識がある方々と、そんなの全く意味を見いだせない喪主の場合... 故人Aさん、故Aさんで喪主の息子Bさん、故Aさんの兄弟Cさん。 この方々が上記の様な事だと一悶着あります(^_^;) そして、菩提寺などがあると、また大変かもしれません。 お寺的には、通夜・葬儀と行った方が良いというでしょう。Cさんも同様です。 でも息子で喪主のBさんには、そんな価値観が全くないと... これは絶対に事前に話をしていないと危険です。 もう宗教戦争の様な感じになります。 親戚側は喪主が故人を蔑ろにしている訳ではなく、異なる考え方がある事を受容しないとなりません。 また喪主側も代々

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  • 葬儀のトラブルは世代が変わるので繰り返される - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    葬儀について色々とトラブルがある。 しかし、今はネットがあるので事前に色々な情報が取れるにも関わらずトラブルは繰り返される。 ま~葬儀は人生の内で何回も経験する事ではないので... というのも確かだけれども、微妙に時代で変化はするか基的な所は葬儀はそんなには変化しない。 しかも、トラブルも変化しない(^_^;) 多分、葬儀を経験して次はと思うが、その次は送った側が送られる側になっているので失敗の経験が継承されない(継承され難い)からなのかなと私は個人的には思う。 葬儀屋的には、最初から葬儀なんて無駄~と思っている様な方は、結構な確率で後悔する様に感じる。 葬儀の内容については色々な方の考え方があって良いと思うが、葬儀不要と思っていても家族や大切な方の死の現実に対峙した経験を持てば葬儀は簡単にいらないや不要と言えないと思う。 葬儀は大切な方との別れの時間や空間と思ってもらいたい。 葬儀自体

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  • 葬儀屋はクッション - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    都内は民間火葬場がありますが、その他は殆ど公営の火葬場。 良い悪いの選択肢がありません。 しかし、公営の商売ではない感覚と慇懃無礼で杓子定規な所にムカつく事は良くあります(^_^;) ほっといても仕事が入ってきて、しかも別に儲からなくても給与に影響がないので、そんな感じになるのでしょうね~ 全部が全部そんな感じではありませんが、長く葬儀屋をしていると公営の施設を使用する場合に何が起こるかわからない葬儀で、「オイオイなんだよ~その対応は~」なんていうのが多々あると思います。 その様なオイオイ対応と喪家の間に入ってクッションになるのが葬儀屋だと個人的には思っています。 あと、ごめんなさいね~と謝るのも仕事の一つ。 こんな事は一般の方には理解出来ないと思いますけども... 結構、葬儀屋も頑張っているというのを知ってもらいたいと思っちゃうのです。 なので、公営の火葬があるのだから公営の葬儀社があっ

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  • 私が電話に出ない方が良い理由をグダグダと書いてみるw - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    何かと細かい所にこだわって来たのが私の人生というか趣味というか... 別にそんな事にこだわったって、何がどうなるものでもない事にこだわるのが好きだったりしたw ま~趣味としては細部にこだわって行こうと今後も思うが、生きる事に関しては時間が限られている。 だから、出来る事と出来ない事を明確にして優先順位をつけないとダラダラとして結局なにも出来ないことになりそうだw 必要ではない所はこだわらない事にこだわってみようかと思う(^_^;) 葬儀は仕事で私の人生の大きな所をしめてきた。 しかし、40も過ぎると人生を振り返る様になる。 すると、葬儀が少し違うものに見えてくる。(様な気がするだけかもしれないけれどw) 故人さんに会うと、ただ単なるご「苦労様という気持ち」だけだったのが(今から思うと「だけ」と思える)、この方は人生を全う出来たのだろうか?と、自分自身の行く末と重ねて考えてしまう様になる。

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    yuigon_info
    yuigon_info 2011/12/13
    "一般的な葬儀において大事だと思われているいる事柄が実はどうでも良い事で、葬儀においてどうでも良いというか気にすることもない様なささいな事柄が、実は人生の惜別においては重要だったりする"
  • 皆が幸せになるには表面だけの対症療法方では如何と思う - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    何だろう、経済的に酷しくなった事と価値観の変化で葬儀に関するというか葬儀屋に対する風当たりが以前にも増して酷しい昨今w 坊主丸儲け(これは昔からだけどw) 葬儀屋ボリ過ぎ(これも昔からだけそw) という庶民感情とネットの普及で葬儀の代金は下がる下がる。 しかし、これも消費者から見たら歓迎する事なので、いくら葬儀屋でもあまり文句は言えない。 これが、葬儀以外なら歓迎なのでw しかし、現在の低価格化は葬儀屋の利益を削って下がった様に思う。 もちろんコストダウンの努力もあるとは思うけど。 でも、私には目に見えやすい所を直す対症療法の様にしか見えない。 既存の葬儀のスタイルのまま、高いから安くする。 人件費を削る、料理代を削る、人数を少なくして全体のコストを押さえるなど。 別に、この対症療法の様な事もしつつ、葬儀そのものについて考えて時代にソグワナイ内容は見直したりして、葬儀のスタイルというかやり

