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ブックマーク / ichinics.hatenadiary.com (78)

  • 日記日記 - イチニクス遊覧日記

    思ってることを思ってるように日記に書くのが難しくなってきたような気がする。もちろん、今までだって思ってることを直接そのままに書いてきたわけじゃない。けれど、今とても楽しいとか落ち込んでるとか、そういう自分の「気分」のことには、頓着せずに書いてきた。 私が日記を書き始めたのは、その当時勤めていた会社でいろいろもめ事があり、けして落ち着いて仕事をしていられる状況じゃなくて、そのストレス発散みたいな気持ち、だった気がする。あの頃は、朝から晩まで、あの場所にいるのが嫌だなーてことばっかり考えてて、でも日記に会社のこと書いたことはほとんどなかったんだけど、それでもなんかすごく、日記を書くのは楽しかった。 考えたいことを考えて、好きなものの話をして、私の日記にたまに出てくるけど「コピーロボット」と話をしたい、というのは、この日記を書く作業にちょっと似てるのかも。つまり、書くことは自分に向けて話すことに

    日記日記 - イチニクス遊覧日記
  •  すばらしいたのしいうれしい - イチニクス遊覧日記

    完全に自業自得に風邪を引き3日間寝込んだ。雨にぬれたら即、風呂に入ってあったまるべきなのにそうしなかった自分が悪いんだけど、とにかく明け方に暑くて目が覚めたら熱いの自分だったって具合に風邪をひき、そんなわけでこの数日ひたすら眠っていた。べ物もないし飲み物も、麦茶パックもきらしていたので、一度だけ近所のコンビニに買い出しにいったけれど、それ以外はずっと、部屋の中で寝て,寝て、眠っていた。寝ながらポカリを飲み、ゼリーを掬った。 長い時間、眠りながら何か考えてるんだけど、自分が何を考えているのか、よくわからなかった。そのわからなさについて、誰かと、もしくはコピーロボットと、話をしてみたいのだけど、それが、わからないねーと言いあいたいからなのか、わかるためのヒントがほしいのか、どっちでもいいじゃんと言ってもらうことで安心したいのかできるのかなんてそんなこと知らないけど、とにかくひとりで考えてんの

     すばらしいたのしいうれしい - イチニクス遊覧日記
  •  100年後の Google ストリートビュー - イチニクス遊覧日記

    グーグルは5日、無料の地図検索サービス「グーグルマップ」に、地上から見た写真が見られる機能を追加した。従来の航空写真に加え、360度のパノラマや空を見上げた角度の風景を表示でき、待ち合わせ場所の検索といった利用を見込む。 http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY200808050406.html 先日、日でも公開された Google の新サービス「ストリートビュー」を見てみた。地名や住所から地図を検索すると、地図と一緒にその場所の風景まで表示されるというもの。 Googleの車が360度カメラを載せてこまごまと撮影してまわったらしく(というとなんだかアナログな気がするけども)、今はまだ都心部のみではあるものの、ずいぶんと細かい道まで撮影されていて驚いた。 そのストリートビューで私が最初に検索したのは、やっぱり地元だった。こういうときは、不

     100年後の Google ストリートビュー - イチニクス遊覧日記
    murashit
    murashit 2008/08/08
    幅奥行きと、でもって時間の3次元について
  • 恐怖 - イチニクス遊覧日記

    相変わらず台所で豚料理ばかりしている毎日なのですが、最近すごく嫌な予感がするのでそのことについてお知らせしたいと思います。 それは流しの下にある扉についてる包丁収納のことなんですけども、 ←こういうの いつかこう、手が滑ってこの隙間に包丁を入れられなくて、足に包丁が刺さるんじゃないか…って気がするんですよね。気がするのでよーく見ていれるようにしてるんですが、それでもなんかこわいなーと思いながら今日も包丁をしまいました。 ギャー! そんだけです。

