森鷗外「小倉日記」に以下の記載があります。 ・(明治三十五年二月)二十日 迎婦の事、勅裁を仰ぐを法とす。是日文書を具して呈す。曰く。結婚願。(略) ・(明治三十五年三月)十二日 結婚願裁可の書を得たり。(略) また、 「鷗外「ヰタ・セクスアリス」考」 長谷川泉/著 P479によれば 「「文京区改正原戸籍」によれば<明治参拾六年壱月八日森林太郎ト婚姻届出仝日入籍>となっている。」 との記述があります。 ・一方、『森林太郎の戸籍・於菟の出生』山中実(「鴎外」20、森鴎外記念会)P86には、 「志げの入籍の日は明治三十六年一月十八日」である、との記述があります。 森鷗外が志げと再婚したのは、小倉赴任中。森鷗外の「小倉日記」で明治35年の記事を確認。1月に東京で式を挙げ、2月に婚姻願を提出し、3月に勅裁がでたことを確認。 婚姻願は、当時施行されていたに「陸軍武官結婚条例」(明治14年5月3日)基づ
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