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読むことに関するmurashitのブックマーク (33)

  • (46)ホーソーン「七破風の屋敷」を読んでみる [14] - キッチンに入るな

  • 木澤佐登志『闇の精神史』 - logical cypher scape2

    ロシア宇宙主義」「アフロフューチャリズム」「サイバースペース論」という三部構成で、近代や資主義を脱しようとしたユートピア思想を概観していく。 SFマガジンでの連載をまとめたもの。 木澤佐登志の著作は以前から多少気になってはいたものの、自分の興味関心の中ではそれほど大きくなかったことと、何となく取り扱っている内容のあやしさを警戒して*1手を出していなかった。 今回、宇宙主義が取り上げられているということで、読んでみることにした。 とはいえ、もう少し宇宙主義以外の文脈もある。 読むまでの経緯とか 手に取ったきっかけ ロシア宇宙主義に以前から興味があったというのは、桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2にも書いたことがあるので、引用しておく。 宇宙主義(コスミズム)への興味 コスミズムって最近時々名前を聞くけど、一体何なんだというのが

    木澤佐登志『闇の精神史』 - logical cypher scape2
  • (42)ホーソーン「七破風の屋敷」を読んでみる [10] - キッチンに入るな

  • nikki_20230716「感想/体験」 - 遺失物取扱所

    映画の感想がちらほら出始めて、せいぜい数時間の間ではあるけど自分の感想を前の投稿でまとめるまで他者のものは見ないようにしていたので、安心していろいろ見ている。そうしていると、あまりに自分が分かってなかったみたいだった。正直みてるときも、自分の感想を整理してるときも、あれが監督自身の創作の話だなんて1mmも頭によぎらなかった。的外れなことしか言えないのに感想とか書いても意味ないかもなと落ち込んでいる。前からなんとなく何かの感想を他人と話すとき、なんとなく的外れなことを言っているという疑心暗鬼がうっすらあって、それが確信になりつつあるみたいな こんな状態は一番なりたくなかったことで、どんな感想を見ても絶対に自分の意見を卑下したりしないとそれなりに固く思っていたけど、核にあるだろうテーマを一切スルーしていたっていうのはちょっと悲しい。 もう少し冷静になって考えると、作者と作品を切り離したい、とい

    nikki_20230716「感想/体験」 - 遺失物取扱所
  • 水揚げアフタヌーン - 楡男

    自己観察の日々ですが分かったことがあって、いや正確には薄々気づいてたけど確信できたことがあって、私は長い文章を読むのが得意ではない。苦手だ。あと上から下へと順番にリストを潰していくのも苦手だ。中学生のころ2ちゃんねる(当時)をよく見てたんだけど、あの掲示板のスレッドって1000個までレスをつけられるじゃないですか、過去ログのまとめ読みとかよくしてたんだけど、上から下へと目を通すことはできたけど1000に来る頃には息が上がっているというか、脳の一箇所に血液が集まっているような疲れを感じていたのを思い出した。いや2ちゃんねるのスレッド1ってどのくらいの文字数なのかと思うけど。結構多いのではないか。1レス20文字でも1000レス集まれば20000文字でしょう。 読むことの認知的な仕組みに興味があって、というか読むことについて考えるための道具が欲しくって『文章理解の心理学』というをネットで見つ

    水揚げアフタヌーン - 楡男
  • 小説をよく読む人やたまに読む人に聞いてみたいこと 気になっている - タイドプールにとり残されて

    小説家の友人と通話をしたのだが、そのとき、「文体、とくに人称について悩んでいる」という話になった。 日語で一人称で物語を書くときは、「僕」とか「私」とか「おれ」とかを使わないといけないのだが、どうしてもその選択によって、その人がどういうセルフイメージを持った人物なのかについての情報を読者に与えてしまう、自分のことを「僕」と言いそうな人なのか、「私」と言いそうな人なのか、読む人がイメージを持ってしまう、ということが邪魔に感じる。 かといって三人称を選択すると、それはそれで個人的にしっくりこない。 というのがだいたいその話の内容だったと思う。 僕自身もフィクションの文章を書くことはあるのだが*1、その際はほぼ100%一人称を選択している。これには理由があって、文体の癖、……というよりは自分の物の見方とか頭の働き方全般にわたる癖だと思うのですが、なにかを記述するときに存在をベースにするのではな

    小説をよく読む人やたまに読む人に聞いてみたいこと 気になっている - タイドプールにとり残されて
    murashit
    murashit 2023/05/01
    自分も(たしかに認識ベースだからか)一人称のほうが楽なので、なんか書くときにはあえて三人称がんばってやるか……みたいなのがある/それもあって読んでるときも気にしてしまいがちかもしれない
  • 本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日 | オモコロブロス!

