タグ

ウィトゲンシュタインに関するmassunnkのブックマーク (65)

  • 鬼界彰夫「ウィトゲンシュタインはこう考えた」サマリー

    鬼界彰夫「ウィトゲンシュタインはこう考えた」サマリー last update:2005/01/29 第1部 ウィトゲンシュタインのテキストの特徴と読み方 ウィトゲンシュタインのテキストは普通の文章ではなくて、思考の結晶としての 「考察(ベメルクンク)」を書き並べたものだから、思考の過程がたどりにくい。 思考過程をたどるには草稿に戻るのが良い。ウィトゲンシュタインのテキスト作成過程は、 「一次手稿」→「最終手稿」→「一次タイプ原稿」→「最終タイプ原稿」という段階を経る (いつもその4段階というわけではなく、3段階のこともある)。これを遡ってゆくと 思考過程がわかる。また、手稿の段階では複数の主題が同時平行で考えられていることが 多いので、それを解きほぐす必要もある。 第2部と第3部は『論理哲学論考』の解説である。第4部では『哲学探究』、 第5部では『確実性の問題』の時代

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    massunnk
    massunnk 2009/07/29
    締めで不覚にもわろたw
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 日常生活をよりよく考えるために − ヴィトゲンシュタインの1944年の手紙から - はてなに於けるsergejO

    いつぞやおすすめしたレイ・ マンクによるヴィトゲンシュタインの伝記について、再び。 ヴィトゲンシュタインは、19C末頃はオーストリアの大富豪の末子として生まれた哲学者。口笛がうまかったそうです。工学を学んでいましたが、興味は哲学に移り、ケンブリッジに留学して、ムーアやラッセルに学びました(所謂師弟関係とは随分違いますが、、、)。人生を試そうと第一次大戦に志願して従軍、戦中にまとめた『論理哲学論考』が現代哲学の一大金字塔となり、以後は哲学はもう要らないと田舎教師に転身。しかし、ケインズによってケンブリッジに招かれ、晩年の大著『哲学的探求』に連なる思索を進め、第二次大戦中ではオーストリアに残った家族の救助に奔走し、また消防団でも活躍。趣味は、探偵小説と大衆娯楽映画、、、 人生というものも、こう並べてぱっと見てしまうと奇抜さも薄れますが、この伝記は、ヴィトゲンシュタインの日記や手紙を多数引用し、

    日常生活をよりよく考えるために − ヴィトゲンシュタインの1944年の手紙から - はてなに於けるsergejO
  • ラノベ界のウィトゲンシュタイン - 一本足の蛸

    ウパ日記 - ライトノベルの定義を読んで、「おおっ、これはウィトゲンシュタインだ!」と思った。より正確にいえば、『名指しと必然性―様相の形而上学と心身問題』においてクリプキがウィトゲンシュタインに帰した理論*1に非常によく似ている。いま手許にがないので、どこが似ていてどこが違っているのか具体的に説明はできないのだが、興味がある人はぜひ『名指しと必然性』を参照してもらいたい。 さて、ウーパー氏の見解で興味深いのは次の点だ。 ライトノベルポイント(LP)の付値の対象になるのがレーベル・作家・イラストレーターで、追加効果としてコミック化・アニメ化・ブームなどが挙げられているが、当該作品の内容そのものは付値対象になっていない。 LPが高ければライトノベルで低ければライトノベルではないが、ライトノベルであるかどうかを厳密に線引きするポイント数はない。 付値を行うのは各読者であって、人によって付値の

    ラノベ界のウィトゲンシュタイン - 一本足の蛸
  • ヒュームの私的因果の不可能性

    まず用語を整理しましょう。 「私的因果」というのは、クリプキの用語です。ここではいったんヒュームと分けて考えます。 「因果」というのは、原因と結果、つまりヒュームがもんだいにしたのは、結果から原因が導かれるという考え方そのものです。 わたしたちは日常的にこの因果関係に従って考えています。 「グラスを落とすと割れる」、ということを考えてみましょう。 わたしたちはふつう、このことを「あたりまえ」と思っています。 この「あたりまえ」を、ヒュームはもう一歩踏み込んで考えた。 「グラスを落とす」というできごとにつづいて、「グラスが割れる」というできごとが生じる。これが何度も何度も繰り返すにつれて、「グラスを落とす」というできごとが生じるときはいつも「グラスが割れる」のできごとも生じると期待するようになる。 原因と結果という概念はこのようにして形成される。 このことは「習慣」という、人間の性に深く根

