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南直哉に関するajitaのブックマーク (15)

  • 君とボク、そして一杯のコーヒー。 対談本 「出家の覚悟−日本を救う仏教からのアプローチ」  南直哉、 スマナサーラ長老

  • 『出家の覚悟』 『沙門果経』 二冊ご紹介 - 管理人エムのカレーな一日

  • 南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(1 of 5) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、茂木健一郎 ※とき・ところ:2005年6月3日 朝日カルチャーセンター(東京・新宿) ※出典:[full]南直哉さんとの対談〜茂木健一郎の講義 - YouTube ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。 (途中まで略) 南:恐山というと、霊を背負ってきたのかと思われるかもしれませんが(笑)……今日、じっさい恐山――霊場――から参りました。 (中略) 南:いわば「先祖に対する供養」とか、あるいは霊魂の問題と恐山とが具体的に結びついているとすれば、私が行ってみて思ったことは、あそこ[=恐山]には人の思いが形になって出ているんです。それが、そこを霊場らしくしている。 例えば比叡山とか高野山も霊場です。ああいうところの条件として、自然環境が非日常的だ――恐山みたいに火山の跡にできているとか、深山幽谷にある――というもの

    南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(1 of 5) - Logues
  • ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(1 of 5) - Logues

    ※放送日:2006年12月5日 ※話者:南直哉(みなみじきさい/禅僧)、宮崎哲弥、堤未果 ※音声の全体を通して聴きたいときはこちらをご参照ください。 ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 (途中まで略) 宮崎:ペドフィリアにしてもネクロフィリアにしても、こういう嗜好を持っている人たちというのは、インターネットのちょっと裏通りぐらいに入るとかなり見受けられる。そういう人がホームページを作ったり掲示板で書き込みを行ったりということはあるんですね。なにかそういう「黒い欲望」みたいなものを持っている人たちがなんとなく増えているような気もするんですが、南さんどうですか? 南:増えているんではなくて、隠れて出られなかった人がインターネットみたいな社会のなかで表へ出られるようになったんだろうと思いますね。 「そうでなかった」人が突然ネクロフィリアやペドフィリアになって

    ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(1 of 5) - Logues
  • ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(5 of 5) - Logues

    ※放送日:2006年12月5日 ※話者:南直哉(みなみじきさい/禅僧)、宮崎哲弥、堤未果※〈4 of 5〉からの続きです。先頭はこちら。音声の全体を通して聴きたいときはこちらをご参照ください。 ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 宮崎:だから、例えば「善と悪」あるいは「正しい道か間違ってる道か」っていうのは、あらかじめあるわけではなくて、生きることそのもの……生きること自体が作り出していくこと。 南:そうです。もっと言うと、生きる決意を決めない限りは善は生まれないんですよ。だから、善も悪も作らない世界に入っていく……要は死んでしまうことを選ぶのか、悪いこともするかもしれないけれどもこの世に善があるかもしれないということに賭けて生きるのか。どっちを選ぶかといわれたら、理屈で言える問題はほとんどないと私は思う。しかし私は出家した僧侶なんだから、私は言うです

    ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(5 of 5) - Logues
  • ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(4 of 5) - Logues

    ※放送日:2006年12月5日 ※話者:南直哉(みなみじきさい/禅僧)、宮崎哲弥、堤未果※〈3 of 5〉からの続きです。先頭はこちら。音声の全体を通して聴きたいときはこちらをご参照ください。 ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 宮崎:うん。ただね、それはやっぱり、色んな国――まあアメリカ・ヨーロッパならアメリカ・ヨーロッパでいいんだけど――それっていうのは、生き方の作法みたいなものを規定する……いちばん底の部分で決めているものに、宗教は欠かすことができない。どう考えてもアメリカもヨーロッパもキリスト教社会であるということは間違いない。もちろん、近代社会っていうのは古層のキリスト教を否定して出てくるんだけど、積み上げられてるというふうな見方もできるわけだよね。日ってそういう部分って無いんじゃない? 例えば仏教はどういうふうに、そういう事業に関わってい

    ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(4 of 5) - Logues
  • ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(3 of 5) - Logues

