最近車に乗り始めたので、今日は雨だったが外出することが出来た。 雨は結構好きなんだけど、雨に濡れるのは嫌だ。雨の良いところは、水が流れるのが見られるところや、降るときの音だったりする。自分が濡れなければ雨はとても好きなものなので、濡れずに移動する手段があれば、むしろ好んで外出することになる。 つまり車はとても良い。ちょっと前までは車なんて速く移動できるだけで楽しくないよなーとか思っていたけれど、運転にも慣れてきたし、今日は少し楽しかった。濡れずに雨の中を速く移動できるのはとても楽しい。 何故外出したのかというと、トイレ掃除をするために、その道具を買いに行ったのだった。今週の週末はトイレ掃除をすると心に決めていたのだ。誰が何と言おうと僕はトイレ掃除をするんだ! ブラシを買うんだ。トイレと共に、心も洗われるのだ! という気持ちで明日トイレ掃除を行う。準備は万端だ。
祖母の白寿のお祝い 先日、満99歳(数えで100歳)になった祖母の白寿のお祝いをやった。 さすがに身体のあちこちに不具合が出てきており、そろそろ本格的に外出も難しくなってきたので祖母と一緒に家族で集まれるのはたぶんこれが最後だろう。 下は0歳から上は99歳までいるので、移動と諸々…
子どもの頃、身振り手振りをつけて、お遊戯しながら歌っていた「アブラハムには7人の子〜」という童謡(これ、全国的に歌われていたんだろうか)。わたしの記憶では、歌詞はこんな感じだ。ちょっと違うかもしれないけど、まあだいたい。 アブラハムには 7人の子 ひとりはのっぽで あとはちび みんな 楽しく 遊んでる さあ 踊りましょう 右手(右手) 左手(左手)……(以下略) わたしはずっと、この歌は外国の童謡に訳詞をつけたもので、「アブラハム」は、旧約聖書のアブラハムのことだと思っていた。で、最近うつらうつらしながらふとこの歌のことを思い出し、「ひとりはのっぽで」というところで、「じゃあ、こののっぽはイサクのことなのだろうか」と考えた。アブラハムの子といえば、イサクである。だとすると、他に6人ちびがいたのだろうか。それとも、イサクがちびで、他にのっぽとちびが5人いたのか? そうすると俄然、「イサクはの
「やっぱり一人お金入れないやつが居るっぺよ、毎日毎日。」そうおじさんが他の客に愚痴を零すのが耳に入ってくる。ここは近所の弁当屋。 この弁当屋にはいくつもの伝説がある。ここに書くのははばかられるが、どれもパンチが効いている。そして伝説を冗談だと思って弁当屋に行くと、おっちゃんが堂々とタバコを咥えながら出てきて思わず「今日もタバコが美味しいですね」と言いたくなる事請け合いだ。 そんな弁当屋だから、「つくばの人は皆いい人だっぺよ」的な性善説に基づいた「弁当無人販売所」を思いついて実行してしまうのは何ら不思議ではなく、冒頭の愚痴へと繋がってしまうのだった。どのような販売形態かについて言及しておくと、おかずだけが詰められた弁当がいくつも並んでいるのでその中から好みのものを選択、そして自分でホカホカのご飯をジャーからよそう、というものである。因みに、お金は黄色いコップに300YEN。人件費、セキュリテ
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
ちょっと手が空いたものだからってアンテナに登録したダイアリを片っ端から読み漁っていたら思いがけず時間が過ぎてしまい寝るのが遅くなって今朝は大人として恥ずかしい寝坊をしてしまった。大人であるなら寝坊ではなく寝おっさんと呼ぶべきか。若しくは寝爺とか。 午前中に打合せの約束をしていた先方から携帯電話に連絡が入り着信のバイブで目覚めて約束の時間を30分をずらしてもらい出社。たかだか5分ばかりの通勤の最中に別件で連絡が入り会社に着いて用件を済ませたところで今度はまた別の件で連絡が入る。いまだかつてこれほどまでの繁盛期を体験したことがなく物事の優先順位が把握できなくなってきている。とりあえず先に手を放した方が本当の母親なのだろうなとは思う。約束の時間ギリギリになりようやく会社を飛び出て打合せに。「遅くなってすみません」と謝ると「お忙しいところすみません」と厭味を言われたので「貧乏暇なしってやつでござい
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
murmure 私は喫煙者だった。オットーもそうだった。極度のチェーンスモーカーで、一日に二箱くらいなら平気で吸ったしそれでも足りないくらい吸った。手持ちの小銭はいつも煙草代に選り分けられていたし、クローゼットにはいつもカートンで買ったゴロワーズがあった。それは自動販売機にあまり売っているところを見ない為に、煙草屋で買っていたからだ。だから使いもしない百円ライターだらけで、よくジッポのオイルを切らしてしまう(そしてそのことを忘れてしまう)オットーに全部あげていた。一つよりも二つ、鞄とジャケットに入れておけば困らないだろう、と。備えよ常に、とボーイスカウトで弟が教えてもらってきたのを、更に教えてもらったから。 私達は会えば必ず煙草の吸える店に入ったし、携帯灰皿は期せず同じものを持っていたので混同したし、面白そうな煙草はよく試した。試すべきだ、と思っていた。結局試すだけで馴染まずに、普段通りの
地下鉄の改札を出て5、6メートル歩いた時、初めて女のホームレスを見た。 もちろんそれまでホームレスの女を見たことはあった。テレビで見た中年夫婦のホームレス、繁華街でショッピングバッグを沢山持ったおばさんのホームレス、子どもの頃見た筵を敷いて座っていたおばあさんの「お乞食さん」。 地下鉄の改札の外で見たのは、若い二十歳そこそこと思しき小柄の女性だった。最初その人が視界に飛び込んできた時、新興宗教の人か何かかと一瞬思ったのは、彼女が全身白尽くめだったからだった。 白い大きめの半袖Tシャツを数枚重ねて着て、白い綿のスカートとも布切れともつかないものを腰にまとっていた。寒いからかTシャツの半袖に腕を通さず、中に引っ込めていたので、一見腕のない人に見えた。足は裸足で、真っ黒に汚れていた。少なくとも2週間は靴というものを穿かずに戸外を歩き回った足だった。髪は長く、手を入れて掻き回したかのようにグシャグ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く