    ヒュームの私的因果の不可能性
    massunnk
    massunnk 2007/08/11
    gooてこんなことも聞けんのか
  • 言語哲学について整理 - logical cypher scape2

    なんか、選挙について書こうかなーとか思っていたのですが、面倒なのでやっぱりやめようと思いました*1。 そしたらさっき、このブログでは最近よく言及したりコメントをもらったりしている(ような気がする)ggincこと高橋さんとメッセをして、何か面白かったのでログをメモ代わりに残しておきます。 といっても、僕の発言だけです。 高橋さんから、「現在のフランス王」とか「丸い四角」とかは、「偽」なのか「ナンセンス」なのか、と質問されたのが話のきっかけです。 SAK の発言 : うーん、それはそもそもどういう立場に立つか、どの説を、あるいはどの領域を採用するか、ということで変わってくる問題だと思うのですが ラッセルの記述理論の立場をとると、「現在のフランス王は禿である」は、はっきりと「偽」ですが ストローソン的な、言語行為論の立場をとると、これは「真」とも「偽」ともいえなくなってきます ただ、これは授業で

    言語哲学について整理 - logical cypher scape2
    massunnk
    massunnk 2007/08/04
    ウィトゲンシュタインはある意味すげーわかりやすかったりもするんだけどなー
  • ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937

    ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937
  • 東京猫の散歩と昼寝 - 学問バトン

    SAKさんから回ってきた。http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20070725/1185348674 学問はそれこそ門外漢だが、一応。 ●あなたの専門・専攻・得意教科は? 認知構造分析。今考えた。もちろん先生でも学生でもない。ちなみに高校では数学と物理が、大学ではすべてが不得意だった。とはいえ、知ること分かることはことごとくエキサイティングなり。 ●あなたは、どのようなテーマに関心がありますか? 人間がこの世界を把握する方式の核心は何なのか。たとえば言語だろうか、意識だろうか、運動と感覚の媒介性だろうか、時間や空間の枠組みだろうか。またそれらは宇宙のさまざまな存在や現象の中でどれほど特殊なのか、はたまたどれほど普遍なのか。そんなことがとても気になる。それがインターネットによって変容しつつあるようなのもけっこう気になる。ただそれに先立って「宇宙とこの私がなぜ無いので

    東京猫の散歩と昼寝 - 学問バトン
  • 三度「美的判断」について - 死に舞

    もうオリジナルの議論からはほとんど離れてしまったが、まだまだ「美的判断」について書くことがあるから困ったものだ。いい加減にしたいところではあるが、やはりこれは美学の根幹にかかわるから書かないわけにいかない。とりあえず語り口をぬるくして続けていくことにする。 ここまでに議論に関しては以下を参照して欲しい。 http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20070417/p1 http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20070413/p1 http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20070419/p1 今回は「反応と判断」という問題から持続する形で「非言語的な美的判断」に関して書いてみたい。 非言語的な美的判断の可能性 上のエントリーでは書かなかったが、昨日行ったイベントで一番興味深く感じたのはこんなことだ。大学で無料で行われるライブ