    ※放送日:2006年12月5日 ※話者:南直哉(みなみじきさい/禅僧)、宮崎哲弥、堤未果※〈2 of 5〉からの続きです。先頭はこちら。音声の全体を通して聴きたいときはこちらをご参照ください。 ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 宮崎:いじめる側、あるいは差別する側というのは、何が裂けてる? 南:たぶん誰でも裂けてるんでしょうけれども、その裂け方が非常に厳しいんだろうと思いますよ。つまり、ダメージを負っていると思いますね。 宮崎:それは例えば幼児体験、幼児期に負った傷なんですか? 南:これは一概には言えないんですけどね。ただ私が思うのは、私のところにときどき相談に来るような若い人たちのなかに、色々いるわけですよ。リストカッターの人とか。それで、――これは私の狭い経験ですけど――よく聞いていくと7〜8割は、どこか親子関係でこじれてるんですね。あとの2〜3

    ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(3 of 5) - Logues
  • ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(2 of 5) - Logues

    ※放送日:2006年12月5日 ※話者:南直哉(みなみじきさい/禅僧)、宮崎哲弥、堤未果 ※〈1 of 5〉からの続きです。音声の全体を通して聴きたいときはこちらをご参照ください。 ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 南:お坊さんみたいなことをやってると、色んな悩みとか問題を抱えている人から相談を受けたりするんですよ。あるいは私がを書くと、そういう人も読んでくださるわけですわ。 書いたり喋ったりする以上は何か答えがあるはずだと思ってみんな私に訊いてくるし、は読むんですよ。ところが私は、「これが正解です」とかっていうのは、いまひとつ信用できないところがあるんですよ。つまり「これが分かればすべて分かる」とか、「人が生きてる意味」とか、「人の生き方みたいなものはこれで決まりだ」みたいなことは昔からどうしても言いにくいんですね。 宮崎:でも宗教家っていうと

    ニュースの深層evolution:「恐山の禅僧」に日本社会の現代を問う(2 of 5) - Logues
  • 南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(5 of 5) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、茂木健一郎 ※とき・ところ:2005年6月3日 朝日カルチャーセンター(東京・新宿) ※出典:[full]南直哉さんとの対談〜茂木健一郎の講義 - YouTube ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。 (4 of 5からの続きです。先頭はこちら。) 質問者3:「ずっと永平寺で修行してると傲慢になってくる。けれども一面では、出家修行をしないと仏教は分からない。だから完全な出家制度を日で打ち立てたい」というようなお話がありましたが、その「一面……」というところと「出家制度が必要だ」というところについて、もう少し詳しく教えて下さい。 南:ある種の自己相対化をする視点が要るんですわ。日常生活で生きてきた自分の有り様を一挙に外側から見る目というのが必要で、これは知的な営みというより、経験そのものを切り替えないとだめな

    南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(5 of 5) - Logues
  • 南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(4 of 5) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、茂木健一郎 ※とき・ところ:2005年6月3日 朝日カルチャーセンター(東京・新宿) ※出典:[full]南直哉さんとの対談〜茂木健一郎の講義 - YouTube ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。 (3 of 5からの続きです。先頭はこちら。) 茂木:今日、南さんの話をうかがっていて非常に面白くて、私が考えていることとの接点もすごくあるし、どうせまたどこかでお会いすると思うし。ですから、あとは南さんを皆さんに解放しますので、この際、悩みとか質問とかありましたら、この高僧の方にですね……。 質問者1:南先生は禅宗のお坊さんですよね。座禅を組まれたり修行をされる過程のなかで、心境とか心理状況に関して「ここがベストな心境・心理状況だ」ということがあるのではなかろうかと思うのですが、それは体感的にどんな印象ですか

    南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(4 of 5) - Logues
  • 南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(3 of 5) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、茂木健一郎 ※とき・ところ:2005年6月3日 朝日カルチャーセンター(東京・新宿) ※出典:[full]南直哉さんとの対談〜茂木健一郎の講義 - YouTube ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。 (2 of 5からの続きです。先頭はこちら。) 茂木:業(ごう)っていう概念についてもうちょっと聞きたいんですが……自分でコントロールできないもの・自分でどうすることもできないものを業と謂うってさっき仰ったんですが、 (中略) 茂木:業は科学主義における概念にはどうにもマッピングしようがないんですよ。それがどうしてかというと、根的なところで物的世界観じゃなくて事的世界観というか関係性みたいなものを含んだ意味で業ということがあるからだと思うんです。そういうものって科学主義のなかには無いので。要素還元主義ですから

