北条執権政治ってめっちゃ短いよな 政子の死後50年経たないうちに元寇あって50年後には元弘の乱だもんな元々内紛多過ぎるのもそうだけど、一人一人の執権短命過ぎない?
![【鎌倉殿の13人】北条執権政治ってめっちゃ短いよな・・・・ : 大河ドラマ2ch](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/61a46f0505bdf6eeddab09ed5377c385faa2b3bb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fsbobsp-gdpekhbw%2Fimgs%2F2%2F2%2F222082f7-s.jpg)
北条執権政治ってめっちゃ短いよな 政子の死後50年経たないうちに元寇あって50年後には元弘の乱だもんな元々内紛多過ぎるのもそうだけど、一人一人の執権短命過ぎない?
トゥルイの名は、その重要性を考えると恐ろしいほどに日本での知名度が低い。 日本の歴史教科書において名前が載っているのはチンギス・ハーンとオゴデイ・ハーンとフビライ・ハーン、あるいはフレグぐらいのものだろう。 トゥルイと聞いてピンと来る人がどれぐらいいるだろうか? フビライ・ハーンとフレグの父親と聞けばピンと来るかも知れない。 フビライ・ハーンは漢民族の南宋を滅ぼし日本侵略である元寇を行った人物で、我々にもなじみが深い。 今回はチンギス・ハーンの息子達の中でも特に才能に恵まれていたトゥルイについて見て行こう! チンギス・ハーンの末子 チンギス・ハーンには5人の妃と数百人の愛人がいたが、後継者となりうるのは正妻ボルテの息子達だけだった。 長男ジョチ、次男チャガタイ、三男オゴタイ、そして末子のトゥルイ。 トゥルイは1192年に生まれたとみられ、父テムジンがチンギス・カンになった際には14歳であっ
絶対的権力は腐敗するという言葉があるけれど、権力が大きくなればなるほどそれに応じて狂った時に歯止めが利かなくなるのが世の常なようで、権力が一極に集中している国家ではしばしばとんでもない君主が出てくるのは過去も現在も同じこと。 中でも中国とローマの皇帝の狂い方はその権力の分尋常じゃなく、イカれた皇帝のオンパレードだったりする。 今回はその中でも特にイカレ具合の大きい魏晋南北朝に誕生した「宇宙大将軍」こと侯景について見て行こう。 混乱の魏晋南北朝 魏晋南北朝時代というのは中国の歴史の中でも特にイカれた君主の多い時代として世界史マニアの間では名高い。 そのようになってしまった発端は三国志にあると言っても良い。 孔明の死んだあとの三国志の話を知っている人は少ないと思うが、ものすごく簡単にs説明すると司馬懿が魏に対して起こしたクーデターが成功し孫の司馬炎が3国を統一して統一王朝晋を建国した。 中国に
~ Literacy Bar ~ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、 時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。 ※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。 南北朝時代も終盤に差し掛かると、二大勢力の対立という単純な構図ではなくなってくる。巨大な方形に見立てた中国大陸を縦横に四分割して頂きたい。右上を支配するのが北斉、右下が陳、そして、左上と左下が北周の版図である。 「斉、陳、及び周の三国鼎峙す」 と『資治通鑑』が評するように、南北朝時代の末期は魏・呉・蜀にも劣らない三国鼎立の様相を呈していた。単純な面積では北周が他の二国に勝っているが、その半ばは峻険たる山岳地帯や荒涼たる砂漠地帯であり、実用に耐え得る領土は多くない。一方、北斉が盤拠するのは中原と称される中華帝国の中枢部であり、その人口と生産力
2024.03 « 123456789101112131415161718192021222324252627282930 » 2024.05 文襄六王(ぶんじょうろくおう)と呼ばれる、六兄弟は、北斉王朝の時代、高貴な生まれにもかかわらず、それぞれが悲劇的な運命をたどりました。 高孝瑜、高孝珩、高孝琬、高長恭、高延宗、高紹信の6人。 高澄(私たちの認定チェーザレの一人、高子恵さま! 死後文襄皇帝とおくり名された)の息子たちです。 北斉の実質上の創始者である高歓は、自身の後継者として自他ともに認めていたのが長男の高澄ですが、即位寸前(つまり、早い話が魏の孝静帝から帝位を奪う予定だったのです)、28歳で暗殺されます。 帝位簒奪は、弟の高洋がひきついで、王朝を創始(文宣帝)します。 北斉王朝は、初代の文宣帝は、軍才はあったものの(敵方の宇文泰が誉めるほど)性格は残虐で、淫乱、暴虐、アル中の君主と
