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仏教に関するchatarow0506のブックマーク (12)

  • アメリカ共和党の大物パトリック・J・ブキャナン氏の著作『病むアメリカ滅びゆく西洋(宮崎哲弥監訳:成甲書房発行)』には、ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞に対して次のように��

    chatarow0506
    chatarow0506 2012/04/25
    「人間だれもが自分を大切に思っており、だからこそ他人を傷つけてはならない、と釈尊は教えた。この慈悲の教えが、ギリシャの哲人らに影響を与えたことは間違いない。仏教でいう大悲とキリスト教のアガペー(愛)は
  • 衆議院議員 赤松正雄 » 池上流世界三大宗教へのアプローチの仕方

  • 五時教判について - 顕正会 『叱狗論』:楽天ブログ

    2008年07月26日 五時教判について カテゴリ:教学 基礎講座 五時教判について 五時とは 天台大師は、印度から数百年をかけて渡ってきた膨大な経典群を分類・整理するため、化法の四教・化儀の四教の八教と五時の教判を説かれました。 八教の教判が、釈尊一代の説法の形式・内容を平たく分類したものであるのに対して、五時教判は更にこの説法を時間的に区分・判釈したものと言えます。 なお天台大師はこの五時を説明するに当たって、その意義と理由について、涅槃経の「五味」、華厳経の「三照」、法華経信解品の「長者窮子」の譬喩を用いて詳しく説明しています。 一、華厳時 第一の華厳時は、華厳経六十巻が説かれた時期を指し、釈尊が中天竺摩竭提国(まかだこく)伽耶城(がやじょう)南の菩提樹下で成道し、三七日の間思惟・説法した時のことをいいます。 華厳経は、詳しくは大方広仏華厳経といい、教義の浅深からいえば般若経よりも勝

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  • 五時八教

  • 創価学会批評ブログ 未だに天台の五時教判説を錦の御旗に振りかざす創価学会 google-site-verification: googleaf43d6bcf21b7508.html

    智顗(ちぎ)の「五時教判」を要約すると以下のようになる。 ①華厳時……華厳経(権大乗教) ②阿含時……阿含経(小乗教) ③方等時……金光明経・維摩経・大日経・阿弥陀経など(権大乗教) ④般若時……般若経(権大乗教) ⑤法華涅槃時……法華経・涅槃経(実大乗教) 智顗は、釈尊一代の説法を5つの時期に分け、現実的で具体的な内容が多い阿含経を最も低級な教え(小乗教)とし、法華経と涅槃経を深遠な哲理が説かれた最も優れた教え(実大乗教)と位置付けした。 そして、低い教えから最高の教えへと衆生を教化していき、成仏へ導いたのだと解釈した。 ちなみに、1番最初に説法したとされる華厳経は阿含経よりもレベルの高い権大乗教になっているが、それは、衆生の機根( 悟りを開くための基盤となる宗教的性質・能力)がどの程度なのか判らなかった為に、最初にレベルの高い教えを説いたのだという。そして、その内容が衆生に理解されなか

  • 言いたい放題31(お経について)

  • 五時八教の教判 - 創価学会に悩むすべての人へ

    創価学会では、日蓮の教えのみを尊び、それ以前の教えは、原始仏教(※)も、法華経も、天台も、来、無用という立場である。 しかしながら、あらゆる経典の中では、法華経を最も尊いとする。 その根拠について考えてみたい。 このように、釈迦一代の仏法(※)を通観して、五時八教を比較していくと、妙法蓮華経の教えは、釈迦仏法の最高原理であり、骨髄であり、大綱である。 (池田大作「人間革命第一巻」昭和62年版) 「五時八教」とは、天台智ギ(※)が説いた教判である。 仏教上には、さまざまな経典がある。 そのほとんどは、釈迦の教えを反映したものではなく、後世の人間が、独自に生み出した思想であることは、今日の研究により、推察されているところである。 しかしながら、以前は、すべての経典が、釈迦の教えを忠実に表現していると考えられていたのである。 だが、Aという経典と、Bという経典では、まったく異なった思想が説かれ

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  • http://www.abhidharma.info/

