江戸っ子の町、東京・神田。地図を片手に歩いていると、気になる場所があった。2丁目はあるのに、どこを探しても「1丁目が見つからない町」があるのだ。謎を追っていくと、日本の住所表記を巡る高度成長期の混乱が浮かび上がってきた。その爪痕は今も全国各地に残っている。歴史ある神田多町2丁目、町名変更を拒否JR神田駅西口を出て目の前の多町(たちょう)大通りを右へ歩いていくと、「多町2丁目」という交差点があ
![神田に「1丁目のない町」 住所表記のミステリー - 日本経済新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/071fff4b833d599c91312f34574bdaa4893fb573/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Farticle-image-ix.nikkei.com%2Fhttps%253A%252F%252Fimgix-proxy.n8s.jp%252FDSXZZO3831422026012012000000-38.jpg%3Fixlib%3Djs-3.8.0%26auto%3Dformat%252Ccompress%26fit%3Dcrop%26bg%3DFFFFFF%26w%3D1200%26h%3D630%26s%3De32a3ccc75b8dd806df1893e6a82d8f0)
赤字のバスを走り続けさせる以外に、どうすれば交通弱者を切り捨てずにすむのか。会津乗合自動車(会津バス)と会津若松市役所はここ1年、そんな命題に取り組み、最適な「落とし所」を模索するために汗を流してきた。 「まるで自分たちは交通政策をやっているのかと思うほどでした。ピーク時には課員8人全員が路線バスに乗りましたからね」。会津若松市企画政策部地域づくり課の目黒要一課長はそう振り返る。 目黒課長の手元には、会津バスの路線統廃合で使った資料がどっさり。「この路線は、ここの停留所から日中に買い物客が乗って、ここで降ります」「ここからは、午前中に通院するお年寄りがたくさん乗りますが、日中はほとんど利用がないのですよ」。まるで会津バスの社員であるかのような滑らかな解説ぶりだ。 統廃合対象のバスに乗り乗客のリアルな姿を観察 それも無理はない。目黒課長ら地域づくり課の課員8人は2011年のゴールデンウィーク
定年で現役を退く年代になると田舎暮らしに憧れる人が多い。東京や大阪などの大都会には大勢の人がいるから、そこから脱出して田舎に住みたいと思う人がいても不思議はない。その理由の一つに「田舎は物価が安く、生活費が安上がり」というのがある。とんでもない間違いだ。 私事で恐縮だが、田舎へ引っ込んだらさぞかしたっぷり貯金ができるだろうと十数年前、東京の住まいを引き払って故郷に戻った。都心から電車で約2時間の小さな町。シャッター通りと化した商店街はあるが、一歩町の外へ出れば畑や田んぼが広がる。 私と同様、数年前に東京からUターンした同級生のIが苦笑しながら言った。 「安いのは家賃ぐらいだっぺな。東京と同じ生活をしようと思ったら東京以上にかかるよ。物価は全然変わんないね。電化製品とか日用品なんかは、東京に比べたらこっちの方が高いぐらいだよ。秋葉原の家電街とか、ディスカウントの多慶屋(たけや=東京・御徒町の
日本に3000万人以上存在するという、「健診弱者」。彼らを救うため、齢(よわい)29の青年が医療の厚い壁に挑む。強烈な正義感と合理の精神が彼を突き動かす。
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