前回、「サロン幸福亭」を誕生させた意味、行政の対応、住民の意識と抵抗、「まちづくりセンター」の怠慢などを詳報した。今回は、オープンを認めたURの諸事情、オープンまでの経緯、そしてこれからの問題と方向性などに言及して締めくくりとしたい。サロン幸福亭は高齢者の集える居場所である。母体とも言えるのが、千葉県松戸市常盤平団地内にある「いきいきサロン」である。「サロン幸福亭」はその真似、パクリであると公言する。それほどまでにUR常盤平団地の歩んできた歴史に、私自身大きく影響を受けた。自治会長中沢卓実のカリスマ性がすべてである。幾度となく登場するこの名前を抜きに語れない。再度お許しを乞う。 千葉県松戸市常盤平団地が竣工したのは昭和35年。167棟、総戸数5,359、団地人口2万4,000人。当時、東洋一のマンモス団地として評判をとった。「団地族」という憧れの称号を得るために、20倍を超す倍率に挑戦。決