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ブックマーク / mc-web.jp (7)

  • もしかしたら大ヒット車になったかもしれない? 1970〜80年代に大量発生した「ユニーク原付」たち

    もしかしたら大ヒット車になったかもしれない? 1970〜80年代に大量発生した「ユニーク原付」たち 2020/8/12 ヒストリー 50cc, スクーター, ヒストリー 投稿者: モーサイ編集部・日暮 何度か1980年代のスクーターを振り返ってみたが、この時代のスクーターはどれも面白いモデルが多かった。 しかも簡単にウィリーするほどパワフルだったことも忘れられない。けれど、そんなスポーツモデルの影でひっそりと生産を終了していったものもある。発売当時から「これ誰が買うの?」と思うほど意外性に溢れた「変わり種」のことだ。 実はこの「変わり種」たちは1970年代から数多く発売されている。その延長で1980年代のHY戦争後のニューモデルラッシュ期に、人とは違う個性を狙ったモデルが数多く生まれたわけだ。今回はそんな「変わり種バイク」が生まれるまでの歴史を振り返ってみよう。 スズキ・ホッパーから始まる

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  • まさに「原チャリ大戦争」!! 1980年代に巻き起こった百花繚乱の50ccスクーターヒストリー【1980-1984年編】

    まさに「原チャリ大戦争」!! 1980年代に巻き起こった百花繚乱の50ccスクーターヒストリー【1980-1984年編】 2020/7/6 ヒストリー 1980年代, 50cc, スクーター, スズキ, ヒストリー, ホンダ, ヤマハ, 原付 投稿者: モーサイ編集部・日暮 今から35年ほど前の1980年代中盤は、50ccスクーターが一大ブームだった。その当時は大型二輪免許が教習所で取得できない時代で、試験場での一発試験に合格して限定解除をする以外に道はなかった。 だから当時高校生だった世代は、たいてい中免(普通自動二輪車中型限定免許)に甘んじていたのである。だが、中免を取れるならまだマシ。多くの高校生は原付免許止まりで、50ccのバイクに乗るので精一杯というのが実情だった。 さらには語り草にもなっている「HY戦争」の余波もあった。HY戦争とはホンダがロードパルを発売、次いでヤマハがパッソ

    まさに「原チャリ大戦争」!! 1980年代に巻き起こった百花繚乱の50ccスクーターヒストリー【1980-1984年編】
  • 【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史5】市場に衝撃を与えたライバルの登場(1956〜1959年)

    【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史5】市場に衝撃を与えたライバルの登場(1956〜1959年) 2019/9/19 ヒストリー スクーター, ヒストリー 投稿者: モーサイ編集部 多くの都市が廃墟と化した敗戦から10年以上。 戦後ニッポンは著しい復興を遂げ、ラビットとシルバーピジョンの販売台数も飛躍的に伸びていった。 経済の成長は新たなスクーターの需要を生み、“スクーターブーム”と言われるほどの繁栄期を迎えてゆくが……。 ※記事は別冊Motorcyclist2011年9月号に掲載されていたものを再編集しています。 国産スクーターの絶頂期を迎えたと言える’58年には、奇しくもその後のスクーターの行く末に多大な影響を与えることになる、2台の名車が発売されている。 大衆向け自家用4輪車の象徴として、今日の軽自動車市場の基礎を作った富士重工業製「スバル360」。 そして、世

  • 【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史3】激しい販売合戦の勃発(1950〜1956年)

    【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史3】激しい販売合戦の勃発(1950〜1956年) 2019/9/18 ヒストリー スクーター, ヒストリー 投稿者: モーサイ編集部 敗戦に打ちひしがれていた世の中が、時を追うごとに活気を取り戻し、同時にスクーターの需要も着実に増えていったのが’50年ごろまでの流れだった。ここからは、ラビットとシルバーピジョンの市場シェアが拮抗し、激しい販売合戦を繰り広げていく’50年代中期までを追うことにする。 ※記事は別冊Motorcyclist2011年7月号に掲載されていたものを再編集しています。 大径8インチホイールスクーター時代の幕開けとなった1950年。 世間では米を除く料品の自由販売が認められ、日人による自由経済を取り戻しつつあった一方、忌まわしい記憶である軍隊の復活とも取られた警察予備隊(自衛隊の前身)が発足。 また、GHQの

  • 【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史2】困難をはねのけ進化・発展(1947〜1950年)

    【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史2】困難をはねのけ進化・発展(1947〜1950年) 2019/9/18 ヒストリー スクーター, ヒストリー, ビンテージ 投稿者: モーサイ編集部 様々な辛苦のうえ生産にこぎ着けた、ラビットS-1とシルバーピジョンC-10。 当初は珍奇な乗り物として見られたが、その利便性が浸透するにつれ生産数は順調に伸びていった。 だが、占領下ゆえのガソリンやゴムに対する厳しい統制は続き、これすなわちスクーター生産に直結する問題となって両社を悩ませていた。 また、軍需工場であった両社には製品の販売網も販売戦略も皆無に等しく、それらの構築も急務の課題であった。 格生産初年の’47年7月、東京〜箱根間で行われたラビット・シルバーピジョン交えての性能テストの成果もあり、両車の世間における評判は日に日に高まっていくが、評判が高まることで、皮肉にもGHQ

  • 【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史1】二大航空機企業が選択したスクーター開発(〜1946年)

    【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史1】二大航空機企業が選択したスクーター開発(〜1946年) 2019/9/18 ヒストリー スクーター, ヒストリー 投稿者: モーサイ編集部 軍需産業から解体を経て平和産業へ 2大航空機メーカーに強いられた試練 太平洋戦争の敗戦直後、物資の乏しい中から生み出され、人々の足として注目されたものが「スクーター」だ。 そこから’60年代まで各社から様々なスクーターが発売され、そして泡沫(うたかた)のごとく消えていった。 今回は、国産スクーター第一世代の中でも両雄と呼べるラビットとシルバーピジョンの誕生から、過熱していく競合の時代までを追ってみよう。 文●神山雅道 ※記事は別冊Motorcyclist2011年7月号に掲載されていたものを再編集しています。 太平洋戦争終結に至るまで、我が国の2大軍用航空機メーカーとして名を馳せた中島飛行機

  • 志摩 リンの愛車!!「ゆるキャン△」で人気のヤマハ ビーノって、どんなスクーター?

    志摩 リンの愛車!!「ゆるキャン△」で人気のヤマハ ビーノって、どんなスクーター? 2021/5/21 ヒストリー ジョルノ, ビーノ, ヤマハ, ゆるキャン△ 投稿者: 中牟田歩実 2021年4月から、実写版ドラマのシーズン2がBSテレ東で放送されているのが「ゆるキャン△」。この劇中で、キャンプを愛する主人公の志摩リン(福原 遥)がソロキャンプの足としてフル活用しているのが、ヤマハの原付一種スクーター、ビーノです。かわいいい系スクーターの代表格として20年以上の歴史を持つ、ビーノシリーズの歴史を振り返ります!! 初代ビーノは1997年に登場 1997年にデビューした初代ビーノ。 50ccスクーターの初代ビーノは1997年3月に発売。バイクに限らず当時の若年層女性に浸透していた「レトロ=かわいい」を強く意識してデザインされた丸みを帯びたフォルムで、フロントカウルに配された大きな丸型ヘッドラ

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