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*readingとUno Tsunehiroに関するklovのブックマーク (12)

  •  『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てて反発しても釈迦の手の中 - カオスの縁――無節操備忘録

    『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(メモ) - 白鳥のめがね http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20090103/p1 んー。まあ宇野氏は基的に挑発的な物言いをする人だから、腹を立てるのは分かるですよ。 むしろ「善良な市民」さん時代に比べれば、さすがに場所柄で遠慮してるんだなぁと思ったくらいですからね。惑星開発委員会での氏はもっと釣り針満載なわけで(笑)。 なのでまあ腹を立てるのは分かるんですけど。けどこういう風なエントリとして立てて、反発してみたりして、それ自体すごい勢いで「釣られて」いるようにしか見えない。 だってねぇ。 だからこそ、宇野常寛は、自分だけは島宇宙の住民ではないかのようにして、「真正さ」に対する判断の根拠を保留したままで、自らの歴史叙述だけは議論の余地無く正しいかのように主張していく。結局、著者のパフォーマンス自体が「動員ゲーム」のた

     『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てて反発しても釈迦の手の中 - カオスの縁――無節操備忘録
  • 燃焼率改 宇野常寛はいつまで「国内思想の輸入翻案業」をやる気なの?

    図書館でSFマガジン1月号を借りてきたので宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読みまして。いい加減にイライラしてきたので適当に愚痴を。 1月号はよしながふみ論なんだけど、山形浩生の「日出処の皇子」論を土台に吉田秋生→よしながふみと語っていく形で、まあ相変わらず穏当だなあとは思うわけです。思うのは稲葉振一郎と宮台真司の仕事ももっと思い切り引用して論じればいいのではってこと。最初のほうでちょこちょこと引用したあと、あんまり出してないのはなんなのかしら。基的にこの連載「宮台・稲葉を読んだ小知恵の働く院生レベルが漫画・ドラマ論に仕立て直してみましたけどどうでしょう」的コンセプトだと思うのだが、人的には違うのだろうか。それはそれで意義のある仕事だとは思うのですよ。誰かがやったほうがいいだろうと思うのです。ほらなんか「文化的雪かき」とかいい言葉あったし。 でも連載が始まって以来未だに宮台・稲葉から一歩も

    klov
    klov 2009/01/08
    1年前の記事
  • 『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね

    ※件のを冷静に読みたい方は、まず(↓)をお読みください(5月27日追記)。 『ゼロ年代の想像力』を読み直すためのレッスン+++ - 白鳥のめがね このから学べることは、こんなパフォーマンスに需要があると思われるほど文化的状況は貧しいことになってしまっているということではないだろうか。まずそれを直視しておきたい。 ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る 文化的状況の貧しさに徒手空拳で立ち向かう著者の努力とある種の真摯さには一定の敬意を払わなければならないだろうが、だからこそ、批判的な検討をもってエールとしたい*1。 以下、このの特徴の幾つかについて触れ、まず、あくまで著者自身が要請している倫理と論理を徹底することによって、この

    『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね
  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房/2008年) - TRiCK FiSH blog.

    『SFマガジン』で連載されていた、若手批評家のデビュー論文。手放しで褒めることはできないが、けっこう面白く読んだ。 「大きな物語(=一元的な社会規範)」が消滅したゆえに、めいめいが任意の立場を取る「決断主義」の乱立でバトルロワイヤル状況になっている現代社会を、サブカルチャー作品を例に挙げながら読み解いていく。軸は社会評論(社会学)だが、例として挙げるドラマやアニメなどサブカルチャー作品批評にもかなりページを割いている。 正直、社会評論(社会学)としても、サブカルチャー批評としても中途半端な印象は否めない(読者ターゲットは後者だと思うのだが)。そこには方法論的にかなり重大な問題も潜んでおり、素朴な(古典的かつ社会反映論的な)文化社会学の粋に留まっている。社会評論としては、宮台真司、東浩紀と、90年代以降に論壇で活躍した学者・批評家を踏まえた読み解きは、概ね妥当性はあるのだが、それをサブカルチ

  • 母殺しの文学――宇野常寛『ゼロ年代の想像力』に寄り添って - らいたーずのーと

    ■ 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』は、1990年代から2000年代にかけて日の若者向けに作られた無数のフィクション・コンテンツを題材に、それらに感情移入する読者たちが生き方のモデルとして選ばれるべきキャラクターのあり方(そしてそのような物語、キャラクターを作る製作者側の倫理)を論じる、という形で進行していく。たとえばアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公、碇シンジの生き方を「引きこもり」と断じ、漫画『DEATH NOTE』の主人公、夜神月の暴力に対抗する力をシンジ少年は持つことができないと非難する。もちろん夜神月の暴力を肯定するわけにはいかず、引きこもっているだけではどうしようもない世の中でいかにうまく生きていくかを、例として宮藤官九郎のテレビドラマやよしながふみの少女マンガの主人公たちの生き方を参考に論じていく、という感じだ。 そのとき重要になってくるテーマとして、「母性のディストピア

  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記

    何度もアマゾンのおすすめに出てきたのでたまたま書店で手に取る。毎回思うが、「時代」を語る上で必修である経済問題に対する想像力というか理解というか知識というかが、この種の論者には決定的に不足していることだ。 それは単純に不勉強だからだろう。どんなに取り繕ってもこの不勉強は今後この若い論者の可能性の足枷になる。人が「時代」と格闘しようとすればするだけこの取り繕いが彼の論説の限界を設定していく。それは高原基彰氏にも感じたことだ。それは残念なことだ。いや、むしろ僕はその不勉強ぶりを少し怒ってもいる。 例えば、その想像力、理解、知識の不足をなんとか補っても、話はよくあるパターン(小泉政権がもたらした構造なんとかのなんとか変化というベタなストーリー)に落ち込むのがせきのやまだろう。 以下に引用するように、「想像力、理解、知識の不足」は、例えば書の基的な認識を奇妙なものにするのに十分である。 「こ

