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-人物と*歴史に関するko_chanのブックマーク (24)

  • 日本陸軍の腐ったリンゴ~エリート参謀、辻政信「悪魔の正体」(魚住 昭) @gendai_biz

    ▼日軍に漂っていた「狂気」の正体 ~悪魔のエリート参謀・辻政信が地獄に引きずり込んだ 誰も辻には逆らえない 半藤一利さんが「絶対悪」と評した元陸軍参謀・辻政信の話をつづけたい。私が会った、ある元参謀はこう語っていた。 「辻さんは強いですよ。徹底的に言うから。ちょっとでも消極的なことを誰か言うと、どやし上げるから辻さんの前ではみんなまともにものを言わない。軍司令官だって師団長だってみんな黙ってます。すると(軍の方針が)辻さんの言う通りにだんだんなっていくんですよ」 その典型例を挙げよう。1939年のノモンハン事件(モンゴルと満州の国境で起きた日軍とソ連軍の衝突)である。 このとき辻は関東軍(=満州占領軍)司令部の参謀だった。肩書の上では中堅の少佐にすぎない。が、彼の強気一辺倒の議論は関東軍を引きずり、国境紛争を一気に拡大させた。 事件の最中に関東軍司令部に急行したモスクワ駐在武官の大佐・

    日本陸軍の腐ったリンゴ~エリート参謀、辻政信「悪魔の正体」(魚住 昭) @gendai_biz
  • 日本軍に漂っていた「狂気」の正体~悪魔のエリート参謀・辻政信が地獄に引きずり込んだ(魚住 昭) @gendai_biz

    軍のなかの腐ったリンゴ このところずっと船戸与一さんの『満州国演義』や辺見庸さんの『1★9★3★7』を読んでいたせいだろうか。先の戦争のことが妙に気にかかる。 前にふれたが、私は20年前、太平洋戦争に至る経緯を調べたことがある。陸軍の元エリート参謀たちに話を聞いて回った。そのとき痛感したのは、軍隊とは、正気と狂気の間をさまよう集団だということだった。 もし彼らが正気を保っていたら、あんなに広大な中国を制圧しようとしたり、圧倒的な国力の米国に戦いを挑んだりしただろうか。狂気が軍隊を覆っていたからこそ、日は無謀な戦争に突き進んだのだろう。 問題は何が軍隊を狂わせたのか、である。それがはなはだ莫としていて、つかみどころがない。日には、ナチスドイツの反ユダヤ主義のような明確な意志もなければ、ヒトラーのような独裁者も見当たらない。 満州事変―日中戦争の勃発―太平洋戦争へと戦線が拡大していく過程の

    日本軍に漂っていた「狂気」の正体~悪魔のエリート参謀・辻政信が地獄に引きずり込んだ(魚住 昭) @gendai_biz
  • 【読書感想】タモリと戦後ニッポン ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書) 作者: 近藤正高出版社/メーカー: 講談社発売日: 2015/08/20メディア: 新書この商品を含むブログ (12件) を見る Kindle版もあります。 タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書) 作者: 近藤正高出版社/メーカー: 講談社発売日: 2015/08/28メディア: Kindle版この商品を含むブログ (4件) を見る 内容紹介 終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、敗戦から70年が経過した日。双方を重ね合わせることで、あらためて戦後ニッポンの歩みを検証・考察した、新感覚現代史! タモリが各時代ごとにすごした場所をたどり、そこでの人間関係をひもときながら、戦後という時代を描き出してみると……タモリとは「日の戦後」そのものだった! (講談社現代新書) 今年(2015年)の8月15日前後には「戦後70年」が、さまざまな角

    【読書感想】タモリと戦後ニッポン ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

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  • 鶴見俊輔さん死去 「思想の科学」「ベ平連」93歳:朝日新聞デジタル

    リベラルな立場で幅広い批評活動を展開し、戦後の思想・文化界に大きな影響力を持った評論家で哲学者の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが死去したことが23日、わかった。93歳だった。 1922年、東京生まれ。父は政治家だった鶴見祐輔。母方の祖父は政治家の後藤新平。38年に渡米し、翌年にハーバード大哲学科に入学。日米開戦後の42年3月、無政府主義者の容疑で逮捕されたが、戦時交換船で帰国した。43年、海軍軍属に志願してインドネシアに赴任。英語の短波放送などを翻訳し、幹部向けの情報新聞を製作した。 戦後の46年、雑誌「思想の科学」を都留(つる)重人、丸山真男らと創刊。米国のプラグマティズム(実用主義)を紹介するとともに、共同研究の成果をまとめた「共同研究 転向」は戦前・戦後の思想の明暗を新しい視角からとらえた。49年、京都大人文科学研究所助教授。54年、東京工業大助教授。 60年5月、岸内閣の新日米

