〇Dragon Slayer (MSX) (MobyGames) 日本ファルコムが1984年にリリースした『ドラゴンスレイヤー』は、T&Eソフトの『ハイドライド』やコスモスコンピュータの『カレイジアスペルセウス』と並び、最初期に登場した国産アクションRPGとして知られます。 もっとも厳密に言うと、『ドラゴンスレイヤー』はターン制の疑似リアルタイムRPGです。しかしその先駆性と、ゲーム自体の面白さを兼ね揃えた傑作であるとの評価に異論を挟む人は少ないでしょう。僕自身、パソコンでは最後発のリリースとなったMSX-ROM版(1986年)を、時間を忘れるほど夢中になってプレイしたことを覚えています。 そんな『ドラゴンスレイヤー』が生み出される際に、作者の木屋善夫氏が参考にしたApple IIの海外産ゲームが存在するとの話をweb上で目にしました。 〇『Caverns of Freitag』 (Mob
私はレオナルド・グリーンバーグ会長とともに日本へ行き、任天堂の山内社長の元を訪れた。当時、我がコレコ社と任天堂はいくつかの製品を共同で開発していたからだ。 彼らはコレコビジョンに興味を持ち、原価に10パーセント上乗せした金額で買い取りたいと申し出た。しかし会長のレオナルドは、小売価格から10パーセント差し引いた金額での取引を望んでいた。 結局交渉はご破算となり、山内はこう言った。「任天堂は、自分たちでゲーム機を開発しますよ」、と。 レオナルドは大笑いして、彼らにそんなことは絶対できるわけがないと思ったそうだ。 ――― コレコ社の技術・製造部長を務めたバート・ライナーの回想 任天堂が1983年7月15日に発売した家庭用ゲーム機のファミリーコンピュータについては、今さら説明するまでもないほど世界中の多くの人に親しまれています。 しかし「ファミコン以前」の81~82年頃に、任天堂がアメリカのコレ
〇“NO MORE映画泥棒”新CM公開。カメラ男が街中の逃走劇で華麗なアクションをくり広げる! (ファミ通.com) 上に挙げた記事の通り、約6年ぶりとなる「NO MORE 映画泥棒」のCMの新作が公開されました。 念のため説明しますと、「NO MORE 映画泥棒」とは劇場映画の盗撮や違法アップロードの防止を呼び掛ける啓発CMです。本編映像が始まる前に流れるため、日本の映画館へ足を運んだ経験がある人なら必ず目にしているでしょう。 さて、レトロゲーム界隈(って何処?)では有名な話ですが、この「NO MORE 映画泥棒」のCMにはAtari 2600(VCS)のゲームの効果音が使用されていることで知られます。 論より証拠。まずは2014年に公開された旧CMをご覧ください。 このCMで、効果音が使用されているAtari 2600のゲームは2作品。 具体的に述べると、0:31で違法DLを行っている
『レディ・プレイヤー1』――2018年に劇場公開されたスピルバーグ監督作品。近未来を舞台としながら70年代~90年代サブカルチャーを大々的にフィーチャーしていることで注目を集めた映画です。いよいよ7月3日に地上波初放送されるとのことで、Atari 2600の一ファンとして個人的な見所(またはツッコミ)をまとめてみました。 ストレートなネタバレを含むため、全くの予断なしで視聴したい方はページを閉じてください。 …と言いたいところですが、初見の方にもAtariとは関係ない話を一つだけ。 本作の重要な場面で、Twisted Sisterの『We're Not Gonna Take It』が流れるので、あらかじめ歌詞の和訳に目を通しておくことをおすすめします。 ※以下のスクリーンショットの字幕は、日本版BD/DVDに基づきます。 ○Atari 2600 本作のクライマックスとなる「第三の鍵」の試練
○任天堂法務部 最強列伝 (from 東京のはじっこで愛を叫ぶ) ○はてなブックマーク > 任天堂法務部 最強列伝 あ~、絶賛コメントの嵐に水を差すつもりはないんですが、このまま「任天堂法務部は常勝無敗!」との誤ったイメージが定着してしまうのもどうかと思うので、一言二言つっこませてもらいます。 まず第一に、さすがの任天堂にも裁判での敗訴とか、「負け」に分類される法務活動の例は結構あります。個人的には、「最強」と形容するのが妥当であるとは全く思いません。 ■池上通信機裁判 アーケード版『ドンキーコング』の開発、およびゲーム基盤の製造を担当した池上通信機との間で争われた一連の裁判です。 これは、『ドンキーコング』の著作権が任天堂と池上のどちらに属するのか、開発を委託した際にきっちりと取り決めていなかったことが一番の原因でした。(なんと迂闊!) 結局両社は、90年に和解内容を公開しないことを条件
