杉原千畝と「命のビザ」 ~東洋のシンドラーと呼ばれた外交官~ ※印の画像はクリックで拡大します。 杉原千畝とは (1) 杉原千畝 領事館の執務室 (2) 杉原千畝 「ユダヤ人入るべからず」 と書かれた看板の前で 杉原千畝(すぎはらちうね)、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる外交官です (1) (2)。彼は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスという都市で、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られています。 この「命のビザ」の物語をめぐって、アジ歴の資料から何が見えてくるのでしょうか。 「東洋のシンドラー」 (3) リトアニアの日本領事館の外観(1940年) 杉原がリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理に任命されたのは、昭和14年(1939年)でした。 (3) は、当時の在カウナス日本領事館です
平成27年9月24日 本日、日本ユネスコ国内委員会文化活動小委員会第15回ユネスコ記憶遺産選考委員会が開催され、我が国からユネスコへ申請するユネスコ記憶遺産の候補物件(2件)が選定されましたのでお知らせいたします。 ○ 上野三碑(こうずけさんぴ)(申請者:上野三碑(こうずけさんぴ)世界記憶遺産登録推進協議会) ○ 杉原(すぎはら)リスト-1940年、杉原千畝(すぎはらちうね)が避難民救済のため人道主義・博愛精神に基づき大量発給した日本通過ビザ発給の記録(申請者:八百津町(やおつちょう)(岐阜県)) 今後は、申請者によるユネスコへの申請書提出後、ユネスコの審査プロセスを経て、2017年のユネスコ国際諮問委員会において登録の可否が審議されることになります。 評価のポイント及び今後のスケジュール等については、以下のとおりです。 1.評価のポイント等 我が国からユネスコへ申請する物件として選定され
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く