    鶴見俊輔さん死去 「思想の科学」「ベ平連」93歳:朝日新聞デジタル
  • 昭和天皇のインテリジェンス 国際的フィクサー・田中清玄 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

    1945年12月2日発行の「週刊朝日」がきっかけで田中清玄は天皇に拝謁(撮影/加藤夏子)この記事の写真をすべて見る かつて昭和天皇には影の藩屏(はんぺい)が存在した。国際情勢のインテリジェンスを届けた右翼の黒幕――。ジャーナリストの徳栄一郎氏が取材した。 *  *  * 今から33年前の1982年4月9日、午後5時を過ぎた頃、都内港区の都ホテル(現在のシェラトン都ホテル東京)に一台の車が到着した。周囲は白金の住宅街で静寂な雰囲気が漂う。後部座席から降りたのは一人の老紳士だった。 年齢は70代後半、落ち着いた身のこなしが育ちの良さを感じさせた。 エレベーターに消えた彼は、ある部屋の前でドアを叩いた。出迎えたのは同年輩の男性だった。古武士然とした容貌で目つきが鋭い。横には秘書兼ボディガードの若い男が控えた。 老紳士の名は入江相政(すけまさ)、昭和天皇の侍従長を務める宮内庁幹部だ。迎えた男は田

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  • 『昭和陸軍全史 1 満州事変』から始まった軍部の話

    司史生@減量中 @tsukasafumio 川田稔『昭和陸軍全史 1 満州事変』(講談社現代新書)読み始める。書の指摘で印象的なのは、満州事変が世界恐慌以前から計画されていたということ。つまり事変による国内危機の打開は後付けでしかなく、総力戦のための戦略資源確保という純軍事的理由が質だったということ。 2014-07-28 00:19:49 司史生@減量中 @tsukasafumio 永田鉄山ら一夕会の幕僚たちは次の世界大戦を不可避と考え、総力戦のため満州と北支の戦略資源の確保を必須と考えて、そのために事変を起こした。日軍は一次大戦から学ばなかったのではなく、学習したからこそ暴走を起こした。 2014-07-28 00:26:09

    『昭和陸軍全史 1 満州事変』から始まった軍部の話
  • 戦後70年に向けて:いま靖国から/40 生き永らえた命令者 - 毎日新聞

    ko_chan
    ko_chan 2014/07/28
    部下への暴力が酷かった奴とか、なぜか長命の者が多い印象。悪いやつほど〜ってやつか。
  • V6・岡田准一のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」、視聴率回復させた岡田の実力 - ライブドアニュース

    by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 岡田准一主演のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が23日放送分で19.4%を記録 昨年は「永遠の0」がヒットし、「岡田だからこそ」の強みが見えてきている ジャニーズ内で重きを置かれていないため、起用しやすい側面もあるという 提供社の都合により、削除されました。 概要のみ掲載しております。 関連ニュース ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能 女子

    V6・岡田准一のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」、視聴率回復させた岡田の実力 - ライブドアニュース
    ko_chan
    ko_chan 2014/07/28
    大河ドラマは、経験浅い若手でも中〜終盤までには鍛えられて上手くなる。本人が変に大物ぶったり事務所がうるさいとそれができなくなるが、岡田准一は大丈夫そうだね。
  • 1997年の安倍晋三 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    1997年5月27日第140回国会衆議院決算委員会第二分科会 ○安倍(晋)分科員 先ほど申し上げましたように、特にことし、中学の教科書、七社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載るわけであります。この問題に絞って幾つか質問させていただきたいと思うわけであります。 私も従来から我が国の歴史教科書の記述については問題点が多いな、こう思っておりました。しかし、この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいるのではないかと私は思います。これは私だけではなくて、そういう問題意識を持っている議員はたくさんいるのですね。ことしになって、特にこの記述に疑問を持つ若い議員が集まって、日の前途と歴史教育を考える若手議員の会というのを発足いたしました。当選五回以下に絞っているにもかかわらず、自民党だけで六十名近い議員が集まって、勉強会を既に八回、文部省からも説明要員として御出席をいただいた