    この記事は、今までを読んだことがないWEBライターが「走れメロス」を読破する記事です。 <この記事に出てくる人> WEBライター。を読んだ経験はゼロ。漫画ならいっぱいある。 友達。みくのしんがを読む手伝いをする。 を読むということで 終始、不安そうなみくのしん 緊張するわ〜。予防接種の待合室みたい みくのしんは今まで何かを読んだことはないの? う〜ん。学生の頃に友達から「キノの旅」を勧められたことがあるんだけど…… お〜いいじゃん! 短編だから読みやすかったんじゃない? あれってたしか言葉を話すバイク? が出てきたよね? そうそう。エルメスね! 懐かしいな〜! 俺は「バイクがしゃべる」という事実が理解できなくてギブアップしちゃった Oh… ▼シーンやキャラクターの顔や声色など、書いてあることを自分なりに飲み込んで、脳内で想像しないといけない。それを文字を読みながら行うという処理が

    本を読んだことがない32歳が初めて「走れメロス」を読む日 | オモコロブロス!
  • 「35歳からの探究活動」心得 - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    2022年度から高校では「総合的な探究の時間」という新科目が始まったと聞くが、私は大人になってから、細々と、自分のためだけの「探究活動」を行ってきた(「独学」*1でも「勉強」*2でもいい)。 面白そうなを読んで感想を書いたり、気になるテーマについて文献を拾い集め、分かったことを文章にまとめたり、といったことだ*3。 とにかく「自分は何も分かっていない」という感覚が出発点である。宇宙の成り立ち、自分の身体を構成する細胞のメカニズム、社会がどう成立しているか、人々の幸せや不幸、死に向かう心構えの作り方。何一つわけが分からないまま生かされている感じがあり、そのなかで暫定的でもいいから自分なりの「理解」をつかみたいというのが、日々書籍やブログ執筆に向かうモチベーションとなってきた。 素人でも、一定の期間(短ければ数日、長くて1ヶ月くらい)集中的に調べたり考えたりしていると、なんとなく「見取り図」

    「35歳からの探究活動」心得 - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • PoEAA に学ぶデザインパターン系の書籍の読み方 - パンダのプログラミングブログ

    PoEAA から始めるパターン集 2年ほど積読していた PoEAA を手に取ってみると、これが意外と面白い。PoEAA は20年ほど前の書籍であるものの現代でも通用するところがある。というより、PoEAA は当時の実装パターン集であるため、現代でも活かせることがあるのは当然とも言える。 それは、パターンが現場で直面する課題に対して、繰り返し活用できる解決方法だからだ。 ソフトウェアがデータベースにアクセスしたり、オブジェクトのコレクションを扱ったり、同じインターフェースを備えた複数のオブジェクトを差し替えて動き方を変えることは20年以上前から今に至るまで変わらない。これからも同じことを相変わらず行うだろう。 ただ、厄介なことに PoEAA の実装コードは古くなっている。 書の序文によると、著者であるマーティン・ファウラーが書籍内のパターンに出会ったのは80年代後半から90年代初頭であり、

    PoEAA に学ぶデザインパターン系の書籍の読み方 - パンダのプログラミングブログ
  • 筋を真面目に受け取ることができるフィクションかどうか - タイドプールにとり残されて

    最近フィクション作品を自分のなかで評価するにあたって重要な基準になってきているのが「筋を真面目に受け取ることができるフィクションかどうか」である。「筋を真面目に受け取ることができる」というのは、ほかの意味あいもある言葉「リアリティがある」「感情移入できる」「シリアス」「写実的」とかと指し示している範囲がちょっと似ているかもしれない。 フィクションのなかにあるお話の筋、――登場人物たちの葛藤や、追い込まれたピンチ、といった出来事ひとつひとつが真に受けれるかどうか、真面目に受け取ったときにいちばんその作品の質が高くなるような形で作出されているか、がけっこう個人的に大事になってきている。 もちろん、筋を真面目に受け取ることを求めていないフィクション作品もけっこうあって、それはストーリーをたんに作品に一体性を与える綴じ紐みたいなものとして使っていたり、やりたいシーンや演出、キャラの置き場所として使

