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ブックマーク / obakeweb.hatenablog.com (14)

  • 美しいもの、もっと美しいもの - obakeweb

    美的理由についての前置き 快楽主義 エンゲージメント理論 共同体主義理論 ネットワーク理論 ✂ コメント 参照文献 美的価値についての議論は引き続きたいへん盛り上がっているが、次の事実は意外なほどに無視されている。すなわち、美しさや優美さは比較・ランクづけ可能である。絵の下手な私が模写した《真珠の耳飾りの少女》は、フェルメールによるオリジナルほどには美的価値がない。 「趣味については議論できない」「美は見る人の目の中にある」を真に受けている人は、美的価値に上下があるという観察自体を否定したくなるだろう。「みんな違ってみんな良い」というわけだ。しかし、仮になんらかの観点から私の模写がフェルメールのオリジナルを凌いでいるのだとしても、それと同時に、前者が後者に比べて稚拙であり、覇気がなく、ごくふつうの意味において劣っていることを否定できるわけではない。芸術家やパフォーマーですら創作や上演に際し

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  • 後期シブリーの美学 - obakeweb

    フランク・シブリー[Frank Sibley]の名前と結びつけられた仕事として、真っ先に思いつくのは「Aesthetic Concepts」(1959)と、その実質的な続編にあたる「Aesthetic and Nonaesthetic」(1965)だろう。前者は、美学者としてのキャリアの最初期に書かれた論文であり、20世紀美学において最も盛んに検討された論文のひとつとなった。 美的なものの議論においてシブリーの果たした貢献は改めて確認するまでもなく、絶大である。しかし、注目は上のふたつの論文に集中しており、その他の仕事はあまり引用されていない。このふたつは『Philosophical Review』という大手も大手の哲学ジャーナルに掲載されたことからも美学にとどまらない関心を集めたわけだが、その後シブリーは新設されたばかりのコーネル大学哲学科の運営に忙殺されたようで、いくつかのProcee

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  • どの活動がなにゆえ「芸術」なのか? - obakeweb

    芸術哲学の(根幹とまでは言わずとも、)代表的なトピックのひとつは芸術の定義である。芸術とはなにか。どこのどれがなにゆえ芸術作品であり、その他のアイテムはなぜ芸術作品ではないのか。 分析美学における芸術の定義史は教科書[1][2]やStanford Encyclopedia of Philosophyのエントリーを読んでいただければ結構なので、ここでは新しめの話を紹介する。*1 芸術の定義とバックパス 芸術の定議論では、制度説や歴史説といったそれなりにもっともらしい立場が現れて以降、おおきなブレイクスルーはなかった。流れを変えたのはドミニク・ロペス[Dominic Lopes]である。2008年の、その名も「芸術の理論なんて誰もいらない」という論文で、ロペスは次のように提起する。 私たちが必要としているのは、芸術[art]の理論じゃなくて、諸芸術形式[the arts]の理論である。気になる

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    murashit
    murashit 2023/05/24
    『制度とは何か』読まにゃなあ……
  • ホラーとはなにか|ノエル・キャロル『ホラーの哲学』、ジャンル定義論、不気味論 - obakeweb

    ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の邦訳が出版され、訳者の高田敦史さん(@at_akada_phi)より一冊ご恵贈いただきました。ありがとうございます。大好きながまたひとつ日語で読めるようになったということでたいへんうれしいです。内容としてもキャッチーで面白いので飛ぶように売れてほしいところですね。 ホラージャンルについての理解が深まるだけでなく、一般的に分析美学や、あるジャンルを哲学的に論じていくやり方について学べるよいです。個人的には、ブログに載せたRed Velvet論や『ユリイカ』に書いたビリー・アイリッシュ論でも批評のとっかかりとして役立ったなので、「批評に使える分析美学」のレアな一例かもしれません。 かいつまんで論旨を確認した後、個人的に気になるふたつの論点についてかるく解説しましょう。ひとつはジャンル定義におけるキャロルのスタンスについて、もうひとつはより近年の展開とし

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  • ジェロルド・レヴィンソンと芸術に関する文脈主義 - obakeweb

    1 ジェロルド・レヴィンソン[Jerrold Levinson]は現在メリーランド大学で卓越教授を務める美学研究者である。音楽の存在論における「指し示されたタイプ説」や、解釈と意図における「仮説意図主義」、芸術の意図的=歴史的定義など、さまざまなトピックにその後のスタンダードとなるような立場を提供しまくっている、キレキレの論者だ。*1 レヴィンソンの芸術哲学の中心をなすのは、「文脈主義[Contextualism]」という考えである。稿では「美的文脈主義[Aesthetic Contextualism]」という2007年の論文をもとに、レヴィンソンという論者の思想的コアを手短に紹介する。いまや分析美学ではデフォルトといっていい立場である文脈主義の一般的なガイドでもある。 Levinson (2007)は、次のように文脈主義を説明している。 芸術作品とは特定の種類の人工物であり、特定の個人