    恐怖 - イチニクス遊覧日記
    murashit
    murashit 2008/08/06
    無事に仕舞えなたのならそんな恐い絵見せないでください!ギャー!
  •  昔話/コンクリート - イチニクス遊覧日記

    あやちゃんと一緒だったから、あれは小学校にあがる前か1年生の頃のことだ。私たちの主な遊び場であった空き地に、家が建つことになった。 私とあやちゃんは隣同士の家に住む同級生の幼なじみで、その空き地はあやちゃんちの向かいにあった。春にはレンゲやクローバーの咲くいい感じの原っぱで、広くはなかったけれど、木の柵を越えれば菜の花畑が広がっていて、その奥には竹やぶまであった。夏にはショウリョウバッタやトノサマバッタを追いかけまわし、秋が近付く頃にはコオロギやら鈴虫も捕まえた。一度、偶然に虫取り網にスズメを捕まえてしまったことがあって、飼いたいといったら祖父に怒られなくなく放したことがある。あのときのスズメはさぞかしはらはらしたことだろう。悪いことをした。 そんなふうに、私とあやちゃんは晴れた日にはもっぱら、その空き地で遊んでいた。手先の器用だった(たしか映画の美術さんだった)あやちゃんのお父さんにベン

     昔話/コンクリート - イチニクス遊覧日記
    murashit
    murashit 2008/08/05
    どうしてあんなに高揚しちゃうんだろう
  • アラビアの夜の種族/古川日出男 - イチニクス遊覧日記

    アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫) 作者: 古川日出男出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2006/07メディア: 文庫購入: 25人 クリック: 209回この商品を含むブログ (208件) を見る夢中になって読みました。上巻を古屋で買い、すぐに読み終えて中巻を買いに書店へ行き、それも読み終えて中巻を買ったのと同じ書店に下巻を買いにいくと上巻のみで中下と売れてしまっており、なんで中巻買ったときにあわせて買わなかったんだろうと後悔し、いくつかの書店を巡って下巻を買い、すぐさま喫茶店によって読みはじめる。巻を追うごとに分厚くなっていくのが嬉しい、と、思うような読書は幸せだ。 古川日出男さんの小説はすきで、たぶん『ゴッドスター』くらいまでは新刊を追うようにして読んでいた。けれどだんだんとスピードアップする文体の、強調されるリズムに、ちょっと疲れてきてもいて、だから読もう読もうと思いつつそ

    アラビアの夜の種族/古川日出男 - イチニクス遊覧日記
  •  崖の上のポニョ - イチニクス遊覧日記

    平日の夜だというのにほぼ満員になっている場内を見回して、あらためてジブリが “アニメーション” スタジオという前提、もしくはハードルをこえて多くの人に信頼され期待される映画の作り手であるんだなあということを思いました。ジブリは、アニメだからとか実写だからとか、そういう枠を越えたところで、ちょっと特殊な期待をされているように思う。まあ、それはディズニーにもいえることなんだけど、その期待のされかたはもっと、漠然とした、新しいものへの期待のような気がする。それでもその期待にはある程度の方向性があって、「崖の上のポニョ」は結果的にその枠を裏切り/もしくは取っ払いつつも、圧倒的な特別を見せつける映画だったと思う。 → 映画がはじまってまず驚いたのは、絵がものすごく動いているということだった。宮崎駿というひとは、すごく、アニメーションであることにこだわっている人だと思うけど、「崖の上のポニョ」はそのこ

