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新興宗教に関するajitaのブックマーク (3)

  • 『仏陀再誕』はやっぱりあり得ない(「天上天下唯我独尊」の続きとは?) - ひじる日々

    お彼岸ですね。 日では、お釈迦さまがインドのルンビニーでお生まれになったとき、七歩あるいて「天上天下唯我独尊」*1と宣言した、というエピソードがよく知られています。 しかし、この釈尊誕生時のことばには、実は大切な続きがあることをご存知でしょうか? 『希有未曾有法経』(パーリ中部123)という古いお経があります。この世で仏陀となる菩薩が出生する際に現れる、17の奇跡的な瑞祥(希有未曾有法)を列挙した経典です。 この17項目はほとんどが神秘的な内容ですが、その一つに、 菩薩は生まれるとただちに完全な両足をもって大地にしっかりと立ち、北に向かって七歩、交互に進み、白傘がさし掛けられると、あらゆる方角を眺める。そして、<私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である、これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない>と堂々たる言葉を語る。*2 とあります。これが初期仏

    『仏陀再誕』はやっぱりあり得ない(「天上天下唯我独尊」の続きとは?) - ひじる日々
  • なぜ『仏陀再誕』という言説が成り立つのか(法身思想と日本宗教) - ひじる日々

    ▼再誕しない仏陀が再誕してしまう日の理由 前回エントリ「2009-09-09 仏陀は再誕しない」のなかで、巷で宣伝されているような『仏陀再誕』は仏教的に見てあり得ない、という話をしました。仏教教学の常識に基づけば、そういう結論にしかなり得ないからです。 私が書いたような「常識としての仏陀観」は、初期仏教〜テーラワーダ仏教という伝統の中で培われてきたものですが、大乗仏教の影響が強い日でも(少なくとも釈迦牟尼仏陀に関しては)それなりに共有されています。お釈迦さまが生まれ変わる、と聞けば「なにバカなこと言ってんの?」とくさしたくなるのはもっともな反応だと、我ながら思います。 しかし歴史上の仏陀である釈尊(釈迦牟尼仏陀)とその教えを捨象して、釈尊滅後500年ほどしてから現れはじめた大乗仏教とりわけ密教の教えだけに立脚して「仏陀(ブッダ)」を論じようとするならば、釈迦牟尼仏陀をかたって『仏陀再誕

    なぜ『仏陀再誕』という言説が成り立つのか(法身思想と日本宗教) - ひじる日々
    ajita
    ajita 2009/09/16
    セルクマ。新宗教のエンジンとして機能するある種の大乗仏教思想について。あと「日本教」論かな。
  • 仏陀は再誕しない - ひじる日々

    新宿を歩いていたら、『仏陀再誕』という映画のポスターを見かけました。 この間の総選挙でたくさんの候補者を出して一人の当選者も出さないという離れ業を演じてみせた、某新興宗教のつくった映画のようです。 でも、これっておかしいですよ。 「仏陀(ブッダ)が再誕する」ということはありえない話です。 仏陀は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・天(欲天+梵天)という輪廻の世界から「解脱(げだつ)」を果たした方です。 ですので、絶対に「再誕」などしません。この世界が何次元構造になっていようが、その一切から完全に解脱している(のりこえている)から仏陀なのです。 乗り越えていないならば、仏陀ではありません。 仏陀が「よっしゃ、またちょっくら生まれてくる」などと言って、この世界に戻ってくることはあり得ません。 また生まれる、再誕する、というならば「菩薩(ぼさつ)」です。 菩薩は仏陀になるために無限の輪廻の中で十波羅蜜(じ

    仏陀は再誕しない - ひじる日々
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