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  • Make me feel goodなもの - obakeweb

    いい気分だ 分かってんだぜ ──── I Got You (I Feel Good) - James Brown 先日の応用哲学会で、美的価値論に関わる発表をしてきた。 趣旨としてはこの文脈でモンロー・ビアズリーを読み直す、というものだったが、コメントの多くはその前提、既存の反快楽主義に対する私の懸念に対する懸念として集まった。アフターフォローのいくつかは日記に書いたのだが、こちらでも考えをまとめておこう。*1 美的に良いものはなにゆえ良いのか 問題はこうだ。美的に価値のあるものは、行為や信念形成に理由を与えるが、なにゆえそうなのか。美的に良いものはなにゆえ良いのか。 デフォルトの説明はこうだ。「快楽を与えるからさ。美しいものを見たり聞いたりするのは気持ちがいいからね」。これに対し、達成や自由や自律性に訴える反快楽主義が出てきている。美しいものに駆り立てられる人は、必ずしも快楽に駆り立てら

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  • 美的に画一的な世界 - obakeweb

    1.ネハマスの悪夢 ネハマスの悪夢という、分析美学では有名な話がある。*1 もし美的判断が普遍的同意を要求するのであれば、理想的には、皆があらゆる正しい判断を受け入れるだろう。つまり、完璧な世界では、われわれはみなまったく同じ場所に美を見出すことになるだろう。だが、そのような夢は、悪夢だ……。もしできるようであれば、次のような世界を想像してみよう。皆がまったく同じものを好み(もしくは愛し)、美に関するあらゆる意見の不一致が解消されうるような世界を、そのような世界は、悲惨(desolate)で、絶望的(desperate)だろう。(Nehamas 2007, 83. 訳文は森 2021より) ネハマスは、それを理想的鑑賞者説、とりわけ美的普遍性を要求するヒュームやカントに対する、直観的な拒絶感を示すものとして語っているように思われる。われわれの(理想的ではない)世界では美的な多様性があり、だ

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  • 発表「駄作を愛でる/傑作を呪う」|応用哲学会年次大会あとがき - obakeweb

    2021年5月22日㈯の応用哲学会年次大会で発表してきました。発表スライドは以下です。 「駄作を愛でる/傑作を呪う」という題目で、分析美学の「批評の哲学」にカテゴライズされるだろう内容になっています。"だろう"というのは、実際にカテゴライズされるかどうかは私の一存では決まらない、という主張を発表内でしているためです。 アブスト付きのフライヤーは以下。 簡単に各パートの結論だけ紹介すると、 批評的理由づけの基準としては、カテゴリー相対的な弱い一般的基準が有望である。 逆張りにはいろいろある。とりわけ注目するべきは、色眼鏡な逆張りによるカテゴリー選択。 作品にとっての「正しいカテゴリー」は、価値最大化を目指す制度の産物である。 制度に逆らうだけの逆張りは不適切だが、真剣な逆張りには制度を改善するという意義もある。 といったことを論じました。 当初は「逆張りという批評的行為の内実を明らかにする」

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  • 画像と言語のアナロジーはどこまで/どれだけ有効なのか - obakeweb

    描写=画像表象の振る舞いを、言語(語や文)のそれに見立てる見解および、これに対する異論のサーベイです。具体的には、『芸術の言語』(初版1968, 改訂版1976)におけるNelson Goodmanの枠組みをめぐって、70年代に展開された論争の一部をまとめています。トピックとしては、以下でも参照する松永ドラフトへのフォローアップです。 1974年には『The Monist』誌、1978年には『Erkenntnis』誌で、相次いでLanguages of Art特集が組まれている。そちらでもうかがえるように書のインパクトは凄まじく、名だたる論者たちが総出でこのと格闘していたことが伝わってくる。 とりわけ、第一章が絵画の表象に関する分析から始まることによって、『芸術の言語』は今日の「描写の哲学」にとってのメルクマールとなった。John Kulvickiのような直接のフォロワーでなくとも、『

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    murashit
    murashit 2020/12/11
  • 文学解釈における価値最大化理論|スティーヴン・デイヴィス「作者の意図、文学の解釈、文学の価値」(2006) - obakeweb