○アンチ任天堂、ナムコが生き残る術は21 217 :名無しさん必死だな:2007/08/20(月) 13:01:15 ID:10GXAsT50 >>215 グラディウスを登録したのってナムコだっけ? 237 :名無しさん必死だな:2007/08/21(火) 12:48:59 ID:lXunll9K0 http://www.ne.jp/asahi/rover/sfx/s100/s100_ku.htm http://blog.so-net.ne.jp/loderun/2007-06-04-1 この辺読めば少しは判るんでないかな 266 :名無しさん必死だな:2007/08/22(水) 22:20:39 ID:6Aq66ho90 >>237-239 この事件についてはK社内部にいたのである程度事情は知っている。 まず客観的事実 ・グラディウスはローマ帝国の武器である短剣が元ネタ。オリジナルの名前
○高橋名人「シューティングが廃れたのは、弾幕系のせい。二度とあのようなゲームは作らないで」 (はちま起稿) ○何故シューティングはよく「廃れる」とか言われるのだろう (あたっく系) ○STG が廃れたのは弾幕系に引いたユーザの受け皿を作ってこなかったからだろうがヴォケ!! (Diary of Dary) ○シューティングは大往生したなどと誰が決めたのか (当たり判定ゼロ) ■なんだかここ最近、WEB上でちょっと話題になっていた感じの「STGは衰退しました(orしてません)」問題。 きっかけは、09年の高橋名人の発言なんだけど(何故今さら?)、せっかくの機会なので僕も個人的に思いついたことを色々書いてみます。 ■最初に断っておきますが、今回のエントリーの半分は主観でできています。 あと、「そもそもSTGの起源は、1962年にMITのスティーブ・ラッセルがPDP-1で開発した『スペースウォー』
アメリカでゲーム会社を設立するもアタリショックの影響で倒産。その後、世界を放浪する。そんな中でスクウェアの坂口博信氏と知り合い同社に入社。ファミコンのFFシリーズを手がけた後、ふたたび放浪の旅に出たという異色の経歴を持つプログラマー。 ○バーチャルコンソール 2009年7月 ナーシャ・ジベリの話 (ファミコンのネタ!! ) アタリショックで放浪してたプログラマーがナーシャ。 坂口と宮本紹介されて、坂口のゲームが好きだったからスクウェアに入社。*注 FF3でノーチラスに影がつけられないとスタッフが悩んでいたら、 いとも簡単につけた上、8倍速移動まで実現し、スタッフを驚嘆させたらしい。 ○ガチで天才だと思うゲーム関係者 (ゲースレVIP) “ナーシャ・ジベリの会社はアタリショックの影響で倒産した”と書かれているblogやWEBサイトをいくつか見かけました。 ○Nasir Gebelli (Mo
○[妄想]元コ○ミ社員だけど極力レス返すよ全開 (from ブログちゃんねる) 110 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/06/04(月) 02:20:38.91 ID:qhyXihjV0 コナミが商標登録好きなのは なんでだぜ? 113 :Tad ◆6Cqrw8JNDU :2007/06/04(月) 02:28:50.62 ID:/Ku50Emq0 >>110 グラディウスをナムコに商標登録されたことから始まると思います。 巻き込まれた現場は悲惨でしたよ… 以上、自称元コナミ社員さんの質問スレッドより。 女性声優の裏話は全くどうでもいいのですが、それよりもあの『グラディウス』をナムコに商標登録されていたとは初耳です。これは驚き! ただし、ネット上をざっと調べてみたところ、「知ってる人は知ってる」的事実だったみたいですね。 むむ、不勉強でした。 とはいえ、自分
○沙羅曼蛇 PORTABLE (公式サイト) >「サラマンダー」は株式会社タカラトミーの登録商標です。 先日のグラディウスの商標の件の続きではありませんが、ふと何の気になしに『沙羅曼蛇 PORTABLE』のパッケージ裏を眺めていて気付いたのが上の一文です。 慌てて特許電子図書館で検索してみました。 結論から言うとコナミは、業務用ビデオゲームやコイン・カードゲーム機、トレーディングカード、オンラインゲームといった区分に関しては「沙羅曼蛇」の商標権を保有しています。 しかし、家庭用ビデオゲームに於いては、トミー工業株式会社(当時)が「サラマンダー」との商標をコナミに先んじて出願していました。 このため、コナミは「沙羅曼蛇」の登録商標を未だ取得していないのです。 以下、順を追って説明してみます。 商標公報データベースによれば、タカラトミーの保有する「サラマンダー」との登録商標の出願日は昭和60年