    皆が幸せになるには表面だけの対症療法方では如何と思う - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG
  • 大事なものやことってなんだろう? - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    葬儀は大切な別れの場だと思う。 しかし、今はその大事な何かが蔑ろにされて、そんなに大事ではない事ばかりをしている様な気がする。 大事な事に力を注がずに表面的な事にばかり力を注いでいた反動で小さな葬儀になり、そしてしなくても良いと直葬になってきた様な感じを受ける。 表面的な事はとっぱらかってしまって、もっと大事な事に力を注いでも良いのではないかと思う。 でも、その大事な事が非常に大変だから目をつむって過ぎ去って行くのを待っている様にも見える。 個人的に最も大事だと思えるのは、死者を前にしての心の中での自分自身との会話。 それに、現実的にはあり得ないかもしれないけど、故人との会話。 沢山の親族や友人、知人達と悲しみを分かち合うのも必要だけど、心の中の上記のプロセスを行わないと...なんて思う。 だから、葬儀は故人と共にプライベートの時間と空間を保証されたものでなければならないと思う。 現在の葬

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  • 葬儀って故人に対して感謝する為の時間と空間かも - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    今年に入ってから、特に感じるのが葬儀内容を知らない方がレベルアップした様に...(^_^;) 別に知らなくてもいいのかもしれませんが... しかし、通夜のスケジュールとか葬儀のスケジュールとかを説明していくが、そもそも通夜は何の為に行うのかのソモソモ論から始めないと駄目なのかもしれない。 葬儀の段取りとかではなく、なぜ葬儀をするのか? 葬儀の効能とかも説明しないとならない様な気がする。インフォームドコンセントか~ 家族が亡くなる=葬儀をするという短絡的な思考ではなくて、家族が亡くなるという人生に於ける惜別に対して○○の様な意味がある等の事前の説明と了解が必要な気がします。 今までは、何方が亡くなると葬儀屋の遺体のぶんどり合いに始まり... 祭壇を選んで、坊さんを呼んで、お返しものに料理に... もちろん大切な事だとは思うけど、もっと根的な事というか、故人の死の意味や人生の意味、それに自分

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  • 葬儀はやめましょう - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    葬儀はしなくても良いがしたほうが良いと思う。 しかし、葬儀をするよりも生きる事の方が先決。 もう葬儀はやめましょう~ 火葬のみで親族・関係者があつまりお花を棺に納まっている故人に手向けて火葬。 その後、少人数で事に行けばいい。 宗教儀礼はお好みで選択してもらえば良いかなと思う。 所要時間3分ぐらいで、神道風で火葬炉前で御霊を移し自宅のもって帰る。 この内容で十分だと正直に思うんだけど~駄目かな? 葬儀屋なのに、葬儀をやめましょうって言うのも変か事かもしれませんが... しかし、故人を偲ぶ気持ちさえあれば葬儀の内容は人それぞれで良いと思います。 社会的に葬儀をしなければならない様な無言の圧力は、かけるべきではないかと考えています。 経済的に問題がなく、従来通りの葬儀をされたい方はされれば良いと思います。 出来ない方や、やりたくない方に無理強いをするのではなく、それはその道を作っておくのが良

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  • いよいよ、寺も葬儀屋も激減期へ突入 - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    葬儀の依頼の殆どを寺院から紹介してもらっている葬儀屋さんがの社長が、お寺さんももう少しお布施の金額を考えてほしいよな~なんて言っていた。 寺オンリーの葬儀屋が、この様な事を言うのは... 話の続きを聞いていくと、紹介される檀家さんの殆どが出来るだけ質素で低価格にして欲しいと言われるとの事。私のところも同じなので...(^_^;) 折角の縁で葬儀のお手伝いをさせて頂くので、出来るだけ希望に沿った内容をと思い区民葬儀の制度などを使い低価格に抑える様にがんばるらしい。 例えば100万円ぐらいかかるところをがんばって70万ぐらいにしても、お寺のお布施が100万とか150万とかになると、葬儀屋の努力なんて喪家から見れば焼け石に水w 葬儀代を無料にしても希望の予算にならない事が頻発しているらしい。 100万や150万のお布施ってw と思う方もいるけど東京の山の手では結構ある話。 私の知っているお寺さん

    いよいよ、寺も葬儀屋も激減期へ突入 - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG
  • 元々葬儀はめんどう - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    葬儀をめんどうくさいと言ってしまうとは...(^_^;) しかし、葬儀は元々めんどうな様に出来ているというか、出来てきたと私は考えております。 葬儀は、死者を葬るのに穢れの概念等から、それらを封じて生きている者に災いが及ばない様にするという、今では少々残念っぽい事と遺族の悲しみを癒す為とでもいうのか...わざわざ手間と時間をかけて行い故人は大事な方でしたとでも言うのか 。 でも、今は葬儀社がサービスという名目で端からサッサッサ~と代行してくれます。 でもこれって、葬儀社的には料金を頂戴する名目ですが、実はもうめんどうだから慣れている葬儀社がやった方が早いのではないかと思っている節を感じる今日この頃ですw 当は「わざわざめんどうな行為を遺族にして頂くという、めんどうな行為をする事」が現在の葬儀社が提供するべきサービスではないかと思うのです。 提供する相手にもよりますが... 葬儀という一連

