当時のNHKや他メディアの報道内容を伝えます。 石巻日日新聞の情報は「6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録」石巻日日新聞社 編(KADOKAWA/ 角川SSC新書)より。 民放の情報は(株)エム・データまとめ。
![東日本大震災タイムラインプロジェクト|NHK NEWS WEB](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f9ec5e0bd75b54466ca60802aca4389dba884093/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww3.nhk.or.jp%2Fnews%2Fspecial%2Fshinsai-portal%2Ftimeline%2Fassets%2Fimg%2Fogp.jpg)
東日本大震災アーカイブスでは、当時の映像を時系列に並べることで、何がどのように起こったのかをふりかえります。正直、まだふりかえりたくないという方も少なからずいらっしゃるかもしれません。しかし、何が起こったかを改めて見ることで、気がつくことも多いと考えます。発災から72時間に起こったことを、映像とともに見つめなおすことで、災害への備えの大切さや今後のための教訓について、一緒に考えることができればと思います。 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、国内の観測史上最大のマグニチュード9.0を記録。(2011年3月13日気象庁発表) 死者・行方不明者は、1万8446人にのぼっている。(2017年3月10日 警察庁発表) 映像視聴時のお願い このサイトでは、東日本大震災に関する映像(津波や火災など)を公開しています。 このため、映像をご覧になった時に精神的なストレスを感じられる方もいらっしゃ
#東日本大震災から10年 フォローしている人の地震発生直後のツイートを表示して、当時のTLを再現するリンクです。検索画面に移動するので、タブを最新に切り替えてご覧ください。 発生後10分間… https://t.co/W8bhYjmT4l
「取り舵30度、戻せ、戻せ」-。東日本大震災の津波が岩手県釜石湾に押し寄せる中、出港し、沖に向かう海上保安庁巡視船「きたかみ」。同船が3月11日午後3時すぎに撮影した映像を4月28日、海上保安庁が公開した。 釜石湾に設置された2本の防波堤は、「世界最大水深の防波堤」としてギネスブックに登録されている。映像には、「きたかみ」が津波により破壊された「世界最大水深の防波堤」の間を抜け、沖に向かう様子が映し出されている。 津波や引き波により流され、難しい操舵が要求される「きたかみ」。2本の防波堤の間、300メートルある開口部を、船内で激しい針路変更指示を出しながら、懸命の操舵で「きたかみ」は抜けていく。【海上保安庁提供】
助手席の車窓から、時折、海がのぞく。国道45号は、いつの間にか県境を越え、宮城県に入った。 道の至るところに「津波浸水区間」なる真新しい看板が設置されている。あの日、津波は越えるはずのない陸と海の境界をあっさり越えた。水が引いた後の大地には、あるはずのものがなく、あるべきでないものがあった。 「第18共徳丸」は、あるべきではないものだった。海岸から800メートル近く離れた宮城県気仙沼市鹿折(ししおり)地区に330トンの巨体は打ち上げられた。福島県いわき市の水産会社の所有だったが、気仙沼市が「無償貸与」契約を結んで管理した。 「観光バスから降りてきた人たちが、この船を撮影する姿は日常でした」と振り返るのは、近くの復興商店街「気仙沼鹿折復幸マルシェ」の塩田賢一代表理事(47)。震災で店を失った商店主らは「震災で人が減った鹿折地区での再建は難しい」と悲嘆した。それを救ってくれたのが、鯨のような巨
まとめ みなさんの #震災時に役に立ったもの #震災時に役に立ったもの というタグを作成したところ、たくさんの方から震災時に役に立ったもの、知識が寄せられたのでまとめさせていただきました。 145710 pv 1872 34 users 174 まとめ 災害時における支援ニーズとフューズを考えるー災害支援のミスマッチを避けるために。 ・#被災地いらなかった物リスト まとめ http://togetter.com/li/585312 ・みなさんの #震災時に役に立ったもの http://togetter.com/li/322992 派生議論まとめ。物資の支援がどうあるべきか、避難所のフェーズ支援、現金支援、海外での物資支援の状況など。 佐藤賢一先生コーディネート(@ke_1sato) 39268 pv 268 28 users 41
災害で橋が壊れた場合も、物資の輸送に支障を来さないよう、わずか10分で完成する折りたたみ式の橋が開発され、静岡県富士市で強度を確かめる実験が行われました。 この橋は、広島大学大学院の有尾一郎助教が、静岡県富士市にある施工技術総合研究所などと開発しました。 橋はアルミ合金製で鉄製の橋と比べると軽く、骨組みには世界で初めてとなる構造の折りたたみ式が取り入れられ、長さはたたんだ状態の3メートルほどからおよそ21メートルにまで伸びます。 この間にかかる時間はわずか10分で、国が災害復旧のために使っている仮設の橋の設置にかかる40時間から大幅に短縮されています。 12日に富士市で行われた実験では、1台当たりおよそ1トンの車が3台同時に通過しましたが、異常は見られませんでした。 開発したグループによりますと、設計上は、物資や資材を積んだトラックが走行できるように12トンの重さまで耐えられるということで
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東日本大震災から2年。 震災を教訓にした気象庁の新しい大津波警報や津波警報の運用が今月7日から始まりました。 気象庁が警報を新しくした理由とその背景、そして情報をどのように受け止めたらよいのか、社会部・気象庁担当の村松あずさ記者が解説します。 東日本大震災で伝わらなかった警報 気象庁が警報を見直したのはおととしの巨大地震の教訓からです。 国内の観測史上、最大となったマグニチュード9.0の巨大地震で気象庁が直後に発表した大津波警報では、予想される津波の高さは宮城県で6メートル、岩手県と福島県で3メートルでした。 その後、気象庁は段階的に津波の高さを引き上げて、最終的にいずれも10メートル以上になりました。 しかし、停電などで最初の警報しか伝わらなかったところがありました。 中には防潮堤よりも低いと考えて安心した人や逃げなくてもいいと受け取った人もいて、結果的に犠牲者が多くなりまし
