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ブックマーク / knightliberty.hatenablog.com (8)

  • フリードマンを超えろ - ラディカルな経済学

    二十世紀を代表する經濟學者の一人、ミルトン・フリードマンの『選択の自由』(西山千明譯、日経済新聞出版社)が新裝版で再登場した。しばらく品切れになつてゐたので、復刊で手に入れやすくなつたのは喜ばしい。ただしこのは注意して讀まなければならない。それは市場經濟を忌み嫌ふ論者が言ふやうに、フリードマンが極端な市場原理主義者だからではない。逆である。フリードマンの惜しむべき缺點は、市場原理主義を徹底して貫いてゐないところにある。 フリードマンがローズとの共著で1980年に出版したこのは、政府による經濟への介入が人々の暮らしにいかに害惡を及ぼすかをわかりやすく説いてゐる。たとへば消費者を守るためには企業活動を規制しなければならないと思ひ込んでゐる人は、第7章を讀むべきである。消費者保護を目的とする政府の機關がじつは大企業の寡占的利益を守るためにつくられ、消費者の利益を損なつたことが明らかにされ

    フリードマンを超えろ - ラディカルな経済学
  • 『日本人として読んでおきたい保守の名著』 - ラディカルな経済学

    潮匡人『日人として読んでおきたい保守の名著』(PHP新書、2011年) カバー見返しの内容紹介にかうある。 「ネット保守」という言葉に代表されるように、若い世代で「保守」を自認する人が増えている。しかし、保守層にも日米・日中の外交関係から、TPP参加問題まで、意見が分かれることはしばしばである。では、そもそも保守とは何か? そもそも保守とは何か? 興味深い問ひかけだ。ところがこのには、その問ひかけへの納得ゆく囘答がない。それは著者自身、保守主義についての理解が混亂してゐるからだと思はれる。 著者潮氏は「まえがき」で、オークショットの言葉を借りて保守の定義を述べる。「保守的であるとは、見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと、試みられたことのないものよりも試みられたものを〔略〕好むことである」(3頁)。この定義に素直にしたがへば、「見知らぬ」規制緩和や構造改革は保守の精神に反するだら

    『日本人として読んでおきたい保守の名著』 - ラディカルな経済学
  • 【寄稿】地方分権(decentralization)を越えて無政府主義(anarchism)の実現へ - ラディカルな経済学

    近年地方分権についての議論が花盛りである。民主党の某幹部の説明では地方分権とは中央政府の保持する権力を地方自治体(地方政府)へ委譲することをいうらしい。しかし既に述べたように権力(right)の唯一の保持者は個人であるから、この委譲とは権力ではなく権限(authority)とでも解するのが正当であろう。 用語の問題はさておき、リバタリアンの立場からこの問題を考えるとき、参考になるのはレプケ(Wilhelm Röpke)の「階層的秩序の補助性の原則」(Prinzip der Subsidiarität)であると思う。この言葉はカソリックの社会理論からの借用であるとレプケはいうが、その意味するところは概ね以下の通りである。 我々は個人から家族、地方自治体(市町村、都道府県)を経て国家(中央政府)に至る階層的秩序の中で生活しているが、来の権利(権限)は下の方の階層にあり、高い方の階層はすぐ下に

    【寄稿】地方分権(decentralization)を越えて無政府主義(anarchism)の実現へ - ラディカルな経済学
  • 余は如何にして自由主義者となりしか - ラディカルな経済学

    (明けましておめでたうございます。以下は2008年1月3日に「地獄の箴言」で書いた文章の再掲です) こんな小さな發表の場しかない無名人のくせに、まるで大思想家のやうな大袈裟な信條告白を以下記したいと思ふ。正月休みで暇を持て餘していらつしやる方のみどうぞ。かなりの長文です。 最近木村は左翼みたいな事ばかり書いてゐるとお感じの方がいらつしやると思ふ。國家を非難したり、反戰主義者のやうな事を云つてみたり。それはここ數年の摸索を經て、物事の考へ方についての據り所が大きく變はつたからである。以前の據り所は大まかに云へば保守主義であつた。現在は違ふ。自由主義である。それも「大まか」な自由主義などではなく、嚴密で徹底した自由主義である。さうなつた經緯を簡單に云へばかうだ。 仕事でスイスに赴任してゐた2001年秋、例の9-11テロが勃發した。ヨーロッパは午後で、同僚からの電話に促されてテレビを點けたら、も

    余は如何にして自由主義者となりしか - ラディカルな経済学
  • 社會主義はなぜ不可能か――『まんがで読破 共産党宣言』と『ヒューマン・アクション』 Why Is Socialism Impossible? - ラディカルな経済学