日本でもよく知られている三国志の物語は、司馬氏の西晋により280年に三国が統一されて幕切れを迎えた……。が、それから遣隋使や遣唐使で知られる7世紀の隋・唐まで、中国史の知識がすっぽり抜け落ちている人も多いのではなかろうか。事実、三国志と隋唐時代に挟まれた約300年間の中国は、目まぐるしく王朝が移り変わる動乱の時代だった。 まずは西晋が内紛で崩壊し、中国北部で異民族の小王朝が乱立(五胡十六国)。やがて鮮卑せんぴ族の北魏ほくぎが台頭して5世紀なかばに華北を統一する。いっぽう中国南部は晋の皇族が亡命政権(東晋)を樹立後、王朝が宋・斉・梁・陳と続いた。北族(遊牧民)の北朝と、漢民族の南朝が対峙たいじする「南北朝時代」である。やがて北朝の系統である隋が中国を再統一した。 北方の遊牧民が、漢人と衝突し、融合した時代 ——今年、日本史の世界では清水克行先生の『室町は今日もハードボイルド』(新潮社)が話題
大学で第二外国語を習うとき、ドイツ語やフランス語など欧州系の言葉で1番引っかかるであろう要素が「名詞の性別」「人称変化」です。これによって動詞や形容詞の形が変化する上に、不規則変化もあって一つずつ覚えるしかない厄介なもの。どうしてそんなものがあるのかと面倒に思う人が多いでしょうが、実は逆なのです。「他の言語にはあるのに、なぜ英語にそれがないのか」という見方が、このことを知るためには重要になります。 練習問題の解答『アサシン クリード ヴァルハラ』MCバトルは伝統芸能だった?言葉遊びが試される口論詩の日米比較【ゲームで英語漬け#91】 問: Your flyting’s astounding, you’re worthy of praise! You swing a fine axe, and you turn a good phrase! 解答例: 見事なその詩に誰もが感心 振るう斧が如く
1790年 バウンティ号反乱事件の乗組員らが上陸 1829年 イギリスが領有宣言 1897年 フィジー総督の管轄下に 1970年 フィジー独立に伴い、ニュージーランド駐在の高等弁務官の管轄下に ピトケアン諸島の位置(右下の方です) ピトケアン島の地図 「絶海の孤島」という表現が世界で最もピッタリ来る場所が、南太平洋の英領ピトケアン島だ。人口わずか45人ほど。一番近い有人島のマンガレバ島へは400km、政庁があるニュージーランドまでは5310kmも離れ、飛行場は無く、外部との交通はニュージーランドから北米へ向かう貨物船が3ヶ月に1回寄るだけというから、相当なものだ。一体なぜこんな辺鄙な場所に住みついた人たちがいるのだろうと思いきや、辺鄙な場所だからこそ住みついたのが真相。この島はバウンティ号反乱事件の首謀者たちの子孫が住む「落人島」なのだ。 時は18世紀後半のこと。イギリスはアフリカから連れ
★インド旅行の備忘録として、通常ブログの合間にアップしていきます。 アーグラは見どころいっぱい。世界遺産いっぱい。食後に向かったのが広大なアーグラ城塞。このお城を建てたムガル帝国 第3代皇帝アクバルの逸話が大変興味深かった。ただ、こういう逸話は盛ってる可能性も否めなく、どこまで真実なのか判らないけど、面白いので取りあえずご紹介。 ムガル帝国は16世紀前半~19世紀半ばまで300年以上続いたイスラム国家。ムガルとは中央アジアのモンゴルのことで、アーグラ城を建てたアクバルの祖父バーブルは、モンゴルの血筋を引くトルコ系民族出身。中央アジア一帯を支配していたバーブルは、北インドの地にもともといたロディ朝を倒してムガル帝国を建国。そのバーブルの孫アクバルは父フマユーンが急逝したため、13歳で第3代皇帝に即位した。後にムガル帝国といえばアクバルと言われるほど偉大な皇帝として名を馳せることになる。このア
Photo from "Creamy, Meaty Richness Galore! These Are The Very Best Mughlai Restaurants In Delhi" So Delhi 様々な文化がミックスして花開いたインド宮廷料理 ムガール帝国は16世紀初頭から19世紀後半まで存在したイスラム系王朝で、強力な軍事力を率いて中央アジアからインドに侵入して南下しながら徐々に領土を広げ、一時は南インドの一部を除く全インド亜大陸を支配しました。 ムガール帝国の元でヒンドゥー文化、ペルシア文化、中央アジアの文化がミックスした独自の文化が花開き、特に建築の分野では有名なタージ・マハルなど壮麗な建築が帝国各地に建設されました。 食文化の面でも、ムガール宮廷は様々な文化を吸収した洗練された宮廷料理を発展させ、その贅沢放蕩ぶりは帝国の傾斜をもたらすのですが、現在のインド料理にも大
