今朝のエントリの補足みたいなものだが、夫婦とか親子とかの活動は明確に私的な領域なので、靖国参拝というのもそうすれば私人として明確になるでしょ、というのが一つ。 もう一つは、靖国なりが意味を持つとすれば、個の関わりではなく、家族というか、親子の関わりの幻想の延長ではないかという気がします、ということ。 また物騒なことを言ってしまうのかもしれないけど、靖国神社というのは「神社」という名前が付いているので神道ということになっているけど、これは、広義には儒教でしょう。貶めていうのではないけど、位牌置き場でしょう。だから名前が重視される。そして、儒教だからこそ中韓が理解というか誤解するのでしょう。彼らは鬼神を畏れるわけです。 広義に位牌置き場というのは、位牌との関係で、それは個の関係とは違うのだろうと、これは率直にいうとなんとなく思います。以前であれば、位牌だから家長が代表でもよかったわけで、その家