    三度「美的判断」について - 死に舞
  • 戸田山和久「ウィトゲンシュタイン的科学論」- 日曜社会学

    戸田山和久「ウィトゲンシュタイン的科学論」 in 岩波講座 現代思想〈10〉科学論 作者: 新田義弘出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1994/12メディア: ハードカバー クリック: 18回この商品を含むブログ (11件) を見る マイケル・リンチのどこがどう偉いか、というのが、初学者にもよくわかる論文。 注の27は、タイプして書き写す価値がある(ので する)。 [‥] ウィトゲンシュタインの議論を懐疑的パラドクスの提示とその解決というクリプキ流の路線で理解している ブルアASIN:4326152125 に対し、リンチは逆にウィトゲンシュタインの議論はそうした懐疑論を斥けるための背理法を構成しているのだとする。これはリンチ自身認めるように、ベイカー&ハッカーやシャンカーの解釈に近い27。 リンチによれば、この背理法のポイントは、(プラトニズム的な対象として考えられた)規則が我々の行為

    戸田山和久「ウィトゲンシュタイン的科学論」- 日曜社会学
  • 福祉国家化が剥奪する四肢的思考 - bobbinsmall’s diary

    「ある人間の身体からすべてを切り落としてみよ。両腕、両足、鼻、 両耳をそぎ落としてみよ。その時彼の自尊心と威厳がどれほど残って いるかを見てみよ。こうした概念が身体の通常で正常な状態にどれだ け依存しているかを我々は知らないのだ。引かれたなら、こうした概念 はどのようになるだろうか。1人の人間の中のどれだけが、それでも尚 残り続けるのか? こうした人間はどんな状態へと沈んでゆくのか? 自分たちがたかく切り立った崖っぷちに立ち、自分たちの周りを深淵 が取り囲み、その中では全てが違って見えるということを我々は知らない」 (ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記) ************************************** テクニカルに四肢性の基底が取り押されられる事態を想定することが出来る。 そこで人の身体は、この世界でポピュラーな表出(それは殆どなぐさめでもある) を放棄して、多

    福祉国家化が剥奪する四肢的思考 - bobbinsmall’s diary
  • img-fo96-10witt

    「心の理論」仮説と『哲学探究』 アスペルガー症候群[から/を]見たウィトゲンシュタイン                      福 修 fukumoto@JapanGlobe.net I.  小論で私は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインLudwig Wittgenstein(1889-1951)の哲学的思索が高機能(アスペルガー型)自閉症者の経験構造の表現となっている(「示している」)ことを読むとともに、それが彼にとって極めてリアルであって、彼自身が自閉症的な様態に親和性のあることを論じたい。ここでの自閉症的経験構造一般の理解は、さまざまな仮説がある中で、障害を認知的な角度から見ようとする「自閉症者の『心の理論』欠損仮説」に基づいている。言い換えれば、焦点は記述精神病理学的な症状論の水準にないので、格的な自閉症の症状が彼に乏しいことは、この方向で考察を進める妨げとな

  • 不可視性としての写真 2.表層-色彩に関するノート(2) (Amehare's quotes)

  • <都市>についてのレッスン(NULPTYX:石田英敬研究室)

    <都市>についてのレッスン 荒木経惟写真集をもとに都市を読む ※準備稿の暫定公開。内容に若干欠落等があります 東京は写真。東京は物語なのだ。 荒木経惟『東京物語』 賢きフビライ汗よ、都市を描き出す言説と都市そのものとをけっして混同してはならないことを、あなたほどよくご存じの方はおられますまい。 ところがしかし、都市と言説のあいだには関係があるのでございます。 イタロ・カルヴィーノ『見えざる都市』「IV. 都市と記号 5」 0. 都市の意味を問う 「場所についてのレッスン」(※公開準備中)では、建築を題材にして、人間の活動の空間が<意味の場>として成立することを学びました。この課では、人々の日常の意味活動が生きられ、様々なコミュニケーションがおこなわれている生活空間としての<都市>について考えてみようと思います。ここでの、私たちの問いは、都市はどのような意味活動の場として生

