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トンネルを抜けるとそこは海岸だった。 海のない街に生まれ、潮風の吹かない丘に育った。海というものはそれはそれはとても美しいものだと聞いており、実際に臨海学校、海水浴、ドライブで行った海はどれも美しいものだった。だがここはどうだ。私がいままでに(数える程しかないにせよ)行ったことのある海とはまるで様子が違っている。 朝、ドラゴンボールを見ていると突然電話が鳴った。 「どうせ暇なんだろうから写真を撮りに行きましょう」「イエス」 計画を立てるとなかなか動きだせないもので、いきなりのほうが行動に迷いがないことが多い。コトコトと電車に揺られ、同日昼には海岸に着いていた。海を見つめる隊長がいた。 「早いですね。それにしてもここはどういった場所なんですか。ひとは全然いないし、わたしはもっとこう、きらきら光っているような砂浜だとばかり…」 「bishamon」そう短く言うと、隊長は堤防を乗り越え岩場へ向か
「幸せな話しか書かない人って、どうなんだろうね」「と、仰いますと?」「なんかやたらハッピーエンドしか書かない人っているじゃない」「たとえば?」「知らないわよ読まないし」「先輩は御存知無いのかも知れませんが、キャッチボールにもルールはあるんですよ」「えーとほら、日野原某とか」「ああ、聖路加病院の。小説の話じゃないんですか?それにアレの本って結構黒いですよ」「そうなの?読んだことないけど」「あの気持ち悪い笑顔ほどキラキラしてるわけではないですよ。あとうつぶせ寝枕ね」「なにそれ」「枕の真ん中にこう、穴が開いててですね。うつぶせで寝るんです。顔を穴に入れて。そういう健康法を提唱してるんですよ」「なにそれ。医者がそんな変な商売やっていいわけ?」「だから黒いんですって。私がこの年でもこんなに元気なのは・・・みたいな感じで」「うっげぇ」「まあ、医者なんかに関わってロクなこたないですよ。穢れます」「女の子
私が最初に合法ドラッグなるものの存在を知ったのは美術の授業中でした。 中学校時代の美術の先生は、常々 「僕は本当は肉体は汚いと思っているんだよね……食欲、性欲、 そんなものにしばられずもっとスピリチュアルで高度な領域へステップアップしたい」とか 授業中に真顔で語ったりしちゃう人で 多分生徒を教えるのとかあんま興味なくて、 いつも美術教諭質で女のマネキンにビニテをぐるぐるまきにした 高度な領域のオブジェを作ってたりしていました。 そんな、明日にも登校拒否になって インドや山梨に旅立ってしまいそうな危うさを身にまとっていた先生だけに、 授業中に突如 「宇宙と自分の心に向き合い新たな領域へと進むための方法」 について語り始めたときも特段驚きや戸惑いはなかったのですが、 「宇宙と自分の心に向き合い新たな領域へと進むための方法」が合法ドラッグでしかも 「ほしい人がいたらあげます」と言ったときはさすが
そんなこんなでもう12年も経って、それはつまり、僕の人生の半分は彼なしでやってきたのだということになる。僕が小5の頃の話で、年々思い出せることは少なくなる。もちろん欠席している奴は手を挙げられないわけで、何を忘れてしまったのかなんて分かるはずもないけれど、それが減ってきているんだということくらいは僕にも感じとることができる。 もしかすると、風化するに任せるのが健全というものなのかもしれない。そうだそうだ、「人間は思い出を忘れることで生きていける」だっけか。…そんな台詞がすぽんと頭の抽斗から出てきたものだから、これなんだっけとしげしげ眺めていると、分かった、碇ゲンドウだ。そしてこの台詞の続きが「だが決して忘れてはならないこともある」であったことも思い出した。 今からこうやって書きつけることが「決して忘れてはならないこと」なのかどうかはよく分からないけれど、まあゲンドウの言うことなんてそれほど
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