  • 2008-12-16

    2008-12-14記事へのトラックバック記事「2008-12-16仏教と仏教美術の日々 - 大乗仏教の成立過程諸説」にて、記者のragarajaさんから 大乗仏教成立には諸説ありますが、在家集団が成立に重要な役割を果たしているというのは共通認識としてあると思うのですが? どういった理由なのでしょうか?上座部側の見解をぜひお聞きしたい。 とのリクエストをいただいた。 もともとは上記ブログ2008-12-14上座部仏教の呪術文中での「上座部ブーム批判」に対して、ひとこと苦言を呈したことが始まりである。ざっと見解だけ述べる。 在家集団は大乗経典制作者たちの「はたらきかけ」対象ではあったかもしれないが、成立に重要な役割を果たした云々は幻想である。いいかげん“願望”に過ぎない平川彰説のコピペはやめるべき。 以上に尽きる。 仏教における出家/在家関係について正しく知りたいと思うならば、出家教団が現存

    2008-12-16
  • 阿羅漢をめぐる大誤解 - ひじる日々

    以下のような言説がよく見受けられる。 「部派仏教」のところが「小乗仏教」だったり「上座部仏教」だったりするが、判で押したような同じ文章に出会うことが多い。 部派仏教では、釈迦は現世における唯一の仏とみなされている。従って、修行者が到達できる境地も阿羅漢(アラカン)止まりで、如来(仏=仏陀)にはなれないと考えられた。 『ゴータマ・ブッダ考』の並川某氏もそうなんだけど、これって大乗仏教思想の先入見の入った研究者が陥りやすい誤解じゃないだろうか。テーラワーダの伝承でも、ブッダは第一に「阿羅漢」(如来十号の一)なので、阿羅漢になれば悟りのレベルはブッダと同格とみなされる。しかし教えの創始者に敬意を表して、経典が伝承されるうちに、ゴータマ・ブッダのみをブッダと呼び、ブッダの教法によって悟った(ブッダ)聖者を阿羅漢と呼ぶように用語が整理された。 経典自体、ゴータマ・ブッダという卓越した指導者の言説を後

    阿羅漢をめぐる大誤解 - ひじる日々
  • 小乗仏教というモノイイについて - ひじる日々

    昨日はたまたま、『ブッダの智慧で答えます 生き方編』を紹介してくれた宮崎哲弥氏のテキストに性格の悪いインネンをつけた訳ですが、仏教ブームとゆー風潮のなかで、惰性のような形で使われている小乗仏教というモノイイについて、俗論とはちょっと違った説明をしたいと思います。僕がテーラワーダ仏教(上座部仏教)の団体の職員であるという書き手の立場をふまえた上でお読みください。 スマナサーラ長老と養老孟司氏の対談『希望のしくみ』では、テーラワーダ仏教(上座部仏教)を小乗仏教と呼ぶモノイイについてこう苦言を呈しています。 そもそも小乗仏教と言われていた宗派(説一切有部 せついっさいうぶ)は、お釈迦さまが入滅して二〇〇年くらいして私たちのテーラワーダから別れて成立したものですが、いまはもうなくなってしまったんです。その宗派を非難して大乗仏教が形成されたという経緯があります。だからテーラワーダを小乗仏教と呼ぶのは

    小乗仏教というモノイイについて - ひじる日々
  • 宗教関係サルベージ「仏教」 | 2009-02-03 - uumin3の日記

    Brittyさんが「仏教って知られていないよね」という記事を書かれてました。この日記では今までおおよそ80日ぐらいの宗教関係記事がありますが、まあ一度書くとなかなか繰り返しはしないもので、結構その時限りになってしまってるかもしれないなあと思います。しばらくサボっていたもので、肩慣らし(になるかどうかわかりませんが)いくつかサルベージしてアップしてみたいと思います。 (それぞれの記事にはそれなりの脈絡があったりするのですが、まあそこらへんは…) 仏教の流れ(20050719) 仏教以前 古代インドにおいては仏教以前にバラモン(インドの四姓制度の最上位の僧侶)階級を中心に、ヴェーダ経典に基づく自然宗教がありました。今現在あるヒンドゥー教は、およそ紀元前3世紀ごろからこの宗教が他の土着の要素を吸収して変貌しつつ成立したもので、そのヒンドゥー教と区別するため西洋の学者がこの古い宗教にバラモン教(B

    宗教関係サルベージ「仏教」 | 2009-02-03 - uumin3の日記
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