23ページで亀山氏は「革命は善であるという前提がいつ、どこで崩れたか」ということをいい、それに対し沼野氏は自分にはその前提はない」と答える。それに対し、亀山氏は自分は「暴力というものに嫌悪感をもつのだが、ロシア革命というのは正義の暴力だったと思っていた」と答える。あとから考えると浅はかだったが、自分たちの世代の大半がそうだったのではないか、と。 亀山氏はわたくしより2歳年少であるのだから同世代といっていいのはないかと思うのだが、わたくしは革命が善であると思ったことは一度もない。それは革命というものが暴力を内包するからではなくて、社会の体制を変えることによって人間を変えることができるとする見方を信じたことが一度もないからであると思う。そして、そういう自分の見方は文学によって培われたと思っているので、文学の側の人間である亀山氏がそういうことをいうのがわからないことになる。 第一章の最初で「文学
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