ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」に出てくる挿話のひとつに、主人公であるトマシュがとある経験談を繰り返し友人たちに話す場面がある。同じ内容の経験談なのだが、なんどもそのことを話すうちにトマシュの語り口はどんどん上達し、カフェなどでだべっていると友人たちが、もう一度あの話をしてくれ、とせがむようになる。そのうちに新聞にあの話をかかないかとさそわれ、トマシュは文章にそれをしたためる。出版されたその記事が共産主義政権下のチェコスロバキアの思想警察の目にとまり、(いかなる内容であったのか私はわすれてしまったのだが)警察に尋問をうけることになる。以後、外科医であったトマシュの人生は変転し、窓拭きとして日々を暮らすことになる。 同じ話をなんどもするのか、妙なものだと思ったのはこれを読んだ今をさかのぼること10数年前当時なのだが、考えてみれば日本で同じ話を話芸のようになんども話すことはあまりな