    筋を真面目に受け取ることができるフィクションかどうか - タイドプールにとり残されて
  • 本を読む – imdkm.com

    最近の投稿 𝐆𝐎𝐎𝐃 𝐈𝐍𝐓𝐄𝐑𝐍𝐄𝐓 001 2024-04-21 Numark PT01(ポータブルレコードプレイヤー)のベルトを交換する ほぼジャンク扱いで買ったBOSS Dr.Rhythm DR-660を修理する 沈黙を語る人 – 想い出アンチエイリアス(お仕事報告) 日曜日のプレイリスト 009 2024-04-14 最近のコメントなんとなくPython入れ直したらSpleeterがうまく動かなくて困ったけどなんとかなった話とおまけ に 耳コピ/ボーカル抽出が捗る!Spleeterの使い方 – YTPMV.info より読書会をやった に ポプミ会報告(大和田俊之編著『ポップ・ミュージックを語る10の視点』より永冨真梨「カントリー・ミュージックの新潮流と多様性」) – imdkm.com よりヨルシカ「創作」の販促のあれ に ryuto よりヨルシカ「創作

  • 奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』 - オネミリエ

    夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く 作者:奈倉有里イースト・プレスAmazon ロシア文学研究者の青春の書だ。かなりあけすけなであり、あけすけに書いてもきれいにまとまるのは著者の人柄なのだろう。僕が昔夢見ていたような生き方――ロシアの大学で数年間文学研究にどっぷり浸り、得がたい友人や先生に出会ってかけがえのない宝物を手に入れて、研究者としても成功する――をリアルにやり遂げた同年代の人の記録をみるのはまぶしいような体験であり、同時にそういう夢から離れ、文学研究に対して勝手に抱いていた幻想からも解放され、今の人生を生きている自分は少し冷めた見方しかできないのだが、このがいったい誰に向けて書かれているのかよくわからないように、僕もいったいどのような僕に向けて書くべきなのかよくわからないまま感想を書いておこう。 奈倉さんとは以前に何かの機会でご一緒したことがあるが、特に話もしなかっ

    奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』 - オネミリエ
  • ルシア・ベルリン「さあ土曜日だ」を読む - 蜂インザヘッド 

    大学の講義でしゃべってきました 2週間ほど前になるが東海大学文芸創作学科の講義「文学精読」にゲストスピーカーとして参加した。取り上げた作品はルシア・ベルリンの「さあ土曜日だ」(岸佐知子 訳『掃除婦のための手引き書』所収 / 講談社)。小説家の倉数茂さんが担当されている科目で、各回につきひとつの短編小説を丹念に読むという授業だ。うち3回はゲストスピーカーを招くとのことで、幸運にもそのひとりとして声をかけていただいた。倉数さんとはブンゲイファイトクラブ2の戦でご一緒したのでそのご縁だと思う。この記事はその覚え書きです。あとめちゃくちゃ長いです。 大学の講義でしゃべってきました ルシア・ベルリンの生涯と依存症 「さあ土曜日だ」鑑賞 ①語りと構成 ②比喩の楽しさ ③書くことについて ④時間と向き合う 倉数さんからのコメント おまけ:レイモンド・チャンドラーのタイトルリスト オンラインで1回きり

    ルシア・ベルリン「さあ土曜日だ」を読む - 蜂インザヘッド 
  • 禁書目録 - タイドプールにとり残されて

    禁止されたの思い出を使って、人生をふりかえっていくことができる。 そう言われたのをはっきりと覚えている最初の思い出は、小学校の図書室。低学年向けの絵コーナーに読みたいがなくなってしまったので、いいとも言われていなかったけどだめとも言われなかった、中学年以上のいる図書館丸のほうに行ったら、見つかって先生に怒られたのだった。「こっちのはまだはやいです! もどりなさい!」 この先生はべつのときには「いいよ、じゃあいっしょにさがそうか」といって丸をいっしょに歩いてくれたりもした。いまとなっては、……たくさんの生徒に責任を持つ先生、キャパのあるときとないときがあったんだな、とわかるが、当時服従心が強く、それなりにASD傾向のあった僕は、一貫性のない命令を受けることにとても戸惑ったのをおぼえている。 に書かれている漢字をたいてい読めるようになったころ、触れることのできるは爆発的に増え

    禁書目録 - タイドプールにとり残されて
  • https://zzz-zzzz.hatenablog.com/entry/2020/03/24/210009

    murashit
    murashit 2020/04/07
    ざっとだけどもやっと読めた/著者としては不本意かもしれないけれど、最後の自分語り、これはこれで「ないない」だとおもう(そしてなので良い)
  • 昔、あずまんが大王が嫌いだった話 - 漫画皇国

