中国の習近平(シー・ジンピン)指導部が「共同富裕(ともに豊かになる)」というスローガンのもと、社会や思想に対する統制を強めている。企業経営者への批判に加え、芸能や教育など若者の思想形成に影響力を持つ業界への介入が相次ぎ、毛沢東氏が反対派を粛清した「文化大革命」の記憶がよぎる。2022年秋の中国共産党大会で3期目入りをうかがう習氏が打ち出した「共同富裕」とその影響を解説する。富裕層に巨額「寄付」呼びかけ
中国は国家主義的な経済モデルを国外に拡大しようとしており、また、様々な国際機関を自国のために利用しようとしている。こうした動きへの反発が、中国内外で表面化してきた。中国共産党の政策に対抗するために、日本やアメリカなど民主主義国家はどのような手段をとればよいのか。 トランプ政権の国家安全保障担当大統領補佐官を務め、歴史的な対中政策の転換を主導したH・R・マクマスター氏の著作『戦場としての世界 自由世界を守るための闘い』から一部抜粋して紹介する。 ※本記事の内容は本書からの抜粋で著者個人の見解。タイトル、見出し、写真選定は編集部によるもの。写真はイメージ。 民主的な統治の強化が有効 民主的な統治を国内外で強化することは中国共産党による抱き込み、強要、隠蔽の工作から自由で開かれた社会を守る最良の手段となる。この党は、独占的かつ恒久的に権力を掌握していることを、多元的な民主主義の仕組みに比べた強み
不寛容の時代である。コロナ感染の爆発的な流行で、とげとげしい非難の声が街に満ちるようになった。単に不寛容であるというだけではなく、それを隠すそぶりも見せず、むしろ不寛容なことが自分の権利の一部であるかのように言い募る人もある。ストレスを抱えた社会は、右や左といった立場の違いにかかわりなく、不寛容の相貌をそこかしこで露わにする。 昨年末に『不寛容論』(新潮選書)を出版した。意外なことに、寛容を論じた本は多いが、不寛容を論じた本は少ない。寛容はよいことで、不寛容は悪いことだ、と相場が決まっているからかもしれない。だが、寛容と不寛容は、それほどきっぱりと二つに分けられるものだろうか。 寛容より不寛容の理解を 不寛容を論じたのは、もちろん不寛容を勧めるためではない。むしろ、寛容の中に必ず含まれている不寛容の要素に光を当て、それを意識的に自覚することで、今の世の中で寛容を維持するにはどうしたらよいか
ドイツのための選択肢(AfD)などの動員で行われたデモ。イラクとシリアからの移民によるとされる殺人事件に抗議するため集まった(写真:AFP/アフロ) 旧東ドイツでは、旧西ドイツよりも右派ポピュリズムが高まりを見せている。旧東ドイツでは右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の人気が旧西ドイツよりも高い。2017年の連邦議会選挙、今年の欧州議会選挙ともに、AfDは旧東ドイツで20%を超える得票率を記録した。これは旧西ドイツでの同党の得票率の2倍を超える。 AfDは2017年の連邦議会選挙で第3党となり、約100人の議員を送り込んだ。これは旧東ドイツの有権者の強力な支持なしには不可能だった。ドイツの全ての州議会に議席を持っている。 旧東ドイツでの右派ポピュリズムの高まり 今年9~10月にザクセン州、ブランデンブルク州、チューリンゲン州で実施された州議会選挙でも、AfDは得票率を前回の選挙に比
