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社会に関するquatrosheのブックマーク (238)

  • 勉強を面白くしてはいけないという方針でもあるのだろうか? - ファミリー メンタル クリニック

    ボクは別に勉強は嫌いではなかった。 でも大好きかと言われると、それほどでもなかった。 ただ、高校で数学教師が偏屈者で(失礼)小言・嫌みをねちっこく言う人だった。 最初は問題を解くときに当てられないように下を向いていた。 でも、数学が嫌いな訳じゃなかった。中学の成績もずっと「5」だった。だからと言って大好きな訳でもなかった。 どちらかというと地元の高校に進み英語を勉強してアメリカ留学を夢見ている方だった。 高校のそんな嫌みな教師からぐちぐち言われるのもイヤで、予習をした。(結果として2年間担任となる教師でリタイヤ後は鹿児島の実家まで挨拶に伺った。今では年賀状も来ないところを見ると・・・・) 授業中に当てられても困らずに解答できるように。チャート式などで似たような問題を調べながら、教科書の問題を出来るだけ全て予習し解答を作っていた。 そんな勉強をしているウチに、「大学への数学」という雑誌を知っ

    勉強を面白くしてはいけないという方針でもあるのだろうか? - ファミリー メンタル クリニック
    quatroshe
    quatroshe 2012/04/13
    結果が一緒でも、より苦痛・苦労に耐えて勉強・習得したほうが人間修養的に価値がある、とか思い込んでる、反理性主義でマゾ体質の修道バカの類が多いんだよな、この社会は。
  • SYNODOS JOURNAL : 生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会 荒井裕樹

    2012/2/2912:35 生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会 荒井裕樹 ■障害者運動の「新規参入組」? 先日、1970〜80年代の障害者運動を担った古老と、何気ない会話をしていたときのこと。障害者運動の「生き字引き」ともいわれる当の古老が、「精神」や「脳機能」の領域に障害を持つ人々を指して――話の流れでは、とくに「発達障害」(「自閉症」や「アスペルガー症候群」といった障害群)の人々のことが中心であった――「新規参入組」と称したことがあった。 たしかに「発達障害」という言葉が、一部の医療・福祉関係者だけでなく、市井の人々にも知られるようになったのは比較的最近のことである。わたしのそれほど広くはないアンテナにも、「発達障害」を持つ当事者や家族たちの活動が盛んな様子が仄聞される。今なお誤解と偏見の多いこの「障害」に関する啓発や、医療・福祉制度の整備を求める運動(この「

    quatroshe
    quatroshe 2012/02/29
    「みんなちがって、みんないい」とは逆方向な、「なんでオマエだけ出来ないんだ」的同質化を仕向けることに快感覚える変態どもがはびこるような社会じゃ、このての自己卑下的精神防衛法に頼りたくもなるというもの。
  • 時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇自由な個人の連帯こそ 3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。 確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。 しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。 語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の

    quatroshe
    quatroshe 2011/12/12
    震災を利用した姑息な「ひとつになろう」だの「絆」だののキャンペーン仕掛けてる奴らが、「人間の最終単位は個である」ことを絶対に認めようとしない「ムラビト淋しんぼう体質者ども」であることは、まあ確実ですね
  • 「ラーメンと愛国」書評 なぜ作務衣を着るのか|好書好日

    ラーメンと愛国 [著]速水健朗 確かに謎だったのだ。なぜ最近のラーメン屋店主は、藍染めのTシャツや作務衣(さむえ)を着てタオルを頭に巻くのか。なぜ相田みつを系の人生訓やら「ラーメンポエム」を壁に張り出すのか。 こうした疑問にピンと来た方は手に取るべし。巻措(お)くあたわざる知的興奮で満腹になることうけあいである。 もともとは中国発祥のラーメンが、なにゆえ国民とまで呼ばれうる存在となったのか。著者はその背景に敗戦後に展開されたアメリカの小麦戦略と大量生産、大量消費の時代をみる。登場人物はチキンラーメンの発明者・安藤百福(ももふく)から列島改造の田中角栄まで多士済々。一杯のラーメンには戦後日の消費文化史が凝縮されているのだ。 作務衣に象徴される「捏造(ねつぞう)された伝統」という物語に依拠するナショナリズム、それがラーメン道だ。著者の得意とするヤンキー文化への接続がなされないのは心残りだが

