この頃のテレビには、えぇっ!? と思うことがある。 たとえば、ペアで行う、ある競技の選手へのコメント取材。CM出演もしている一人の話が終わると、カメラは横にフラれ、プチンと、次のニュースに切り替わった。「顔半分」だけで切られたほうの立場はどうなるのか。 ザッピングしてみたが、他局では顔半分どころか最初からいないかのような扱いだった。 視聴者の関心に応じた編集だとの反論もあろうが、いっぱいのカメラが集まったにしては、放映されるところは借り物のようにどこも同じ構図で、もう一人の存在を消していた。どうでもいいようなことではあるが、些細だからよけいに気にかかるというか。ちょっとした場面での阿吽、テレビの人たちが日ごろ批判する、土建屋の「談合」にも似た気脈のあわせ方が気にかかるのは、ワタシのへそが曲がっているからなのか。 さて。本書は2003年から「文藝春秋」に連載されたコラムを集めたものだ。 朝日