    今は、あずまんが大王は何も嫌いじゃないというか、当は最初から別に嫌いなんかじゃぜんぜんなかったと思うけど、若い頃、あずまんが大王がすごく嫌いだと思っていた。嫌いだったというより、より正確には、これを面白いなどと思ってはいけないと思っていた時期がある。 漫画は何も悪くなくて、こんな風に名前を出すこともよくないのかもしれない。僕がなぜあずまんが大王を嫌いと思っていたかというと、僕が嫌いだった奴が「世界で一番面白い漫画は、あずまんが大王だ」と言っていたからだ。ほんとうにしょうもない理由だ。 僕が「あずまんが大王は面白い」と感じてしまうことは、「僕が嫌いなあいつの感性を肯定すること」だと思ってしまったのだと思う。そんなわけはないし、全く無意味なことを思っていたなと思うけど、当時はそう思わないでいられるような感覚がなかった。 その嫌な相手は、ある繋がりでたまに一緒の空間にいなければならない人だった

    昔、あずまんが大王が嫌いだった話 - 漫画皇国
  • 本は積んでおくだけで頭に入ってくるので読まなくておk - 屋上より

    * 序文・積ん読が頭に入ってくる話(1/4) 早稲田松竹でセルゲイ・パラジャーノフの映画を観た帰り道、身の回りでいちばんシネフィルの友人がこんな冗談を言っていた。「もし上映中に寝ちゃっても、まぶたをとおして光が透過してくるから実質観たのと同じだよ」と。そのとき、一年ほどまえの記憶がフラッシュバックした。 一年まえのわたしは京都の能楽堂にいた。知人の招待で能を観にいったのだ。能は美しいシーンと退屈なシーンが両方あり、うつうつらしながら観ていた。能楽師である知人はそれ以上で、上演時間の半分を寝て過ごした。そして終わってから後輩が挨拶にくると、「前半はまあまあだったが後半は緩んでたな」と、落ち着きはらって指導をした。居眠りの反省や決まりの悪さは微塵もなかった。横にいたわたしは彼を見ながら思った。マジでかっこいい。彼の態度は、怠慢さではなく、ある種の専門性、プロフェッショナルな感性のあらわれだと

    本は積んでおくだけで頭に入ってくるので読まなくておk - 屋上より
  • ねとらぼのライターが書いたリラックマとカオルさんのレビューがため息でるほど浅い - 将来キングギドラになりたいとか言ってた人のブログ

    久しぶりの更新が人の悪口とはどうなんだと思うが、はてなブログはだいたい人の悪口を書くところのなのでまぁいいかという感じである。 Netflixがこのたびに「リラックマ」のアニメを作った アニメといってもCGや作画ではなく人形を使ったストップモーションアニメで NHKでどーもくんなどを作っていたスタジオが担当しておりめちゃくちゃクオリティが高い。 で何が問題なのかというとこの記事である↓ headlines.yahoo.co.jp まぁ「リラックマの闇が深いとか話題だけど当にそうか?俺はカオルさんぐらいだめなやつだから共感できるしこのぐらいのダメさを闇とかいうなよ」みたいなヘラヘラした文章である、この人当にアニメ見たんか?。 リラックマとカオルさんの闇というのはカオルさんが取り残されてることそのものではなく、「取り残されてる=生きながらにして死んでいる」というこの作品のメッセージ性であっ

    ねとらぼのライターが書いたリラックマとカオルさんのレビューがため息でるほど浅い - 将来キングギドラになりたいとか言ってた人のブログ
  • 2019 - キッチンに入るな

    murashit
    murashit 2019/01/24
    10年てなると、宮沢『時間のかかる読書』の域だよなという感じがする、スタイルはぜんぜんちがうにせよ
  • マンガを読まなくなった理由 追記 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    マンガソムリエを自称して、10年程マンガのレビューをしてきたけども、一番読まれた記事が、先日書いた「マンガを読まなくなった理由」だった。 なんとも皮肉な話ではある。 しかし、まあそれはそれとしてたくさんの方に記事を見てもらえると、当然自分でもその記事を見直したりはするわけで。 そこで考えたことをつらつらと蛇足的に書き記しておこうと思う。 自分がマンガを読まなくなった理由は前回も書いたように連載マンガの長期化が主だ。 ただ、そうは言っても、どうしても頭をかすめるのは「加齢」の問題で。 つまり、結局のところマンガを読まなくなったのは、自分の好みの変化であったり、気力の衰えだったり、あるいはライフスタイルの変化だったりといった読む側の事情が締める割合も大きいのではないかということ。 前回の駄文でもそこは書いた。 ただ、改めて考えると、この「加齢」というファクターと、長期連載マンガの組み合わせの

    マンガを読まなくなった理由 追記 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)