Wii UでGoogle マップ(※1)の ストリートビュー(※2)機能を利用できるソフト、 『Wii Street U powered by Google』についてお訊きします。 今日はちょうど、アメリカのGoogle(※3)本社で ストリートビューの製品責任者を務める 河合さんが一時帰国される機会にあわせて、 こうして、直(じか)にお会いすることができました。 お忙しいところ、ありがとうございます。 ※1Google マップ=Googleがインターネットを通じ世界各国で提供している地図、ローカル(地域)検索サービス。縮尺を調整しながら、地図と写真で全世界を俯瞰(ふかん)できる。 ※2ストリートビュー=Google マップの機能のひとつで、実際にその場にいるかのように、任意の場所を360度パノラマ写真で見渡せる機能。「ストリートビュー」についてくわしくはこちら。 ※3Google=199
風景写真を撮るのが好きなので休日は外出先でよく撮影をしており、それは実家に帰省した際にも変わりありません。とくに何かを意図するわけでもなく、カメラの練習をかねて実家の近所を散歩しては風景を写真に収めていました。 しかし2011/3/11、東日本大震災の発生により事情は大きく変わります。俺の実家周辺は震災による津波浸水地域のど真ん中だったので、帰省した際に実家周辺を何の気なしに撮影した写真達が結果として東日本大震災による津波浸水地域の「震災前の姿」を残すことになってしまいました。 このことに気づいた2012年からは意識して震災前の写真・震災直後の写真と同じ位置での撮影を心がけてきました。そして2013年正月の帰省により写真がだいぶ溜まったので、これを機会に公開してみます。 ちなみに撮影時期2011/5のものは宮城の実家で津波の後片付けをしてきた - 偏読日記@はてなで掲載しているものと同一で
このアニメーションは、携帯電話のGPSデータをもとに、2011年3月11日の東日本大震災時の人の流動を再現したものです。具体的には、東京大学空間情報科学研究センターと共同研究を行っている(株)ゼンリンデータコムの「混雑統計(R)」データを用いています。 「混雑統計(R)」データは、主にNTTドコモが提供するオートGPS機能によって取得されたGPSデータをもとにして、個人が特定されないように秘匿処理を行っている統計データです。 全国での該当者は人口の0.5%強程度に相当すると言われ、最短では5分に1回程度のデータがアップロードされます。アニメーションについては、色がGPSが進んでいる方向ごとについているので、地震前には色々な方向に人が活発に移動するとともに、点の数も密度濃く存在していることがわかります。一方で地震直後は動きがなくなり、色がほとんどついていないこととともに、点の数も減っているこ
原発事故の災禍を受けた福島県で、若者たちは地域の現状と将来についてどう考えているのか。共同通信記者を務め、今年5月からいわき市で会社員として勤務、地域の未来について考える市民活動にも参加している伊藤江梨さんに、内側から見つめた福島の情況について寄稿してもらった。(47行政ジャーナル・橋田欣典) 東日本大震災から1年9か月余り。震災や原発事故のことが全国ニュースで取り上げられる機会は目に見えて減る中、福島県外からは「福島の情報が入ってこない」という声が聞こえてくる。 そんな福島の市民の声を届けようと、11月9~11日に福島市で「ふくしま会議2012」が開催された。震災後の昨年11月に第1回が開催され、今年で2回目。福島県立博物館館長で東北学を提唱した民俗学者の赤坂憲雄氏らが発起人となり、誰でも参加して発言できる「草の根の会議」を目指す。 私は震災後の今春、6年間続けた報道の仕事を辞めて、10
「震災直後、全体のわずか4%のアカウントが、全ツイートの半数をつぶやいた」 「善意の拡散が、デマ情報をさらに広げていった」 10月28日に開かれた「東日本大震災ビッグデータワークショップ」の報告会では、震災後に流れた大量の情報=ビッグデータの解析に取り組んだ研究成果が次々に発表された。 再び大災害が起きたとき、必要な情報を必要とする人に確実に届けるためには、さらに何が必要なのか。 震災ビッグデータが浮き彫りにした課題と、今後の取り組みを考える。 (ネット報道部デスク・足立義則) 埋もれた情報を救うには グーグルとツイッター・ジャパンの呼びかけで実現したワークショップには、国内外のデータ解析の専門家やエンジニア、ジャーナリスト、学生などが参加して、9月から1か月半、それぞれ独自のテーマと手法でビッグデータに向き合った。 (解析対象となったデータの種類は、文末を参照) 報告会の壇上
震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ
3.11以降、東京は浮き足立っていた。 今考えると、あの時みんな災害躁だったのだと思う。 当時は自分の時間が異常に多かった。 それだけ真面目に仕事をしていなかったのだが、仕事のやり方を教えてくれる人もいなかったし、環境も悪かった。 なので、時間だけはあった。 11日は、帰宅困難者に自宅を開放すると宣言し、夜となった。結局誰も受け入れられなかったけれど……。 12日と13日は、懸命に首相官邸から五月雨式に公開される糞みたいなPDFを読んでいた。BGVはNHK総合だった。 当時公開されたPDFは、このエントリにまとまっている。 http://anond.hatelabo.jp/20110312073521 増田に投げたのは、自分のブログよりも拡散力があるだろうと思ったからだ。 12日にエントリをあげた時点で、メルトダウンは確定だなと思っていた。 14日に転機が訪れた。 sinsai.infoに
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