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記
  • 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 文=さやわか 【前編】 - WEBスナイパー

    special issue for the summer vacation 2008 2008夏休み特別企画! web sniper's book review 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評 『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 著者=宇野 常寛 【前編】 文=さやわか 『DEATH NOTE』、宮藤官九郎、よしながふみ……格差・郊外・ナショナリズム、激震するゼロ年代に生まれた物語たちの想像力は何を描いてきたのか。時代を更新するサブ・カルチャー批評の決定版。 昨年、『SFマガジン』誌上で連載が開始され、ネットを中心に大きな話題となった宇野常寛『ゼロ年代の想像力』がついに単行化された。つまり、これは話題のである。 連載開始当初から宇野が注目された理由とは、まずはやはり彼が「決断主義」という言葉によってゼロ年代のフィクションの特徴を抉り出すことに成功したからだろう。その達成は単行

  • 誰の「想像力」なのか - reponの忘備録

    「ゼロ年代の想像力」を途中まで読んだ。 根的なところで違和感を感じたので書く。 僕はこの論評自体は非常に良くできていると思う。 論立て自体にも違和感はない。 しかし、その論の基礎となる部分について、こういう記述の仕方でよいのか疑問が湧いた。 こののタイトルは「ゼロ年代の想像力」だ。 <想像力>なのだ。 「ゼロ年代の論壇」でも「ゼロ年代のサブカルチャー」でもない。 <想像力>という以上、「誰かの」頭の中の想像力なのだろう。 では、一体誰の想像力なのだろうか? このは導入部分から、「東浩紀の劣化コピー」を攻撃していて、その劣化コピーは90年代の古い論壇の論理を未だに引きずっているという。 80年代よりは新しいけれど、ゼロ年代よりは古い90年代の論壇の想像力だ。 宇野氏の整理に拠れば、90年代もゼロ年代も抱える問題は同じだという。 東浩紀氏を引用して、ポストモダン的状況を説明している。 「

    誰の「想像力」なのか - reponの忘備録
  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』 - logical cypher scape2

    まず全体的な感想としては、面白かったし、方向性としても納得というか共感した。 しかし、読みながら、色々と批判したくなってくるのは何故なんだろうか。 とりあえず、以下、こののまとめと読みながら思った事を書いていくつもりだが、その中には「ここがおかしい」というものも含まれる。ところが、色々考えていると、それって単なる重箱の隅を突いているだけのように思えてしまう。重箱の隅つつきは面白くないよな、と思うので、あんまりしたくないのだが、何故かそういうものばかりが、読んでいてチラチラと頭をよぎるのである。 これは、このが、読んでいて自分のことを批判されているような気分にさせられるだからではないか、と思う。 重箱の隅を突きたくなるのは、図星だからなのであろうか。一方で、いや別に、この批判は俺のことを言っているわけじゃないなんだから、そんなに焦らなくても大丈夫、と思ったりもする。 それから、あとでも

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』 - logical cypher scape2
  • ナルシシズムの変質? - 仮想算術の世界(福嶋亮大)

    宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の書評などいろいろ書いてました。書評は来月掲載される予定です。 宇野さんのは、連載で読んでいたときとはだいぶ印象が違って、いろんな意味で面白かったし刺激になりました。「雑誌で読んだし、買おうかどうしよう」と思っている方は、一度書店で手に取られることをおすすめしておきます。決して社交ではなく(笑)これは読まれるべき力作です。 ただ、書評を書くのはかなり大変でした。発売前からこんなにネットで「書評」が出てるは他にないし、一応最初はネット上の言論をチェックしようと思っていたのですが、とても把握しきれないので諦めたというのが実情です。というか、そういう新しい言論空間こそが宇野現象の質だと思うので(ちなみにニコ動と初音ミクとらき☆すたと宇野常寛は同じ何かを共有しているというのがぼくの考えなんですが)、書評もそのあたりに触れつつ書いています。 * それで

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    一泊二日、仙台から福島浜通りをひたすら南へ。はらこ飯をしずかにべる。 昭和8年、津波に御用心 はらこ飯は冷たいほうがうまい説 摩尼車は時をかけるようにして回る 南相馬の珈琲亭いこいで休憩 津波の被害にあった請戸小学校を見学する 東日大震災・原子力災害伝承館 南相馬の寿司屋で塩釜港のひがしものマグロをべる ふたたび喫茶店で…

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  • 『ゼロ年代の想像力』についてちょこっとだけのおしゃべり - フランス乞食の奇妙なエクリチュール

    こんにちは、坂上です。昨日は知り合いの誕生日パーティーに行ってきました。なんでメキシコ人はいくらテキーラを飲んでも酔わないんですかね。貧弱な肝臓しか持たない僕はかなりの二日酔いっぷりを発揮しています。 同人誌の製作状況について。僕の方で同人誌全体の核にしたいと考えている批評の構成があらかた決まってきました。今日相方と打ち合わせがあるので、そこでゴーサインが出たらすぐに文章にするつもりです。時間的なことを考えると8月6日までには書き上げたい。二万字程度を予定しています。あ、あとあんま細かいことは言えないんですけど、そもそも何の話をしているのかもわかってもらえないかもしれないけど、や、ほんと察してくださいとしか言えないんだけど、契約してみたら現れたのはセイバーだったという感じなんですね、現在。あとは僕らがシンジ(間桐のほうね)で終わるか凛になれるかという問題ですね、頑張ります。 『ゼロ年代の想

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