     崖の上のポニョ - イチニクス遊覧日記
  •  豚茶漬け - イチニクス遊覧日記

    豚茶漬けをべると、T兄のことを思い出す。T兄は母方の従兄弟で、私にとっては実の兄のような存在だ。 T兄が私の家に下宿していた受験生の頃、私はまだ中学にあがったばかりだった。 T兄が暮らしていた部屋には、大量のカセットテープと、古めかしい石油ストーブがおかれていた。T兄はアジア音楽のメールマガジン(郵便)のようなものを発行していて、大量のカセットテープの背面には、難しい漢字や、ハングルや、見たことのない文字が並んでいた。中には彼が作曲したテープもいくつかあって、それは祖母いわく「なにやらわからん」音楽だった。私も聞かせてもらったことがあるけれど、ほとんどがオルガンの単音がいつまでも続くような、すこし不安になる音楽で、いつも穏やかな従兄弟がこれを弾いたというのは、なんだか意外にも感じられた。T兄はいつも、ウナギ犬の描かれたバックを持って予備校に通っていた。 そんな従兄弟の部屋のストーブの上に

     豚茶漬け - イチニクス遊覧日記
  •  話すこと書くこと - イチニクス遊覧日記

    電車の向かいの席で、2人の男の子がPSPやってた。モンハンかな。そういえば弟が「俺の PSP かわない?」とかいってたけど、あれどうしようかな。DS もやる暇ないのにむりか。でもゲームしたいなーとか、考えながらぼんやりしてたんだけど、ふと、その片方の男の子が 「あーくそ、死ねばいいのに」と言ったのにちょっと驚いて、顔をあげた。そのときに思ったこと。 → 面と向かって発された言葉の場合、相手の反応次第でその言葉の受け取られ方がある程度わかったりもする。その男の子も、たぶん冗談で「死ねばいいのに」を使ったんだと思うけど、友達の方はちょっとひっかかったみたいで、苦笑いしてスルーした。 でも、この苦笑いは、文字でやり取りするネットでは伝わらない。そのことにあらためて気付いたように思う。 「死ねばいいのに」というフレーズが、私は好きじゃないんだけど、そんでもネット上で使われるとき、それはたぶん当に

     話すこと書くこと - イチニクス遊覧日記
  •  おやすみプンプン3巻/浅野いにお - イチニクス遊覧日記

    おやすみプンプン 3 (ヤングサンデーコミックス) 作者: 浅野いにお出版社/メーカー: 小学館発売日: 2008/06/05メディア: コミック購入: 5人 クリック: 79回この商品を含むブログ (172件) を見る浅野さんの漫画に対して、私は「ソラニン」で、少しだけ居心地が悪くなってしまい、構えてたところがあるんだけど、あそこにあった面映いような心情描写はこの「おやすみプンプン」にはもうない、ような気がする。語り口と裏腹に、描かれていることがどんどん切実になっていって息苦しいくらいだ。 「おやすみプンプン」は、一見するとそのビジュアルもあって、ちょっとあざとい、奇抜な漫画に感じられるかもしれない。しかしプンプンの造形は、見た目のインパクトだけでなく、物語の駆動力として、感情描写の手段として、すばらしく機能している、と思える。シンプルな線で描かれるプンプンの、この表情の豊かさを見てよ…

     おやすみプンプン3巻/浅野いにお - イチニクス遊覧日記
  • 焼きそばパン - イチニクス遊覧日記

    青春のうちに経験しておきたいことベスト3といえば、パンをくわえて走る女の子と激突、土手で殴り合った後の仲直り、そして夜の学校のプールで泳ぐ…なんじゃないかと思います。ちなみにこれは今週の結果ですので、来週のベスト3がどうなるかはわかりません。学校が変形してロボットに、とか、掃除用具入れからコックピットに、とか、秘密のお茶会に参加、とか、図書室の隠し扉を発見!とか、いつもは怖いAクンが子を拾っているところに遭遇…とか、候補はいろいろありますけど、とりあえず夏も近づいてきた今、今週の第1位には夜のプールを推したいです。 これに憧れる理由はたぶん『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の影響なんじゃないかと思いますが(奥菜恵はあの頃からいろっぽかったよなー)、それ以外にもいくつかの「夜の学校のプール」物語を読んだことがあるような気もするので、たぶんわりにスタンダードな「青春のワンシーン