    「ラーメンと愛国」書評 なぜ作務衣を着るのか|好書好日
  • 「反戦と抵抗のフェスタ2011 がんばらないよ!ニッポン」に賛同します - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/KYfesta2011/20111013/1318517161 反戦と抵抗のフェスタ2011 がんばらないよ!ニッポン お上も下々も、右も左も「がんばろう」? 「日はひとつ」じゃない! ずっと異常事態だったでしょ? 3.11にはじまったことじゃない! 日時 11月23日(水・休日) 12時30開場 13時00分開会 20時閉会予定 場所 千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅徒歩10分) http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kmkaikan/km_sendagaya.html 資料代 500円 【実行委員会への参加者募集!】 ※ お問い合わせは→ war_resisters_fes11 あっとまーく yahoo.co.jp 《基調よびかけ》 「脱原発」「エネシフト」、けっこうもりあがってる。 でも、廃炉になれば一件落

    「反戦と抵抗のフェスタ2011 がんばらないよ!ニッポン」に賛同します - 過ぎ去ろうとしない過去
  • もう「天才」は育たない…ノーベル賞候補者がこの国を出て行く理由(井上 久男) @gendai_biz

    人のノーベル賞候補が話題になるといつも感じることがある。ノーベル賞を取る日人には、日の大学から出て行った人がかなりいるのはなぜか、という点だ。海外に研究拠点や住居までも移してしまっている。 たとえば、2014年にノーベル物理学賞を受賞した元日亜化学工業の中村修二氏も日を捨てている。筆者は中村氏の講演を聞いたことがあるが、冗談交じりに「日では産学連携で国立大学の教員が企業と一緒に先端的な研究をしていたら、贈収賄で捕まることもあるかもしれない」と語っていた。 大学など日の研究機関は「異端者」を評価しない傾向にある。それ故優秀な研究者は日に嫌気して、「おさらば」しているのだろう。 「異端者」は率直な物言いをし、周囲と摩擦を起こす。だから「異端者」なのだが、要は日の研究機関は「うるさいやつ」を嫌うのだ。学会の仲間内で論文を評価し合い、その評価が研究者としての出世につながる傾向が強

    もう「天才」は育たない…ノーベル賞候補者がこの国を出て行く理由(井上 久男) @gendai_biz
  • 『国家神道と日本人』への批評について(2)――子安宣邦氏の再論に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    10月10日に子安宣邦氏の「怒りを忘れた国家神道論――島薗進『国家神道と日人』」という論説(第1論説)が、「ちきゅう座」(http://chikyuza.net/n/archives/3705)というサイトに掲載され、私はそれに対する応答を「『国家神道と日人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する」と題して、私自身のこのブログ「宗教学とその周辺」に掲載した(第2論説)。これについて「ちきゅう座」から掲載の要請があり、私はそれに応じた。続いて、10月29日づけで「ちきゅう座」に子安氏の「イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由」と題する島薗批判の再論が掲載された(第3論説)。この第3論説は私の論旨への誤解、無理解、および現在の国家神道をめぐる論争状況への誤解、無理解が顕著に見えるので、この論説で応答しておきたい。 子安氏は、「国家神道」概念の見直し論が問題なのだと書い

  • イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授> 私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。 現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。 だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂

  • 『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する - ちきゅう座

    <島薗 進(しまぞのすすむ):東京大学教授> 7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。 私が敬愛するある宗教哲学者は、「輻輳した歴史の現実態の中に分け入り、しかも山に入って山を見ずではなく、おのづから筋道があらわれて見えて来」、「私にとって最近にない良書」だったとおほめ下さった。私信では日近代史や日思想史の研究者からも概ね好意的な評価をいただいているが、ネットに現れた感想や批評の中に「自己中心的だ」とか「けしからん」とか「新書に合わない」という反応があったのにはやや驚いた。このは論争を踏まえた書物なので、これまでの議論の弱点について批判的に述べて新たな立場を鮮明に示そうと

  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

  • なんとか速報 犬の殺処分ひどすぎ吹いたwwwwwwwww

    1: 忍法帖【Lv=15,xxxPT】 :2011/09/04(日) 06:06:02.90 ID:R6G+RUOO0 2: 【11m】 :2011/09/04(日) 06:07:08.07 ID:pp4OpxJ80 怖くて見れない 5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/04(日) 06:08:30.52 ID:Q1PMFYVB0 の殺処分もあるけどやっぱり犬の殺処分の方が多いよね 犬派はこの事に対してどう思ってるの? 16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/09/04(日) 06:13:18.20 ID:ypeGiMavO >>5 犬の方が家庭で飼われてる絶対数が多いからね ペットショップがすべての元凶だな 日は犬を法的には物として扱うことがいかん 法改正すべきだと思ってるがアメリカみたいな馬鹿な州法が出てきそうでワラエナイ 毎