    1997年の安倍晋三 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • メルケル=ビスマルク: 静かなる細き声

    ドイツ人がメルケル首相を熱烈に支持するのは、70年ぶりに現れたドイツの国益だけを位に行動する指導者だからなんだな。メルケルは女性なのでソフトなイメージがありますが、理想では全く動かない、ドイツにとって得なことしかしない、そんな時にはてこでも動かない、強い指導者です。ビスマルクとよく似ています。

  • 『軍師官兵衛』の女優たちが続々登場 黒木瞳、高岡早紀ほか「男の色気」を語る(週刊現代) @gendai_biz

    戦国時代、自分の意思で夫を決めることはできなかった。若い女を側室として抱えることも、止められなかった。それでも女たちが、心から夫を支えたのは、懸命に生きる姿に惹かれたからだった。 私、「メス猿」になります 「今回のドラマに登場する女性たちには、共通する美しさがあります。それは夫を信じ、最後まで支え続けるという、女性ならではの耐え忍ぶ美しさです。観てくださる男性視聴者にとっては、こんながいたらいいな、と思うような女性たちでしょうね。 女性が自分の人生を犠牲にしてでも、夫のために尽くしたいと思うのは、それだけ男性が魅力的だったからです。戦国の時代、男たちは血を流し、涙を飲み、命を削って生きた。信念を持って戦う男に、女性は惹きつけられたんです。なかでも、岡田(准一)さん演じる官兵衛は素晴らしい。家族のため、家臣のため、命をかけて戦った。官兵衛の人生は、現代の男性にとっても、生きるヒントになるか

    『軍師官兵衛』の女優たちが続々登場 黒木瞳、高岡早紀ほか「男の色気」を語る(週刊現代) @gendai_biz
    ko_chan
    ko_chan 2014/02/17
    片岡鶴太郎は『私本太平記』の北条高時役が忘れられない。今回も同じ暗君キャラだからな。
  • 近衛読書中隊 小笠原兵団司令部の人々

    『父親たちの星条旗』公開に寄せて 第109師団は昭和19年5月に父島要塞守備隊を基幹に編成された師団で、2個旅団から成り、それぞれの旅団は6個の独立歩兵大隊から成っていた。歩兵大隊の大隊長は60前後のロートルが多かったらしい。小笠原兵団とはこの第109師団に、歩兵第145聯隊や戦車第26聯隊などの諸部隊がくっついたものをいう。ちなみに支那事変初期に存在した第109師団とは別物である。 師団長栗林忠道は長野県出身で長野中学から陸士に進んだ。陸士は26期、兵科は騎兵、卒業席次は125番と平凡であったが、その後陸大に進み(35期)、これを次席で卒業して恩賜の軍刀を賜った。ちなみに首席は陸軍開闢以来の秀才といわれた藤室良輔。その後米国、カナダに勤務して所謂知米派となる。海外駐在時代はしきりに子供たちに絵手紙を送っていた。第23軍参謀長として、大東亜戦争の緒戦において香港を攻略。その後近衛の留守師団

  • 【小野田さん死去】比島民の思い複雑 マルコス政権、日本から援助引き出す政治利用も - MSN産経ニュース

    「島民の一部には今も複雑な思いが交錯している」。16日、91歳で死去した元陸軍少尉、小野田寛郎さんが約30年の山中生活に終止符を打ったフィリピン・ルバング島で昨年、当時を知る住民から体験談を聞いたフィリピンの邦字紙マニラ新聞の沢田公伸記者(51)はそう語る。 情報将校を養成する陸軍中野学校出身だった小野田さんは戦後も部下とゲリラ戦を展開。敵地の中に残って情報を送る「残置諜者」の任務をかたくなに守り、フィリピン軍との銃撃を繰り返し、島の軍施設などを監視していた。銃撃戦などで10人以上の死傷者が出たとされる。 地元紙記者は「当時のマルコス大統領が小野田さんを英雄扱いして刑事責任を免責、日からの援助を引き出す取引材料にした側面もある」と指摘する。 沢田さんによると、住民の中には、旧日兵の略奪に遭ったり、(銃撃で)家族が亡くなったりしたと訴える声が今も少なからずある。(共同)