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  • エンディングノートをご存知ですか? - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    葬儀は何十年に一度の事、多くの遺族の方々は迷われながら葬儀を行われています。 遺族がそのまよいから対立してしまう事さえあります。 もっともスマートな方法は、先に逝く者が後に残す者達へ思いや考えを残す事ではないかと思います。 今までは縁起でもないと言われていましたが、人生において非常に重大な事。 それを少しでもご理解頂けるきっかけとなれば幸いです。 啓蒙活動の一環として製作してみました。

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  • 家族の暴力...家族葬の欠点 - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    以前、表現文化社の碑文谷編集長が言っていた言葉「家族の暴力」。ふと思い出しました。 最初に聞いたときには、直ぐに理解出来ましたが何故そんな簡単な事が想像出来なかったのかと自分自身が嫌になりました(^_^;) 内容は正確に覚えている訳ではありませんが...下記の通りです。 ある地方都市に住んでいる両親が亡くなり、都会に住んでいた子供達が戻ってきた葬儀を行う場合。 その地方の常識は横に置いておいて、家族のみで家族葬を行う事にして近所の方々には葬儀の参加を遠慮してもらう。 この時、近所で何十年もお付き合いしてきた方々は、最期の対面が出来ません。 故人との関係を今後どの様にすれば良いのか? 彼らは納得が出来きないというか、どの様に対処したらよいのか不安でしょう。 この様な事を、家族の暴力と言い表していました。 家族の気持ちも十分にわかりますが、遺族・親族でないが最期のお別れをされたい方々の気持ちも

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  • 専門性の追求 - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    最近は喪家からお寺さんの紹介依頼を受けます。弊社の場合、これが面白い事にある宗旨宗派が続きます。 例えば曹洞宗が続くと、曹洞宗の紹介依頼が立て続けに...なぜだかはわかりませんが、今は真言宗です。 私共も宗旨宗派によりますが、是非紹介をしたいお寺さんというのが知り合いにいます。 (全ての宗旨宗派で紹介出来るお寺さんがいれば理想ですが...) これは損得勘定ではなく、人間として紹介したいと思うお寺さんです。 私も葬儀屋になって二桁の年数が経ちますが、以前はそんなお寺さんはいませんでした。 最初は坊さん嫌いでしたので(^_^;) 最近はだんだんと考え方も変わり、且つネットワークが広がりました。 (遺族のケアーをしようと気で考えているお寺さんもいると理解出来たからです) そんな理由から、出会う機会が増え同時に考え方が近い方々との接点も増えたのでしょう、○○の様な喪家にはこのお寺さん、△△の様な

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  • ここ最近、仕事が嫌で嫌でしょうがない(^_^;) - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    ここ最近、仕事が嫌で嫌でしょうがない(^_^;) 年齢を重ねれば良い葬儀の手伝いが出来ると思ってきたが、なんだか自分の人生のゴールが見えてきて、それどころではなく自分自身が如何に死ぬかの方が重要になってきた様に思うのです。 なんだか余裕がないのですw 年上の方からは、まだまだ~と言われますが... しかし、ゴール間近(一体何時がゴールなのかわからないのにね~)には、何時でもゴールしてもいい精神状態になっていたいと思うと、今からでも遅い様な気がしてならないのです。 ま~いくら用意しても結局の所、私はジタバタしてゴールになるのでしょうが... こんな事を40代に突入してから急に強く思うようになりました。 で、最近の多くの喪家は死生観がないというか他人事ではないにしても、私には適当や投げやりで葬儀をしている様に見えてしまいます。 以前は、人生で初めての「親の葬儀」なんだし、解らないから私たちに頼

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  • 葬儀屋卒業のつづき - 葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

    「そろそろ葬儀屋を卒業しないといけないかなと思う」と、以前ブログに書きました(^_^;) それの続きというか、仏事という雑誌の記事をみてやはりなと思った事を書いて見ました。 なんだろう、あと10年後にも会社として葬祭業をしているには変化が必要な気がします。 現状を見ると、近い将来には商売としても経営が成り立ちにくくなるのは簡単に想像が出来ます。 (やり方によるけど...) そんな事を思っていたときに、仏事という雑誌があるのですが、丁度、葬儀に福祉と医療を併せて頑張っている会社があると記事にありました。 やはり変化して、生き残る為に突き進んでいる会社はあるものだと思いました。 弊社はというと、私自身が色々と情報収集マニアなので葬祭業の今後はこんな形だろうというのは見える様には思うのです。 しかし、そこに行くには資金が足りない。言い訳だけどね~(^_^;) 葬儀というのは需要はあっても欲しいと

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