  • サンデル教授のような授業は例外? 米国のエリート大学の本当の姿 - ニュース|BOOKSTAND

    東日大震災をきっかけに、私たち日人が目の当たりにしたことが二つありました。一つ目は、失意のどん底でも取り乱さない被災者や、寝を忘れて災害救助に励む自衛隊員たちの存在。彼らの姿は世界中で賞賛されました。 二つ目は、危機に右往左往する総理大臣、肝心なところで病床に伏せる東京電力社長をはじめとする、日のリーダーたちの醜態。彼らの姿は、世界中で嘲笑されたと言います。 現場の優秀さ、勇敢さが際立つほど、エリートたちの質の低さが露呈した今回の大震災。「そのあまりに鮮明なコントラストは、日人に希望と絶望を与えた」と、東洋経済新報社の雑誌記者・佐々木紀彦氏は言います。「日はなぜこうもリーダーに恵まれないのか――。今われわれは、こう自問自答せざるをえない状況にある」と。 優秀なリーダーを生んでいる国として、しばしば米国や英国の名前が上がります。しかし、両国の国民は日の国民に比べてそんなに優秀で

    サンデル教授のような授業は例外? 米国のエリート大学の本当の姿 - ニュース|BOOKSTAND
    quatroshe
    quatroshe 2011/08/01
    似非エリート?幅を利かすようになった?「一億総懺悔」なるレトリックで責任の拡散霧消化を図ろうとした皇族首相はいても、明治この方、ノブレス・オブリージュを体現した人物なんて真エリート層ですら何人いたやら
  • http://www.animal-family.org/index.php?itemid=661

  • 渡邊芳之 on Twitter: "弱者にだけ都合のいいことには反対。弱者のための施策が切り捨てられても無関心。自分たちに都合がよくてたまたま弱者にも都合のよかったことが危うくなると「弱者を切り捨てるな」という。"

    弱者にだけ都合のいいことには反対。弱者のための施策が切り捨てられても無関心。自分たちに都合がよくてたまたま弱者にも都合のよかったことが危うくなると「弱者を切り捨てるな」という。

    渡邊芳之 on Twitter: "弱者にだけ都合のいいことには反対。弱者のための施策が切り捨てられても無関心。自分たちに都合がよくてたまたま弱者にも都合のよかったことが危うくなると「弱者を切り捨てるな」という。"
  • 連帯保証人っていう制度は人が不幸になるしかない制度だよね おもいっきり濁点

    1:名無し募集中。。。:2011/04/10(日) 12:44:02.11 ID:0 考えた奴頭おかしい 2:名無し募集中。。。:2011/04/10(日) 12:48:10.30 ID:0 保証人制度は廃止した方が良いな 海外は基的に無くても上手く行ってるし 6:名無し募集中。。。:2011/04/10(日) 12:55:02.52 ID:O アメリカも連帯保証人のシステムはあるよw ただ保障人からお金をとると違法になるが 14:名無し募集中。。。:2011/04/10(日) 13:02:03.76 ID:0 >>6 それは連帯保証人では無いよ 連帯保証人って言うのはお金を払う事も含まれる 単なる保証人じゃ無い 4:名無し募集中。。。:2011/04/10(日) 12:53:32.77 ID:0 賃借人が家賃滞納してるから保証人に請求すると 何で俺が?みたいな態度 保証人の意味分からず

    quatroshe
    quatroshe 2011/05/02
     ある場面では「自己責任」を口にしながら、他の場面では「連帯保証」を擁護してるようなヤツは、少しは自分の御都合主義的な人間的デタラメさに思い至れや。
  • 半藤一利氏 『昭和史』 - Chikirinの日記

    半藤一利氏の『昭和史』を読みました。 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー) | 半藤 一利 | | 通販 | Amazon → 昭和史 1926-1945 キンドル版 → 昭和史 1926-1945 楽天ブックス 半藤氏は、『週刊文春』や『文藝春秋』の編集長をつとめ、その後は作家となって、昭和史に関する様々なを書かれています。 こののあとがきに「昭和の語り部」とあるように、半藤氏が生徒に語りかけつつ、授業をする感じで書かれていてとても読みやすいとなっています。 「日政府はこんなアホなことをしていたのだ」的なカジュアルな文章なんだよね。 また、「時系列に語る」という歴史の勉強には最も適切な方法論でまとめられていて、何がおきていたのかよくわかります。 深い内容なのでひとつのエントリで感想を書くのは難しいのですが、とりあえず印象に残った点について書いておきます。 ★★★

    半藤一利氏 『昭和史』 - Chikirinの日記
    quatroshe
    quatroshe 2011/05/01
    エネルギーシフトを否定し大艦巨砲にこだわる原発推進/持たざる者の論理+自らの意志決定責任を回避した破綻後の被害者意識=一部原発被災者/「最悪のケース」は考えない/政策・経営責任回避狙いの総懺悔誘導
  • 堀江貴文の意志 (実刑確定のニュースを聞いて) | NextRenaissance (ネクスト・ルネサンス)

