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山本夏彦に関するajitaのブックマーク (1)

  • 祖国とは国語である「完本・文語文」

    国語としての日語を考えるなら、夏彦翁に訊け。 山夏彦にいわせると、明治の日人は文語を捨てたんだそうな。平安時代から千年かけて洗練された日語を手放し、西洋語の翻訳を「日語」としてあらたに発明したのが、いまの国語となっている。 文明開化は東洋を捨てて西洋を学ぼうとして、皮相だけを学んで根に及ばなかったから私たちはその両方を失ったのである。 そして、文語を捨てたことにより、詩は朗誦にたえなくなり、読者を失ったという。じっさいの終焉は御維新ではなく、新聞の社説が文語から口語に変わった大正十年まで続いたんだと(詩が全部口語自由詩になったのもこのころ)。 わたしの場合、さいしょから無い世界で呼吸してきたからピンとこない。だが、少し引いてみるならば、千年の言語を捨ててから百年経ったのが、いま、なんだろうね。生きてきた数十年だけで日語が終わったとか語るのは、わたしにとって、百年早いのかも。

    祖国とは国語である「完本・文語文」
    ajita
    ajita 2008/12/23
    懐かしい。
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