文化の盗用なんだってよ。 白人が日本生まれ日本育ちの日本国籍だったらどうすんだ。
![日本で白人が着物を着ていると怒る外国人がいる](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
・社内政治が嫌いな人が、社内政治を作ってしまう(nanapi TechBlog) → 極端に言えば官僚主義的になるか社内政治になるか,という。ここでのパターンの場合,実際には部長の意見が正しいこともあるから複雑で,「エンジニアAさんを部長に昇格させればいい」というものでもない。結局どちらにも寄りきらない,というのが硬直化と制度崩壊の両方を防ぐ方法ではあるのだろうなと。 → ところで,あまり指摘されていないというか,あまりにも島耕作本人の活動が突飛すぎて注目されていない感じがするが,本来『島耕作』のテーマってこれで,島耕作本人はまさに「社内政治が嫌い」だったのにいつの間にか社会政治を作る側の人間になってしまった人である。この点で課長・部長の島耕作はやはりおもしろかったなと。今は見る影ないですが。(と同時に,その程度の読みもできてない人に島耕作シリーズを批判されたくない,という気持ちは否定でき
隣人が敵国人になる日: 第一次世界大戦と東中欧の諸民族 (レクチャー第一次世界大戦を考える)作者: 野村真理出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2013/09/25メディア: 単行本この商品を含むブログ (6件) を見る 第一次世界大戦100周年ということで人文書院から出ている「レクチャー第一次世界大戦を考える」の一冊。以前同じ叢書の『捕虜が働くとき』の感想は書いていて,他にも『複合戦争と総力戦の断層』『カブラの冬』『マンダラ国家から国民国家へ』は読んでたのだけれど,これはまだ読んでなかったので読んでみた。期待に違わず面白い出来だった。はじめに(7-18頁)第1章.民族主義者の思惑(19-40頁)第2章.民衆の困惑(41-67頁)第3章.ガリツィア・ユダヤ人の困難(59-94頁)第4章.隣人が敵国人となる日(95-121頁)おわりに――未完の戦争(123-126頁)参考文献(137-14
アイヌ人が単純に「先住」と言えるかどうかについては、まじでさきほど挙げた「アイヌ学入門」を読むのをお薦めします。けっこう複雑なことがわかります。ぼくは(小説の関係で)アイヌ関係の本はけっこう読んでいるのですが、これは画期的な本です。ゲンロンカフェで著者をお呼びしたいくらい。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 4月 3アイヌ人は民族でしょう。先住かどうかは、その言葉に与えた定義によるでしょう(国連の話はしらん)。瀬川氏の本は、アイヌ人と日本人がともに縄文時代の列島人の子孫で、けっこう行ったり来たりしてたって書いてるでしょう。なにを理解に苦しむのよ。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 4月 3瀬川拓郎『アイヌ学入門』をアイヌは先住民族じゃなかったんだ、と読むのは早計。先住民族性とは植民地主義によって生み出されたものであり、瀬川
決議文の真ん中のところに「アイヌ民族を日本の「先住民族」と認めた国会決議」と書いてあります。いつからアイヌ民族は日本の先住民族になってしまったのでしょうか。私の記憶が正しければ、我が国の歴史は神武天皇即位以来ずっと日本人の手によるもので、アイヌの人々が歴史に登場するのはそのはるか後、鎌倉時代のはずです。私は9月22日の本会議場で国会決議の誤りを指摘しましたが、さすがの国会決議もアイヌ民族を日本の先住民族とは認定していなかったはずです。改めて平成20年の国会決議を読むと、こう書いてあります。アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議(平成20年6月6日)(前文省略)一 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を踏まえ、アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。二 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」
アーネスト・ゲルナー著「民族とナショナリズム」 「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的な原理である。」(P1) 「端的に言って、ナショナリズムとは、エスニックな境界線が政治的な境界線を分断してはならないと要求する政治的正統性の理論であり、なかんずく、ある所与の国家内部にあるエスニックな境界線によって――これは原理を一般的に定義したときに、正式にはすでに排除された偶発的なケースではあるが――権力の握るものが他の人々から切り離されてはならないと要求するそれである。(P2)塩川伸明著「民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)」(P22-26)によると、以上のアーネスト・ゲルナーによるナショナリズムについての定義を前提として政治的単位=国家の領域と民族的な範囲=ある民族の分布範囲の空間的な大小関係を基準とした場
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