それは日本の任天堂本社で、別の階にあるトイレへと向かっていたときのことだった。 私は通りがかりに目にしたゲームに興味を持ち、任天堂のスタッフによく見せて欲しいと頼んだ。 私はすぐに、そのゲームの権利を手に入れるべきだと思った。任天堂の要求は、たしかカートリッジあたり1ドルか2ドルを支払うことであったと記憶している。当時としては大きな取引だ。しかし同時に、任天堂は24時間以内に前金として20万ドルを振り込むことを要求してきた。 私はアメリカが朝の7時になるまで待ち、社長のアーノルド・グリーンバーグを電話で呼び出した。 私はこう言った。「アーノルド、落ち着いて聞いて欲しい。今までに見たことがないような最高のゲームを見つけたんだ。契約条件もリーズナブルで、カートリッジあたり1~2ドルでいい。ただ、彼らは前金で20万ドルが欲しいと言ってるんだ」 私は受話器を耳元から遠ざけ、社長の金切り声が止むのを
○Atari 2600 - Pitfall! (AtariAge) 『ピットフォール!』は信じられないほど斬新で、アクティビジョンの名を一躍知らしめんばかりの独自性と高いプレイ性を有したゲームである。疑いの余地なく、おすすめだ。 ―― 『Electronic Games』82年12月号のレビューより ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 アメリカでは、日本よりもいち早く家庭用テレビゲームブームが起きていた。アタリ社から発売されたVideo Computer System=VCSが毎年数百万台規模で売れるという大ブームになっていた。ゲーム市場が急速に膨らんだため、さまざまなソフトハウスがこぞってVCS用のソフトを開発し、それがさらにVCSの売り上げに貢献するという好循環が続いていた。 しかし、アタリ社ですら、どのようなソフトが発売されているのかわからないほどゲー
No single event caused the crash, just as no single event sank the Titanic. タイタニック号が沈没した原因が一つではないように、市場崩壊の原因は一つではない。 ―― 『Classic 80's Home Video Games』 (08年) ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 アタリショックとは、1982年のアメリカ合衆国においての年末商戦を発端とする家庭用ゲーム機(パソコンゲーム市場を含まない)の売上不振「Video game crash of 1983」のことである。 ―― ○アタリショック 『ウィキペディア(日本語)』 アメリカの家庭用ゲーム市場崩壊を語る上で避けて通れないのが、我が国で広く使われている「アタリショック」との呼称の由来と、その定義の変遷である。 「アタリショック」
私がジム・レビーと出会ったのは、1980年1月にラスベガスで開催された家電見本市だった。彼はアラン・ミラー、ボブ・ホワイトヘッドと共にアクティビジョンの設立を発表したのだ。 私は、彼を愚かだと思った。 既にアタリ自身が数多くのゲームソフトを供給しているのに、さらにゲームを必要とする消費者が居るとは想像できなかった。消費者はアタリのゲームとアクティビジョンのゲームを、グラフィックで区別することなどできないだろう。そして、今までに聞いたことがないメーカーのゲームに、小売価格で3~5ドル余計に支払う者が居るとは思えなかった。 ―― マテル・トイ社のマーケティング担当重役を務めたマイケル・カッツの回想 [1] ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 アタリ社は『アタリ2600VCS』の技術仕様を公開しており、多少のプログラミング技術があれば誰でも『アタリ2600VCS』
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