タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

きになると思考に関するmurashitのブックマーク (8)

  • 杉浦勉「霊と女たち」 - my bookish life

    スピリチュアルなんて言うといかんせん胡散臭いし、フェミニズムなんてのもついつい敬遠してしまう。それなのにこの「霊と女たち」、書店帰りに立ち寄った日曜のSTARBUCKS COFFEEで、ワンシッティングで読了してしまった。面白いなあ。異端審問とか伝奇とかおどろおどろしい歴史をあつかっているから、博物誌や民族誌をひもとくときについ感じてしまうエキゾチックなものに対する好奇心を満たしてくれて、そうでありながら、分析にはフーコーやイリガライら西洋哲学のフレームを使っているから、論理的なことこの上ない。 書は、独立性の高い12の章で構成されている。共通しているのは、男性中心の旧来の社会体制のなかで、女性がうみだしていた相補的な体制の、成立のメカニズムと役割を、スピリチュアリティとセクシャリティを使って論じていること。男根中心主義=ロゴス中心主義というのは、ことばと論理によって明快に説明し尽くせる

    杉浦勉「霊と女たち」 - my bookish life
  • 「関係の化学としての文学」新潮社 - pentaxx備忘録

    2年越しで雑誌「新潮」に掲載された渾身の連載に、さらに大幅な加筆修正を加えました。「関係の化学」という画期的な発見もさることながら、各章ごとに章の内容をまとめた{要約すると}を追加、加えて東浩紀氏推薦、と売れる要素満載の一作です。 以下、「あとがき」より抜粋。 私はときおり夢想する。おそらく一九世紀における「小説」こそが、すべての虚構の王なのではなかったか。ゲーテ、ディケンズ、バルザック、ブロンテ姉妹、フローベール、トルストイ、ドストエフスキーといった巨大な名前たちを思う時、今後いかなる表現者も、個人として彼らほど人々に愛され、あるいは高く評価されるということはありそうにない。映画にはじまる視覚表現の環境的発展が、表現スタイルの多様化を招くと同時に、一世紀をかけて、ゆっくりと「文学」を凋落させていったのではないか。 おそらく「リアリティ」の八割は「諸感覚の階層的な同期」によって与えることが

    「関係の化学としての文学」新潮社 - pentaxx備忘録
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらずべられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    murashit
    murashit 2009/02/24
    俄然面白くなってきた、買おうかな
  • 黒い音楽 - 國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

    音楽的に「黒い」ってなんなのかなー?気のせい、って部分もあるし、そうじゃない部分もあるだろうし、まーフクザツにいろいろか。 『Carole King - Tapestry』 昔は白人はどんなにがんばってもほんとうに「黒く」はなれない、みたく云われてたけど、実はいきなり「黒い」って出来てたんじゃないか?とかも考える昨今。もし知らなかったら例えばエディ・ブリガティーとかフェリックス・キャバリエが唄ってんの聴いて白人か黒人か区別ってできるんだろうか?とか。 『Young Rascals - A Girl Like You』 音楽が「黒い」って、なんつうか声に濁りがあるとかコブシが効いてる、くらいの意味合いで、洗練されて都会的だと黒くないってのも偏見だよなー。黒人は泥臭く野蛮だって思い込み。 ブルースが古臭くて、暗い音楽、みたいな思い込みとかもある。直接に「黒い」云々のあれじゃないけど。でも実際は

    黒い音楽 - 國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。
  • ビオイ=カサーレス『モレルの発明』 [3] - キッチンに入るな

  • ジョルジョ・アガンベン「人権の彼方に―政治哲学ノート」 - my bookish life

    Giorgio Agamben「Means without Ends」 幸せになりたい。 この感情は、実際には他者への羨望でしかないと思った。明らかに幸せそうである人たちを目の前にして、彼は蚊帳の外にいる。「幸せになってほしい」「幸せにしてあげたい」というありふれた、でもあたたかい言葉を述べるとき、その幸せには自分は含まれていない。常に幸せは他者のものでしかない。 自分の幸せには自分は気がつかないもの。なんていう相田みつを的発想はもちろん一蹴してこう言ってみよう、幸せは欲望のうち最も曖昧なものの一つであり、しかるに欲望の原理に従って、それは他者の上にしか存在しないし、他者によってでしか確認できない。他者の上に幸せを見いだしてそれと同質のものをこいねがい、あるいは他者に自分の幸せを認識させることによってかろうじてそれを確認しようと努める。ラカン的なこの発想を表現するのには、ジジェクの挙げたエ

    ジョルジョ・アガンベン「人権の彼方に―政治哲学ノート」 - my bookish life
  • 文芸雑誌に載っているのが文芸作品で、つまりそれは小説と評論で、それ以外はあまりない - 東京永久観光

    水村美苗の『小説』はじつに面白い小説だった。でもそれは、ケータイ小説が加工スナックのごとくすいすい進むのとはやはり違っており、「うむ私は今 文学の栄養を正しく摂取しているにちがいない」といった折り目正しき気分がもてる。それでも心は千々に乱れてのめりこむのであり、おまけに推理小説さながらの意外な犯人というか(いや違うけど)、そんなどんでん返しまでついてくる、分厚い2冊だった。しかも、フィクションを当らしく語るということの核心を突いた戦略が施されていたとも記憶する。 そんな希有な作家 水村美苗が、新潮9月号に「日語が亡びるとき――英語の世紀の中で」という不思議な文章を書いている。 不思議というのは、「長篇評論280枚」と表紙にも断り書きがあるのに、実際の文はこんなふうに始まるからだ。 《九月のアイオワ・シティの朝はかなり冷え込む。 ホテルの外に出れば、湯気の立つスターバックスのコーヒー

    文芸雑誌に載っているのが文芸作品で、つまりそれは小説と評論で、それ以外はあまりない - 東京永久観光
  • 1