人は夢見る動物である。夢を見るのは人ばかりでなく、犬も猫も、おそらくは蜂や蝶も夢を見る。しかし昼にも夢を見続け、一生夢を追って生きるのは人間だけであろう。 私の最も好きな人物の一人に、インドでムガール帝国を起こしたバーブルがいる。彼の生涯は、自ら書き残した日記体の記録バーブルナーメによって辿る事ができる。
世界で最初の勅許会社でありながら、一航海ごとに資金を集め、船が帰国した後にその輸入品または売上金を分配するという株式会社の先駆けとなる形態を採っていたイギリス東インド会社。 最盛期には、英国陸軍の2倍に相当する26万の兵で構成された私設軍を擁し、南アジアの広大な地域を事実上の支配下に置いていたのであった…… 『British Soldiers Were Seen Fighting Their Way Through the Streets』と題されたH・E・マーシャルの絵画(1908年)。1857年のインド大反乱における、ラクナウ包囲戦の一場面だ。 BBCが放送した『Taboo(原題)』は、ディケンズ風『グッドフェローズ』といった雰囲気の歴史ドラマだ。主演のトム・ハーディは、海運王を目指す冒険家、ジェームズ・ディレイニーを演じている。そんな『Taboo』の重要なシーンで、ディレイニーは黒っ
第11回:ミール・ジャアファル(1691-1765) ミール・ジャアファルは第6代ベンガル太守。 プラッシーの戦いでイギリスに内通。第5代ベンガル太守シラージュ・ウッダラを裏切りインドに敗北をもたらしました。 ジャアファルは自身の権力を保持するためにイギリスに従属。そしてインドの土地をイギリスに割譲し、それはイギリスのインド全土の植民地化への第一歩となったのでした。 そのため現在のインドにおいて「ジャアファル」は裏切り者の代名詞とされています。 ベンガル太守とは? ベンガル太守とは、現在のインド・西ベンガル州とバングラディシュを統治した「地方長官」のことです。 ムガール帝国がインドを支配する前は、この辺りにはベンガル・スルターン朝という別の王朝がありました。何よりデリーから遠いし、無理に皇帝が直接統治するよりも、太守経由で間接的な統治をしたほうが色々都合がよかったのでしょう。 課税権や立法
2021年には「私の大親友のアンネ・フランク」オランダで映画化2022年10月、アンネ・フランクの親友だったハンナ・ゴスラーがイスラエルで93歳で逝去された。ご冥福をお祈り申し上げます。アンネ・フランクは「アンネの日記」として世界中で読まれており、日本でも有名だ。だが、アンネの親友でアンネが隠れ家に隠れるまでアムステルダムで一緒に遊んでいて、辛うじてホロコーストの地獄を生き延びることができたハンナ・ゴスラーのことは一般の方にはあまり知られていない。アンネ・フランクというと歴史上の人物で大昔の人だと思っている方も多いようだが、ホロコースト時代にユダヤ人だという理由だけで迫害され強制収容所で死亡しなければ、ひょっとしたらまだ健在だったかもしれない。 第二次世界大戦の時に、ナチスドイツが約600万人のユダヤ人を殺害した、いわゆるホロコースト。アンネ・フランクはユダヤ人だったために、ナチスの標的と
神奈いです @kana_ides 前も言ったけど「私は参謀タイプですから」という人は自分では何もせずに助言を一つ二つしたら全部うまく行く、って感じで考えてる。 実際の参謀の仕事は情報収集、計画作りから地図整理、補給手配、工程管理、計算計算に伝令などひたすら下働き。 最高の軍師孔明は過労死した。 2022-06-10 09:19:55 元興@雑多垢 @genko01_0725 @kana_ides ただでさえ忙しい中で帳簿の確認までやろうとして「丞相それ私の仕事ですよ!」と部下に怒られたなんて話もありますからね>孔明 筋金入りの参謀気質の人ってむしろ自分から動かないと不安になるんじゃないかなと思います 2022-06-10 09:39:34
ビートルズ来日で新映像 幻の最終公演も、警視庁撮影―NPOが開示請求、ネット公開 2022年10月03日07時04分 日本武道館で演奏するビートルズ。1966年6月30日夜の初回公演とみられる(警視庁撮影の映像より、NPO法人情報公開市民センター提供) ビートルズが1966年に来日した際、警視庁が警備の状況などを撮影した映像が、56年ぶりに新たに公開された。NPO法人「情報公開市民センター」(名古屋市)が情報公開請求し、訴訟を経て、同庁がメンバー以外のファンや警察官の顔にモザイクをかけた上で開示した。これまで未発見だった最終公演の様子も一部記録されており、専門家は「幻の映像で、歴史的、文化的遺産だ」としている。 〔写真特集〕ザ・ビートルズ デビュー前の未公開写真も 公開されたのは、一行が来日した66年6月29日~7月3日に撮影され、「ザ・ビートルズ来日に伴う警備」と題された35分40秒の無
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く