    南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(3 of 5) - Logues
  • 南直哉・茂木健一郎対談:「脳と癒し」(2 of 5) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、茂木健一郎 ※とき・ところ:2005年6月3日 朝日カルチャーセンター(東京・新宿) ※出典:[full]南直哉さんとの対談〜茂木健一郎の講義 - YouTube ※[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分。 (1 of 5からの続き) 茂木:南さんと前回お話したときに一番感銘を受けたことの一つは、宗教者にしか扱えない魂の領域があるっていうこと……要するに、「死にたい」っていう人がカウンセラーのところに来たときにカウンセラーは「そんなこと言わないで前向きに生きなさい」とかいうふうに言うしかないんだけど、宗教者だけは「死んでもいいかもしれない」っていうところに一度下りたうえで問題を共有するというか考えることができるっていうことを仰いましたよね。 それで、――僕は科学者をやめちゃうのかもしれないんだけど――それぞれの専門

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  • NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(3 of 3) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、金光寿郎(ききて) ※放送日:2008年12月7日 ※放送内容についての南氏ご人のコメント:メディアの言葉 - 恐山あれこれ日記 ※《 》内は南氏の著書または道元『正法眼蔵』からの引用分。[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 (2 of 3からの続き) 金光:それであの、日人の生き方として「もっと自己を独立自存させて、主体性を持って……」という発言があるわけですが、[南さんが]主体性についてお書きになったものがあったのでそれをちょっとご紹介させて頂くとですね…… 《自分の存在に縁起を自覚しつつ、その縁起から生成されてくる様々な事態を因果関係のなかで「自分」に編成していくこと。私はそのような存在の様式を主体性と呼び、この編成運動こそを、道元禅師の言う意味での「自己」と呼びたい。》(南直哉 著作より) やっ

    NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(3 of 3) - Logues
  • NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(2 of 3) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、金光寿郎(ききて) ※放送日:2008年12月7日 ※放送内容についての南氏ご人のコメント:メディアの言葉 - 恐山あれこれ日記 ※《 》内は南氏の著書または道元『正法眼蔵』からの引用分。[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 (1 of 3からの続き) 金光:今のその「分からない」という「非己」の話からの連想でお伺いするんですけれども、今までの話と今日おうかがいしている恐山――この恐山という場所は昔からの伝統的な聖地といいますかまあ死者との交流ができる場所というようなことで、お釈迦さんの仏法とはちょっと関係がない……むしろ日の伝統的な昔からの一種の霊山信仰というかそういう場所だと思うんですが――という場所もやはり「非己」のうちに入るわけでございましょうか? 南:ここはよく「霊場」と言われてですね、「非日

    NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(2 of 3) - Logues
  • NHK教育テレビ「こころの時代 〜宗教・人生〜」:南直哉インタビュー「仏の教えをたずねて」(1 of 3) - Logues

    ※話者:南直哉(みなみじきさい/恐山菩提寺院代)、金光寿郎(ききて) ※放送日:2008年12月7日 ※放送内容についての南氏ご人のコメント:メディアの言葉 - 恐山あれこれ日記 ※《 》内は南氏の著書または道元『正法眼蔵』からの引用分。[ ]内は、文意を明瞭にするために当ブログの管理人が補足した部分です。 ナレーション:州の最北端・津軽海峡に突き出た津軽半島の中央に広がる青森県むつ市。今日は、市の中心部から西北へおよそ15kmの道を登ったところにある恐山菩提寺に、院代の南直哉さんをお訪ねして、お話を伺います。 夏の大祭や秋の祭りには大勢の参拝者で賑わう恐山も、山を閉める直前の今の季節には静まりかえって、河口湖である宇曽利湖の向こう岸に、菩提寺の建物が見えています。 この岸に寺院ができたのは平安時代9世紀のことで、慈覚大師円仁が地蔵菩薩を尊とする寺院を建立したことに始まると伝えられて

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