株式会社O2(オーツー)、株式会社XrossVate(クロスベイト)、株式会社安田製作所代表取締役。1970年生まれ。千葉県出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。大手化学メーカー、外資系ITベンダーのディレクター、コンサルティングファームのディレクターなどを経て、2004年株式会社O2を設立、代表取締役就任。2013年に新会社XrossVateを設立。2014年に射出成型用金型メーカ株式会社安田製作所に出資を行い経営参画。 日の丸製造業を蘇らせる!“超高速すり合わせ型”モノづくりのススメ 日本の製造業は危機に瀕していると言われて久しい。様々な業界関係者が口にする「日本企業は技術で勝っても事業で負けている」という言い訳は、本当に正しいのか。実は、日本のゲンバにはもっと根深い本質的な課題がありそうだ。日本企業の5重苦、7重苦の原因は、日本の技術力の低下そのものにあり、その原因は大きく「技術伝
「江戸しぐさ」というのが,かなり前から注目されている。「江戸しぐさ」とは江戸のセンスであり,そこにはギスギスした現代の世の中で忘れられてしまった,江戸時代の商人や庶民の日常生活の智恵や感性が詰まっているそうだ。 「江戸しぐさ」をテーマに,ヒューマン・ハーバー主宰の青木匡光氏(アソシエイツ エイラン代表,「人間接着業」を自認する)と議論している中で,「ITしぐさ」というヒントが出てきた。IT社会での常軌を逸したITマナーや,ITの導入効果を得られない企業に対し,「江戸しぐさ」は痛烈な教訓となる。「江戸しぐさ」をIT社会に応用すれば,「ITしぐさ」としても使えるのではないかと。 江戸商人の生活哲学をITに生かす 「江戸しぐさは日本における江戸期の商人の生活哲学・商人道。しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人(あきんど)しぐさ,繁盛しぐさといわれ多岐にわたる項目が口伝により受け継がれた
前回の連載で触れたように、Macのハードウェア構成にはアップル(あるいはCEOであるスティーブ・ジョブズ氏)の哲学のようなものが反映されており、他者/他社との協調よりも優先される。今風の言葉で表すと、アップルは“空気を読まない”会社だ(ジョブズCEOがプレゼンおよびスピーチの達人であることを考えれば、「読めない」会社でないことは明らか)。 例えば1月に発表されたMacBook Airだが、ストレージデバイスとして、SSDのほか1.8インチHDDが採用されている。しかし、国内PCベンダーの2008年春モデル(新しいボディを採用したモデル)で、1.8インチHDDを内蔵したものはない。NECのLaVie J、富士通のFMV-BIBLO LOOX Rしかりだ。従来と同じボディを使った東芝のdynabook SS RX1、パナソニックのLet'snote LIGHTシリーズなど、すべて重量が1.5キ
「勤勉」と「道徳心」はどこへ消えたのか〜「日本人」再興への道──“心の不良債権”をどう克服するか(2) 明治維新から間もないころ、福沢諭吉の『学問ノススメ』と共にベストセラーになったのが、サミュエル・スマイルズの『自助論』(当時の邦題は『西国立志編』)だった。 産業革命後のイギリスで書かれたこの本は、「天は自ら助くる者を助く」と説いた序文で有名だ。有名・無名の人々がどれだけ努力を重ねて成功したか、その事例が「これでもか」と言わんばかりに登場する。その数があまりにも多いため、誰でも努力すれば成功するような気がしてくる。いわゆる「自己啓発本」の古典と言えるだろう。 明治の人々が『自助論』から学んだこと 注目すべきは、これを明治初期の日本人が愛読していたという事実である。当時の社会を担っていたのは、江戸時代に武士道の教育を受けて育った人々だ。いくら維新後とはいえ、まだ「尊皇攘夷」の考え方
This domain may be for sale!