  • 世界の有名人たちが「有名になる前の写真」45選:DDN JAPAN

    DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中

    世界の有名人たちが「有名になる前の写真」45選:DDN JAPAN
  • 田沼意次と松平定信のそれぞれの改革

    まとめ管理人 @1059kanri 大河とかで戦国武将に「平和を希求した」なんてキャラ付けをすることがよくありますが、戦国武将という生き物は自分の軍事力という基板を外して物事を考える発想がまずないので、彼らにとっての「平和」とは力の均衡か、もしくは圧倒的強者による軍事紛争の強制的停止か、そのどちらかでしかありません 2013-12-26 23:47:50 お菓子っ子 @sweets_street 「平和を希求した武将」みたいなツイートが流れてきましたが、生まれた時から戦争ばかりしてた武将にとっての平和って「敵を完全に滅ぼした状態」か、「自分が圧倒的に強くて誰も抵抗できない状態」か、「力が均衡してて相互に手が出せない状態」なんですよね。現代的な反戦平和とは違いますよね 2013-12-26 23:57:52

    田沼意次と松平定信のそれぞれの改革
  • 是清「再評価の契機に」:朝日新聞デジタル

    【貞松慎二郎】日銀下関支店の前身である西部(さいぶ)支店の初代支店長で、日銀総裁や蔵相、首相を歴任した高橋是清(1854~1936)を顕彰するシンポジウムが27日、下関市の春帆楼で開かれた。西部支店跡地に建てられた顕彰碑の除幕式もあり、岩田規久男・日銀副総裁らが出席した。  西部支店は大阪に次ぐ日銀2番目の支店として開設され、高橋は支店長を2年務めた。開設から今年で120周年となることから、官民でつくる実行委員会が功績を後世に伝えようと企画。シンポジウムには約250人が参加した。  岩田副総裁は「成功例として高橋の経済政策を再評価する大きなきっかけになれば」とあいさつ。下関在住の直木賞作家・古川薫さんは、酒豪で楽天家だった高橋の人柄をエピソードを交えながら語った。経済史家の鎮目(しずめ)雅人さんは「高橋の国家ビジョンは戦後の日を先取りしていた。行動する意志と勇気を持っていた」と評価した。

  • 「酷将」 花谷正という男

    望月うさぎ @usagitan @grossherzigkeit @Archer12521163 〝夫人死百将臨門, 将軍死一卒不至(夫人死すれば、百将門に臨み、将軍死すれば一卒も至らず)〟とゆー言葉があるが、それを地でいった人物ですね。これに比べればまだ辻政信や服部卓四郎などは人望があったとゆーことになる。 扶桑委員会 @fussoo_moe この花谷正っていうの、なんで「4人に1人」とばかりに部下から撃ち殺されなかったんだろうか。ここまで憎まれてたら殺しても「戦死」になる気がするんだが

    「酷将」 花谷正という男
  • ジョブズ解任、スカリー氏が今になって語った真相 - 日本経済新聞

    経済新聞の電子版。日経や日経BPの提供する経済、企業、国際、政治、マーケット、情報・通信、社会など各分野のニュース。ビジネス、マネー、IT、スポーツ、住宅、キャリアなどの専門情報も満載。

    ジョブズ解任、スカリー氏が今になって語った真相 - 日本経済新聞
  • 川崎尚之助 | 八重を育てた家族 | 八重のふるさと、福島県 | 福島県の新島八重調査事業です

    川崎尚之助は八重の一度目の結婚相手です。 但馬出石藩医家のうまれで、蘭学と舎密術(理化学)を修めた若くて有能な洋学者でした。尚之助は会津藩校日新館に蘭学所が設置されたことを知り、八重の兄・覚馬を訪ねます。覚馬が尚之助の才能を見抜き仕官を薦め、尚之助がそれに応じて教授を務めることになりました。その縁で山家に寄宿するようになり、のちに八重と結婚。尚之助と覚馬の深い繋がりを見ると、覚馬が八重と尚之助の結婚を進めたことは想像できます。しかしそれだけではなく、博識で才能溢れる兄を尊敬していた八重自身も、どこか兄に重なる尚之助に自然と心惹かれたのではないでしょうか。 八重と尚之助が結婚して3年後に戊辰戦争が勃発。鶴ヶ城籠城戦を前に二人は離婚しました。以前は離婚の理由として「八重が他藩の尚之助を籠城戦に巻き込まないため」といわれていましたが、尚之助がすでに会津藩士であったと確認できる資料が発見される

    ko_chan
    ko_chan 2013/03/01
    “2011年12月に札幌市の北海道立文書館で公文書など40点が発見され、他の会津藩士たちと共に尚之助も斗南に行ったという説が浮上”