流行り言葉ですね、アクティブ・ラーニング。 主体的で体験的で問題解決を行う学習方法。 そこで培える力は主体的に課題を見つけ、それを協同して解決する力、まさにこれからの世界に必要な能力であると言われています。 昨年から教育の勉強を始め、すぐ目にし耳にするようになった「アクティブ・ラーニング」という言葉に私は一貫して微妙な矛盾を感じています。 もちろん育まれるだろうとされる上記の能力は本当にこれからに必要な力であると思います。 そしてその能力はその持ち主を幸せにするものだとも思います。 ですが、公的な学校教育において行う「アクティブ・ラーニング」は本当に「アクティブ」なものなのでしょうか? 子どもに「主体的でありましょう」と教師が、政府が、親が言ってしまった時点で、そこには主体性のカケラも残らないのではないのでしょうか? 現在の教育では(実情の差はあれど)知識を詰め込むことが良しとされています