ご指定のファイルが存在しません お手数ですが、URLをご確認のうえ、再度お試しください。
この記事は、テキストと動画の組み合わせで多角的にお届けします。動画は、豊田章男トヨタ自動車副社長をはじめとする、広州工場の設立に深く関わったキーパーソンたちへのインタビューを盛り込んだ、約10分間のスペシャル番組です。ぜひテキスト記事と併せて動画をご覧ください。 (日経ビジネスオンライン) ※動画再生をクリックしてもご覧になれない方、またはOSがMACの方はこちらから (システム条件がWindows XP Service Pack 2 or Vista以降で、Quicktime7.2が必要です。MACの方は、Mac OS X v10.3.9とv10.4.9以降。必要に応じてインストールをお願いします。 Quicktime:windows/Mac) また、Windows VistaのInternet Explorer7でご覧になれない方は「スタート」⇒「コントロールパネル」⇒「プログラム」⇒
靖国神社は宗教を問わない 靖国神社について考えるとき、そもそも靖国神社はどんな宗教なのか、という話が取りざたされる。 一般的に日本には、仏教もあれば神道もある。神道には実は、道教が入っている。日本人はそれら全部を混合して、自分にとって都合のいいものだけをとっている。 「八百万(やおよろず)の神」などと言ったり、外国から渡来したプリンシプル(原理原則)で割り切るようなものも取り入れたり、そしてもっとリアリズムで考えた常識的なものも取り入れて、それらを適宜使い分けている。そうした日本人の宗教心を踏まえて考える必要がある。 江戸時代が終わり、明治政府が出来て、国家として軍隊を持つようになり、日本は外国とも戦うようになった。 軍隊では、兵士同士が会話の中で「もしかしたら今夜は最後で、明日は死ぬかもしれないな」などと語り合って「おまえは仏教徒か」「いや、おれは神道だ」となると、「じ
中国の子供達の間で「ブードゥー人形」が流行しているという。「ブードゥー人形」を中国語では「巫毒娃娃」と書き、「娃娃」は「人形」の意味だが、「巫毒」は「ブードゥー」という発音を漢字に当てはめたもので、西インド諸島のハイチで盛んな「ブードゥー教」を意味している。 要するに、「ブードゥー教の人形」ということになるが、これは本来タイ東北部のイーサン地方に古くから伝わる『願かけ人形』であり、それがタイを訪れた外国人観光客の間で評判となり、口コミで全世界に広まったものらしい。今では中国のみならず、台湾、韓国でも流行し、最近では日本でも流行し始めていると言う(筆者はまだ日本国内で実物にお目にかかっていないが、インターネットで検索すると流行っているらしい)。 「ブードゥー人形」という名前は、ブードゥー教が呪いの儀式に使う「藁(わら)人形」に似ているということから、欧米系の観光客がタイの人形に命名したものと
「愛国者」ということばがある。「自分の所属する国を愛する者」というぐらいの意味になるだろうか。「愛」とは「何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち」だから、基本的には「心の問題」のはずだが、どうも実際の「行動」を伴わないとそうは思われない傾向があるようだ。 というわけで、「愛国者」にふさわしい行動とは何かについて、ちょっとだけ考えてみたら、3つぐらい重要な責務があるんじゃないか、と思い至った。 ま、「3つ」というのは、例の「『3つある』原則」に基づいたものなので、あまり生真面目に考えられても困る。困るのだが、この3つは、けっこういい線いっているのではないかと自分では思う。 ではここから。 (1)社会に支えられるのではなく、社会を支える側に回る 私たちの国は、私たち国民が支えている。私たちの生活は、私たちが働き、私たちが税金を納め、私たちが消費し、私たちが貯蓄し、私たちが慈善活動をし、私たち
私たちが同時代として生きている「一九七五年から二〇二五年までの半世紀」(私個人の場合は、十五歳から六十五歳までの五十年)は、百年先にどう総括されるのだろうか。 むろんさまざまな切り口での総括の一つとしてではあるが、「情報技術(IT)が世界を大きく変えた時代」と総括されることは間違いなかろう。 素人ながら思想・哲学の歴史をひもとけば、次世代に大きな影響を及ぼした偉大な思想・哲学の多くが、激しく変化する同時代の最先端で、同時代の意味を、また同時代をいかに生きるべきかを必死に考える営みから生まれてきた。その営みの途中経過は、同時代にはそれほど理解されず、その意義は歴史の判断に委ねられるため、評価の定着はかなりあとになる。 「一九七五年から二〇二五年までの半世紀」も、既に最初の三十年が過ぎている。半導体の発明に端を発するパソコンの誕生、チープ革命の継続、インターネットの発展、オープンソースの
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く