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証言に関するajitaのブックマーク (3)

  • 「国民抗戦必携」と油山事件 - 海鳴りの島から

    5月13日付沖縄タイムスに、大営陸軍部が1945年4月25日に刊行した冊子「国民抗戦必携」を林博史関東学院大学教授が米国立公文書館で確認した、という記事が載っている。 http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-13_6437/ http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-13_6450/ 紙上には「国民抗戦必携」の写真も載っていて、手榴弾爆雷、火炎瓶、刺突爆雷の使用法や、刀、槍、鎌、ナタ、玄翁、出刃包丁、鳶口、格闘などによる攻撃法が図入りで説明されている。写真を見ると、格闘には次のような説明がなされている。 〈水落ヲ突ク 睾丸ヲ蹴ル 其ノ他柔道、唐手ノ手ヲ用フル〉 武器の生産、配備が追いつかないときは農具や大工道具なども使わせ、果ては竹槍や素手で住民を米軍に立ち向かわせる。このような大営陸

    「国民抗戦必携」と油山事件 - 海鳴りの島から
  • お母さん大学

    夏休みで帰省している方も多いと思いますが、 9月号の宿題です。ずばりお題は「親子で似ていると思うところ」。 わが子と自分、もしくはわが子と夫が 似ているなぁと思うところ たとえば… 目、声、髪質、手足が長いこと、など身体...

    お母さん大学
  • 2集武田証言

    黒焦げで帰ってきた弟  ――武田恵美子さんに聞く――      武田恵美子さん 生年月日●大正一五年(一九二六年)二月二七日生まれ (インタビュー時七八歳) 被爆当時●一九歳(家事) 被爆地●爆心地より約一五キロ/広島県安佐郡(現在広島市安北区)亀山村河戸の自宅 私は武田恵美子と申します。大正一五年(一九二六年)二月二七日、広島県安佐郡亀山村河戸で生まれました。旧姓は山中と申します。広島に原爆が落とされた当時は山中恵美子でした。 実家は土木建築をやっていましたけど、失敗しましてね。戦争当時は移動製材という仕事をやっていました。父は当は木材業なんです。土木建築の頃は、収入はよかったのではないかと思います。土建屋木材業で大きくなっていたんですけど、だんだん戦争がひどくなって縮小され、立ちゆかなくなりました。男性はどんどん兵隊に取られていきましたし、爆撃が近くなって家を建てるどころ

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