    ここ二三年、文學や哲學の古典をマンガ化した文庫のシリーズが相次いで出版されてゐる。よいことだ。原著の内容をすべてマンガで、それもわづかな頁數で再現するのは無理だらうが、マンガ家が勝れた手腕の持ち主なら、原著のエッセンスを傳へることはできるはずだ。 問題は讀み方だ。もちろん書かれてゐることをただ素直に讀むのも惡くはない。ブームの先驅けとなつた「まんがで読破」シリーズ(イースト・プレス)の帶に、ホリエモンこと堀江貴文氏が「とりあえず押さえた程度の知識でもビジネスでは充分に役立つのである」と推薦文を寄せてゐる。これはこれでその通りだらう。だがもしマンガで學んだ内容に自分なりの意見を附け加へることができたら、皆があなたを見る目はぐつと違つてくるはずだ。 共産党宣言 (まんがで読破) クチコミを見る 上記のシリーズから『まんがで読破 共産党宣言』が出てゐる。原著は資主義の滅亡を「科學的」に豫言し

    社會主義はなぜ不可能か――『まんがで読破 共産党宣言』と『ヒューマン・アクション』 Why Is Socialism Impossible? - ラディカルな経済学
  • リバタリアニズムQ&A)虚無主義か? - ラディカルな経済学

    リバタリアニズムの目的は自由だと言ふが、自由とは何かを行ふための條件であつて、目的そのものにはなり得ない。リバタリアニズムは價値觀を持たない虚無主義ではないか。 リバタリアニズムは政治哲學の一種です。政治哲學には、コミュニタリアニズム(共同體主義)のやうに、政治が特定の價値觀を唱導すべきだと唱へるものもありますが、リバタリアニズムは、價値觀は個人によつて樣々であり、政治はそれに干渉すべきではないといふ立場をとります。唯一の例外は「他人の自由を不當に侵してはならない」といふ價値觀です。リバタリアンは、政治がそれ以上の價値觀を個人に押しつけるのは、分をわきまへぬ越權行爲だと考へるのです。 政治哲學でありながら政治の役割をせいぜい消極的にしか認めないところに、リバタリアニズムのユニークな點があると言へるでせう。 リバタリアニズムは生命・身體・財産の不可侵を強調するが、人間にはそれらを犠牲にしても

  • 政治問題は道徳問題 - ラディカルな経済学

    世の中には二種類のルールがある。政治の場で決まるルールと、政治以外の場で決まるルールだ。前者の代表は法律であり、後者の代表は道徳だらう。 法律上の合法違法と道徳上の善惡は必ずしも一致しない。たとへば自動車で日の道路の右側を走つたら違法だが、右側通行そのものが道徳的に惡いわけではない。米國に行けば逆に左側通行が違法になることからもわかるやうに、左右のどちらを合法、どちらを違法とするかは、たんなる便宜上の問題にすぎない。 だが一方で、法律上の合法違法と道徳上の善惡が一致する場合も少なくない。たとへば他人の財産を盜むことは、法律上は竊盜罪となり違法だが、道徳上も惡とされる。日でもアメリカでも、その他どの國でも、生活に困つた者がやむを得ず盜みを働き、同情されることはあつても、盜みそのものが道徳的に立派な行ひとしてほめられることはない。 もし私が總理大臣だつたとして、刑法改正の議論の場で「物を盜

    政治問題は道徳問題 - ラディカルな経済学
    yuigon_info
    yuigon_info 2010/05/12
    税金、それは「合法的」窃盗。
  • 教育バウチャーと選擇の不自由(續々) - ラディカルな経済学

    (4)左翼をつぶせるか 教育バウチャーを支持する自由主義者や保守主義者は、バウチャー導入によつて教育から左翼勢力を一掃できると期待する。日で言へば日教職員組合(日教組)が事實上の標的だらう。やり方によつてはある程度うまく行くかもしれない。だが裏目に出るリスクも同程度かそれ以上あると見なければならない。教育バウチャーは左翼思想と相容れないどころか、むしろ親和性すらあるからだ。 1990年に米國で初めてバウチャー制度が導入されたウィスコンシン州ミルウォーキーでは、自由・保守主義勢力だけでなく、左翼勢力も同制度を強く支持した。いや、むしろ最終的に指導權を握つたのは左翼勢力の方だつた。當初の法案は白人保守層の要望を取り入れ、適用對象にカトリック學校を含んでゐたが、裁判所がこれを違憲と判斷したため、宗教系學校を除くやう見直しを餘儀なくされる。新法案を起草したのは民主黨の州下院議員で、ポリー・ウィ

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