  • なぜ「ヴィトゲンシュタインのパラドクス」は心身二元論を要請するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ヴィトゲンシュタインのパラドクス」という「断絶」 後期ヴィトゲンシュタインでは、「なぜ曖昧な日常会話が成立しているのか」と問われる。ヴィトゲンシュタインは、そこにある集団内で共有化された基底を「言語ゲーム」と呼んだ。「言語ゲーム」は人々に共有された規則が存在し、「言語ゲーム」が成立するのではなく、「規則に従う」という実践の反復によって、「言語ゲーム」は行われている。規則は「言語ゲーム」というある集団内の反復の中で事後的に見いだされていくものでしかないということだ。 世界の普遍的な体系と考えられていた数学でさえも、ある集団内の「言語ゲーム」であり、書き換えられていく不完全なものでしかないことを示した。 「いかにして私は規則に従うことができるのか」 もしこれが因果関係に関する問いでないなら、それは私が現にこのように規則に従っていることを正当とする根拠の問いである。正当化の根拠を尽くした時、私

    なぜ「ヴィトゲンシュタインのパラドクス」は心身二元論を要請するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • Someday never comes

    massunnk
    massunnk 2007/02/14
    「バカ評論家は、江原や細木を叩くのと同時に「宗教は迷信」と書いてしまう奴がいる。この場合バカ評論家の方も同時にくだらない俗物だと自分で証明することになるので辞めてほしいものだ」
  • 『ウィトゲンシュタインはこう考えた』鬼界彰夫

    『ウィトゲンシュタインはこう考えた』鬼界彰夫 これはなかなかすごいでした。 ウィトゲンシュタインの「著書」としてまとめられているテクストを、いくつかの「スレッド」の並走として解析、一見アフォリズム的・断章的な独特の文章構成を非常に明快に整理しています。とりわけ『探求』について、これほど親切に解説してくれている書籍というのはまずないのではないかと思います。 「『論考』はともかく『探求』は結局何が言いたいのかさっぱりわかんないよ!」と思っていながら恥ずかしくて口に出せなかった人は結構多いのではないでしょうか。ハイ、わたしです。というより、正直『探求』にこんなにちゃんとした流れがあること自体、信じていませんでした。 アマゾンのレビューで「永井均さんの『ウィトゲンシュタイン入門』の次に読む」といった紹介をされている方がいらっしゃいましたが、初心者にはわかりやすい流れでしょうね。ちなみに『ウィト

  • 『ウィトゲンシュタインと精神分析』、自然にしていたら自然にできない

    久しぶりに屋さんで現代思想関係のコーナーに行き、なんとなく手に取った一冊。 『ウィトゲンシュタインと精神分析』 ジョン・M.ヒートン JohnM.Heaton 土平紀子 一頃「ウィゲンシュタイン」「フロイト」等、思想家の名前をズバリタイトルにした概説書シリーズがあちこちから出ていましたが、それもネタが尽きたのか(笑)、岩波の「ポストモダン・ブックス」は「ダナ・ハラウェイと遺伝子組替え品」や「ハイデガーとハバーマスと携帯電話」等と合わせ技で攻めています。 この手の平べったいには批判の向きもあるでしょうが、最近わたしが思想関連の書籍に期待するのは、思考の触媒になってくれることくらいなので、そういう意味では結構役に立ちました。 小気味良い文体で翻訳もなかなかテンポ良く、とにかく薄くて字が大きいので(笑)一時間とかからず読み終えられます。 大雑把に言って、いわゆる「後期」ウィトゲンシュタイン

    massunnk
    massunnk 2007/02/08
    「自然さ」への強迫
  • ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか/入不二基義:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、仕事をしていてこんなことを考えました。 日常の仕事や家事のあいまにある休息時間、気分転換のひとときというのは、ある意味では、公的な役割を演じている自分から<私>自身へと戻る時間なのだろうな、と。 公的な<私>、私的な<私>考えたことを図にしてみると、こんな感じでしょうか? 「<私>への旅」と書いているのは、それが普段暮らしている環境からの一時的な逸脱、旅路のような気がしたからです。 僕がイメージしているのは「<私>に戻る」というよりは、普段、公的な場、公共の空間で、肩書きや役割、ユニフォームとしてのスーツ、公的なものとして求められる発言として規定されている公的な<私>からの逸脱として、そこから逃れるものとして私的な<私>が作られるというイメージ。 スタイルに包まれた<