    焼きそばパン - イチニクス遊覧日記
    murashit
    murashit 2008/06/05
    夜のプールってむしろ「大人になって帰ってくる場所」なのかもしれない
  •  おとうと - イチニクス遊覧日記

    私には2人弟がいる。妹は1人だけど、弟は2人いて、長女であるわたしをいれると全部で4人きょうだいだ。ところで兄はいないのに兄弟って書くの何か違う…ってよく思うので、いっそ兄弟姉妹どの組み合わせでも「きょうだい」て読めばいいんじゃないかな。私の場合「弟弟妹」。妹からすれば「姉兄兄」、上の弟からすれば「姉弟妹」下の弟なら「姉兄妹」だ。たぶんわかりやすい。かな。そうでもないかもしれない。 → ところで先日、めずらしく上の弟と外出して、いろいろ話をする機会があった。妹とはよく遊ぶものの、弟と一緒に出かけることはほとんどないので、ちょっと新鮮だった。特に上の弟とふたりきりなんて、弟が私を「姉貴」と呼びだしてからは初めてのような気がする。 …そういえばあの「姉貴記念日」は衝撃だった。弟が高校生の頃だったろうか。ある日の夕時、突然「おふくろ」「おやじ」「あねき」を使いだした弟に何があったのかはわからな

     おとうと - イチニクス遊覧日記
    murashit
    murashit 2008/05/30
    やっぱりみんなジャブするよな・・・かめはめ波とおなじ,大人の階段の一つのステップなんでしょうか
  • 町 - イチニクス遊覧日記

    金曜日は仕事ではじめておりる駅の、はじめて歩く町へ行った。大通り沿いは大きなマンションばかりだったけれど、一道を入ればのどかな住宅街だし川は流れているしで、いいところだなと思う。その反面、もし自分がここに住むならと想像してみると、やはり自分が長年暮らしてきた町のつくりを前提に歩いてしまうところがあって、例えば駅前には商店街があり、道は細く入り組んでいて、車もすれ違うのに難儀するような路地を抜け大通りに出て商店街を抜ければまた駅がある、はずだ、と思って私は歩く。でも、当たり前だけど、大通り沿いに駅がある町もあれば、駅からはなれたところに商店街がある町もあり、だから、はじめていく場所で戸惑うのは、こうして駅と自分のいる場所の感覚が、よくわからないからなのかもしれない。そんなことを考えながら黙々と歩く。 最近は予想もしないところに大きな穴のような更地があったりもするけれど、そういえば以前「都市

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  •  昔話/マンモスホームセンター - イチニクス遊覧日記

    昔、うちの近所に、金魚と植物を売ってるホームセンターみたいなのがあった。ふたつある入り口の左手側には、たくさんの金魚が泳いでいる池(というか大きな容器)が並んでいて、その奥には壁一面をぐるりと水槽にかこわれた部屋があった。お祭りなどで金魚すくいをしたあとは、よくここへ餌を買いにきたりもしたし、熱帯魚や海老や亀を見物しに行ったこともある。そういえば、うちの庭に埋めてある池も、たしかここで買ったやつだったと思う。池に放たれたまま行方不明になったと思われた金魚が数年後、池掃除の際に20センチはあろうかという巨大な魚に成長して現れたときは金魚の生命力すげーと思ったりもしたけれど、驚いて報告してみたら、母親はそんなこととっくに承知しており、しかもなぜか「ポラリスちゃん」などと名前を付けていたので私は長いこと「ポラリス」って「すごく/でかい」って意味だと思ってた…というのはまた別の話。 → 反対側の入

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    murashit
    murashit 2008/03/30
    帰郷したくなった
  • ファミリーレストラン - イチニクス遊覧日記