    私が堀江さんと出会ったのは、2002年12月の渋谷。まだ雑居ビルにエッジという社名で入っていた頃のことだ。 かつての上司である伊地知さん(後にライブドア上級副社長)に誘われて転職し、社長室 新規事業開発グループのプロデューサーとして参加。後にライブドア社を買収し、自社の社名もエッジからライブドアへと変更して、六木ヒルズへと移転。その後は世間の知る通りの軌跡を描く。 あの事件から5年。 今回の実刑判決のニュースを聞いて、私が感じたのは「悔しい」という想いだ。 若気の至りかも知れないが、当時は真剣に『ITを道具に社会の仕組みを変えることで世の中をよくしたい!』と考えていた。堀江さん、伊地知さんらと7名でライブドア事業部を立ち上げてからの4年間、当にいろんなことがあったが、私が知っている堀江貴文は世間で報道されているような人物ではない。 あるとき、社内レイアウトの変更の為に不用品の整理をして

    堀江貴文の意志 (実刑確定のニュースを聞いて) | NextRenaissance (ネクスト・ルネサンス)
    quatroshe
    quatroshe 2011/04/28
    このての「ちょっといい話」って探せばたいていの人間にあって、社会的逆風受けてる人間を擁護する側が必ず使うパターン的手法。なので、このての話術を使う人にたいしては「ちょっとなぁ」という感覚をもってしまう
  • 【閲覧注意】2011年ピューリッツァー賞ニュース速報写真部門はハイチ地震 | デジタルマガジン

    4月18日に2011年ピューリッツァー賞が発表され、2つある写真部門のうち、ニュース速報写真部門をハイチ大地震の被災地を取材したワシントン・ポストが獲得しました。 今日はピューリッツァー賞に選ばれた20枚の写真を紹介します。写真のタイトル、キャプションを翻訳していますが、表現が難しいものもあるのでタイトルは原文を併記しています。また、興味のある写真のキャプションについてはリンク先で原文を確かめてください。 無実の死(Death of Innocence) ポルトープランスにて瓦礫の中で動けなくなっている先生を助けるため、机に挟まれて死んでいる女子学生の横を這うハイチの男性。 2010年1月15日撮影。キャロル・グジー(Carol Guzy)。 砕かれた命(Shattered Lives) ハイチの人たちは押しつぶされた石膏とセメントの山から家族を手で掘り出し、その遺体を街角に積み、血まみれ

    quatroshe
    quatroshe 2011/04/25
     やっぱり日本の新聞報道写真は写真としてつまらないな。
  • 【まとめ】大衆が好む「チンピラ文化」とは

    「チンピラ文化」はなぜ支持を得、許容され、理解を示されるのか。Kksgaさんによる考察をまとめました。 追記:2011-04-20 ツイートを追加。 過去に、根敬さん、故・ナンシー関さんによる「ヤンキーとファンシー」論がありました。今回まとめた私は「ヤンキー≒チンピラ」と解釈しています。

    【まとめ】大衆が好む「チンピラ文化」とは
    quatroshe
    quatroshe 2011/04/19
     2ちゃんねる近辺には、チンピラ・DQNを叩きながら、実は人格的類似性は高そうなやつらがかなりいる(=ネット珍走)
  • 三発目の原爆は日本に落ちる | すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた

    ヒロシマ、ナガサキから六十年。折り返し地点である半世紀を過ぎて早や十年。特にここ数年で五十周年を記念した十年前と「戦争」にたいする社会の空気が明らかに違う。それが何を意味するのか分からない(短絡的に「軍国主義化への道再び」とは言わない。そんなことは有得ない)。しかし近世以降の日人は明らかに何かが狂ってしまっている。そして基的にその「狂い」は今でも温存されていると思わざるを得ない。 森有正のエッセーに、あるフランス人の女学生と雑談の最中に「三発目の原子爆弾は日に落ちると思います」といわれて絶句してしまう場面がある。森が絶句したのは、彼女の言葉が思いもよらなかったからではなく、その反対にまったく当然のことのように納得できてしまった自分自身に驚いたことが原因だった。それはなぜか、というところに森の思索の核心に触れる部分があるのだが、簡単に言ってしまえば、日人には自己規定能力が欠如している

    三発目の原爆は日本に落ちる | すみっこ(ウクライナ)で見た、聞いた、考えた
    quatroshe
    quatroshe 2011/04/08
     “日本人は慣性・惰性的全体主義の画一性においては絶大な生産性を発揮する能力があるが、向かうべき方向を変更する自己修正能力には全く疎いこと、そして圧倒的他者の介入なしには自滅するまで修正できないこと”