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2009年9月10日のブックマーク (3件)

  • お部屋1950/創価学会を嫌う理由 1 | ポット出版

    ※すいません、なぜか間違って、この回に次の回を上書きしてしまったようです。元の文章を復帰させました。9月9日の杉山真大さんのコメント以降は次の回につけられたものです。 「1949/宗教への嫌悪感が生ずる条件」の続きです。 このシリーズは、りゅうさんが書いていたことに呼応して、なぜ「草の根」を批判することになったのか、また、なぜ批判し続けているのかを説明するものなのですが、同時に、「創価学会の弁護をしたいなんて微塵も思っていないので、勘違いしないように」と表明しておく意図もあります。 これはりゅうさんに対してというよりも、「松沢は創価学会の信者なのか」「創価学会を擁護しているのか」などと疑う連中に対する牽制の意味でもあります。時々やっておかないと、必ずそういうヤツらが出てくるものですから。 私は創価学会がでえ嫌いであり、そんな教団を弁護をする気は毛頭なく、あくまで私は「草の根」や瀬戸弘幸らを

  • DNA: 《 てやんDay!》

  • [読書][メモ]日本は明治31年までは「夫婦別姓」だった(2009-09-10) - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記

    たとえば「北条政子」に見るように、少なくとも鎌倉時代までは日では「夫婦別姓」が常態だったのは知っていたんだが(北条政子は源頼朝と結婚した後も北条姓である)、いつまで「夫婦別姓」の習慣が続いていたのかずっと気になっていた。答えを知った。明治31年、1898年、今から109年前に「夫婦同姓」制度が強制的に始まった。ちなみに日清戦争はその4年前の1894年。以下メモする。 結婚後の〔女性の〕改姓の点である。明治まで日にはこんな改姓という習慣はなかった。少なくとも姓を有していた人々の間では。なぜなら、儒教では、その人の持つ姓を最も重んじて同姓不婚(同じ姓の者とは結婚しない)という理論を立てており、夫婦別姓を守ってきたからである。〔略〕 明治政府は明治三年(1870)に平民に苗字(姓)を使うことを許した。〔略〕その〔苗字の〕強制の理由として、徴兵制の必要からであろうという説を〔熊谷開作は〕出して

    [読書][メモ]日本は明治31年までは「夫婦別姓」だった(2009-09-10) - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記
    ajita
    ajita 2009/09/10
    夫婦別姓反対派にはキリスト教右翼と頭の悪い田吾作保守が多そうだ。