    ピンポーンと間の抜けたチャイム音が鳴り続けているのは、入り口で子どもが出たり入ったりを繰り返しているからで、フロアに顔を向けて立っている制服を着た店員は、もう振り向くことすらせず曖昧な表情を浮かべ、ここではないどこかのことを考えているようだった。入り口で遊ぶ子の親は、わたしたちの座る窓ぎわと反対側の奥にあるソファ席で眠っている。赤いTシャツを着た父親らしき男性は腕組みして帽子を顔に乗せていたし、白っぽい服をきた母親らしき女性は机に突っ伏していて、その左手は傍らのベビーカーに添えられていた。中にはきっと、赤ん坊が眠っているのだろうと思う。 静かだった。朝7時のファミリーレストランで、わたしたちは時間をつぶしていた。フォークを手に、その傷だらけの銀色を眺める。まっさらなのより、こういうののほうがなんとなくいいよ、眩しくなくてさ、とか思うが口を開くのはためらわれた。言葉を選ぶ代わりに、ホットケー

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  •  殺したくない、と思うわけ - イチニクス遊覧日記

    例えば私は、死刑制度なんてなくなったほうがいいと思っている。それが犯罪抑止力として役立つとはあまり思えないし*1、なにより自分がその「死刑」の一端を担っていることが、にもかかわらずそれを遠く感じていることが、嫌だからだ。しかし、好むと好まざるとに関わらず、この国の国民である時点で、その制度があることに、参加していることになる。つまり、私もまた人を殺している、と、考えるだけでぞっとする。 それは被告に対する同情とかではなく、単に、自分が人一人が死ぬ、という大事に関わりたくないという利己的な感情にすぎない。 とはいえ、罪を犯した人は、その罪に対して何らかの罰を受けるべきだ、と思ってもいる。それは今、人が集団で暮らす場のルール/法律としてあるけれど、 来、それが起こらずにすむ、という理想は罰があるからではなく、個々人に期待される「品性」のようなものによって支えられているはずだ。 もちろん、そこ

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  •  回るリンゴ - イチニクス遊覧日記

    いつもより、すこしはやく目が覚めたので、すこしはやく、家を出る。朝7時台の空は、朝焼けの余韻が少しだけのこる白っぽい青なのだけど、足元にのびる影は濃い。濃くて、輪郭もくっきりとしている。なぁ、なんて思っていたら、ものすごい音をたてて、目の前の車が滑ったので驚いた。前輪を軸に、後輪が45度くらい回って、とまる。道はすいていたので事故にはならなかったみたいだけど、そのときバス停に立っていた私の隣で、誰かが「あぶないなぁ」と言い、私もそれに頷きつつ、バスでも電車の中でも会社についてからも、あの車のことを、考えている。むかし見たディズニー映画かなにかに、リンゴの皮がシュルシュルと向けて芯だけになっちゃった!みたいな場面を見たような気がするんだけども、あんなふうに急ブレーキでとまったら、タイヤが擦り剥けてホイールだけになっちゃったりしないのかなと思う。心配になったので、あの、油圧式のあれかましてやり

     回るリンゴ - イチニクス遊覧日記
  •  わたしがおじさんになったら - イチニクス遊覧日記

    一生ってなんで一方通行なんでしょうか。たまには、おじさんになったりおばあさんになったり小学生になったり中2男子になったり、つまり男になったり大人になったり子どもになったり女性になったり、してもいいんじゃないかな。 でもそんなの外見でしょ、外側が何でも、自分は自分なんだから、という考えの人もいるかもしれない。でも、とりあえず私はいまのところ、外側がかわれば中身もかわる、と考えています。なんて言葉にすると、まるで外見がすべてと言っているみたいに受け取られがちだけど、もちろんそういう意味ではなくて、属性の束の、一要素である外見が変われば、その集合である私も少なからず変わるのは自然なことだと思うに至った(それはこの日記を書きはじめてから今までに気付いたことのひとつでもあります)。要するに、中2男子として扱われてるうちに、精神的にも中2男子に近付かないとは言えないんじゃないのということです。ちょっと

     わたしがおじさんになったら - イチニクス遊覧日記