    Davies, Stephen (2006). Authors' Intentions, Literary Interpretation, and Literary Value. British Journal of Aesthetics 46 (3):223-247. [PDF] スティーヴン・デイヴィスによるBJAの論文「作者の意図、文学の解釈、文学の価値」のまとめです。*1 「作者の意図と文学解釈」というホット・トピックにおいて、「価値最大化説」を定式化した重要論文です。同様の立場はそれ以前のDavies (1982)でも提唱されているが、その後出てきた諸ライバル理論を踏まえて書かれたのが論文。この手の話題で参照されないことはない程度には定番の一です。 〜〜ここまでのあらすじ〜〜 ウィムザット&ビアズリー(1946)「作者の意図はいりませーん!」【反意図主義】 バルト「作者は死ん

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    murashit
    murashit 2020/11/03
    ありがてー
  • 「#magicrealism」のレシピ:「分裂」と「統合」の力学 - obakeweb

    「マジックリアリズム(Magic realism)」あるいは「魔術的リアリズム」と呼ばれる創作手法がある。 マジックリアリズムとは、ラテンアメリカ文学を中心に、芸術批評で用いられる概念である*1。ごく大雑把に言えば、その名称が示すとおり、「魔術的/幻想的」な要素と「現実的/写実的」な要素をともに含む作品を指すことが多い。 記事では、この概念を整理、改良した上で、試験的に運用する。やや大げさな売り文句としては、「マジックリアリズムの概念工学」とでも言ったところか。 僕が(Vaporwaveじゃないほうの)卒論で書いたマジックリアリズム論文も、先行研究そっちのけでMR概念の定式化に邁進したあたり、概念工学の実践なのかも。書き直す機会があれば、「マジックリアリズムの概念工学」ってタイトルにしよう笑 — sen kiyohiro (@obakeweb) September 7, 2018 記事

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    murashit
    murashit 2019/03/06
    ちょうど『夜のみだらな鳥』を読んでいるのでフムフム感があった
  • 「画像表象とリアリズム」#2:Kendall Walton "Transparent Pictures: On the Nature of Photographic Realism"(1984) - obakeweb

    写真論の研究ノート、第二弾。 今回は初心に返って、ケンダル・ウォルトンの「透明な画像」(1984)を読み直しました。 Walton, Kendall L. (1984). Transparent Pictures: On the Nature of Photographic Realism. Critical Inquiry 11 (2):246-277. 分析美学における写真論としては古典中の古典。論文としては2003年に山形大学の清塚邦彦さんが紹介されているが、翻訳はまだ出ていない。……誰かやりませんか? 論文は「写真は透明である」と宣言し、予想される反論に対し応答しつつ、写真のメディウム・スペシフィシティを論じていくもの。 メディウム・スペシフィシティとは言っても、ウォルトンの議論はクレメント・グリーンバーグやロザリンド・クラウスらがやっていたような、いわゆる「モダニズム」「ポスト

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  • Vapormemeとジャンクの美学:もう一つの(悪趣味な)Vaporwave史 - obakeweb

    蒸気波の歴史について ポスト・モダニズム ジャンル純粋性の夢 Vapormemeとは何か ①ありがちなイメージやエフェクトをテキトーに貼り合わせただけのもの ②過去のVaporwave作品を、パロディ化したもの ③Vaporwaveと一切関係ない画像/音源で、#vaporwaveを名乗っているもの Fashwave(ファッショウェイヴ) まとめ:今後のVaporwaveについて NEO GAIA PHANTASY 蒸気波の歴史について Vaporwaveは錬金術だ。 それは方法論からして、ジャンク音楽を集めたサウンドコラージュである。時代遅れのポップソング、毒にも薬にもならない商業用BGM、耳障りなCM音声……それらをこねくり回した先に、ありもしない架空のノスタルジーを生み出してしまった。 ほどなくしてVaporwaveは”死んだ”。具体的にはVektroidとINTERNET CLUBと

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  • ファンク・ギターの50年:人物、歴史、スタイル - obakeweb

    ファンク・ギターとはなにか。 僕は学部生のころ、ブラック・ミュージックを専門に演奏するサークルに所属していた。 ファンク・ギタリストとして4年間活動し、改めて思うことがある。 「ファンク・ギターってなんだ?」 折しも分析哲学という「言葉遣いや概念の定義を扱う学問」に携わっている身として、この問題を一身に引き受けようと思った次第。 それから数日、メインで研究している作者性だとかサブで研究しているVaporwaveを放り投げ、驚天動地の熱意でもって書きあげたのが稿である。*1 私見を言わせてもらえば、ファンク・ギターとはベースやドラムやホーンよりもずっとずっとずっと過小評価されているジャンルである。キーボードよりは幾分マシだ。 過小評価でなければ、こう言ってもよいが、だいぶ誤解されているジャンルでもある。あとで後述することになるが、カッティングひとつ取っても、その奏法の質はだいぶ勘違いされ

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