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⭐︎に関するriddim_mのブックマーク (3)

  • 京都大学広報誌「紅萠第6号」中「附属図書館のモノ ダンテ研究への多大な貢献」(赤井規晃著)から - 神保町系オタオタ日記

    附属図書館が所蔵する文庫のひとつに旭江(きょっこう)文庫と呼ばれるダンテ文献のコレクションがある。日における民芸運動の父・柳宗悦デザインのex libris(蔵書票)でも有名なこの文庫は、市井のダンテ学者大賀壽吉(おおがじゅきち)(1865〜1937)がその生涯をかけて、なみはずれた情熱と努力で収集したものである。(中略)今ではあまり言及されることもないが、大賀壽吉は明治末期から昭和初期にかけて最もよく知られたダンテ研究者の一人であった。(中略) こうした実証的・文献学的な研究姿勢が、共に「イタリア会」を起こした、新村出、濱田耕作、黒田正利ら京都大学文学部の教官たちとの交流の上に成り立っていたことを、忘れるわけにはいかない。晩年の大賀を知る英文学者寿岳文章は、「昭和年代の初めから、私の心の片隅にあるダンテの聖甕に、いつまでも消えぬ灯を点じ続けたのは大賀翁である」と書いたが、69歳の寿岳を

    京都大学広報誌「紅萠第6号」中「附属図書館のモノ ダンテ研究への多大な貢献」(赤井規晃著)から - 神保町系オタオタ日記
  • 山川丙三郎 - Wikipedia

    山川 丙三郎(やまかわ へいざぶろう、1876年3月3日 - 1947年8月17日)は、イタリア文学者、翻訳家。日で最初にダンテの『神曲』「地獄篇」を完訳した。 山川丙三郎教授 略歴[編集] 新潟県北蒲原郡(現・新潟県新発田市上館)生まれ。新潟市の北越学館に入学し受洗[1]。1892年東北学院労働会に入って勤労学生として苦学し、20歳の同学院文科2年生のときに島崎藤村が教師として赴任し、交流する[1]。バイオリニストを志して渡米し、カリフォルニア大学に学び、語学の才を発揮し、とくに中世英語ではアメリカ人を抜いてトップの成績を修めたという[1]。 1914年から1922年にかけてダンテ・アリギエーリ『神曲』を邦訳[2]。ダンテ研究家の大賀寿吉に絶賛される[1]。同郷の支援者・出村悌三郎(のち第三代東北学院院長)の誘いで[1]、1919年東北学院教授となり、1929年名誉教授となる。新井奥邃

    山川丙三郎 - Wikipedia
  • 大好評の100円朝食 - 夕刊編集部記者ブログ

    riddim_m
    riddim_m 2015/07/09
    "「1食300円のうち、200円は大学が負担しています」と二階堂哲・学生課長。本年度の大学負担分として260万円を計上”
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