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森鴎外に関するpengin-stellaのブックマーク (3)

  • 関川夏央「〈没後100年〉27歳で『舞姫』を書いた森鴎外が、53歳で紡いだ大人のための小さな物語『じいさんばあさん』」 連載:50歳からの読書案内|教養|婦人公論.jp

    来る2023年、中公文庫は創刊50周年を迎えます。その記念プレ企画として、連載では「50歳からのおすすめ」を著名人の方に伺っていきます。「人生100年時代」において、50歳は折り返し地点。中公文庫も、次の50年へ――。50歳からの新たなスタートを支え、生き方のヒントをくれる一冊とは? 第13回は、作家・評論家の関川夏央さんに伺います。 関川夏央(せきかわ・なつお) 1949年新潟県生まれ。上智大学外国語学部中退。『海峡を越えたホームラン』で第7回講談社ノンフィクション賞を、『「坊っちゃん」の時代』(谷口ジローとの共著)で第2回手塚治虫文化賞を、『昭和が明るかった頃』で第19回講談社エッセイ賞を、2001年「明治以降の日人と、彼らが生きた時代を捉えた幅広い表現活動」により、第4回司馬遼太郎賞を受賞。その他の著書に、『白樺たちの大正』『昭和時代回想』『寝台急行「昭和」行』『子規、最後の八

    関川夏央「〈没後100年〉27歳で『舞姫』を書いた森鴎外が、53歳で紡いだ大人のための小さな物語『じいさんばあさん』」 連載:50歳からの読書案内|教養|婦人公論.jp
  • 森鷗外の再婚について。森鷗外は明治35年1月4日、東京の自宅で志げと再婚しました。婚姻の届け出はいつ... | レファレンス協同データベース

    森鷗外「小倉日記」に以下の記載があります。 ・(明治三十五年二月)二十日 迎婦の事、勅裁を仰ぐを法とす。是日文書を具して呈す。曰く。結婚願。(略) ・(明治三十五年三月)十二日 結婚願裁可の書を得たり。(略) また、 「鷗外「ヰタ・セクスアリス」考」 長谷川泉/著 P479によれば 「「文京区改正原戸籍」によれば<明治参拾六年壱月八日森林太郎ト婚姻届出仝日入籍>となっている。」 との記述があります。 ・一方、『森林太郎の戸籍・於菟の出生』山中実(「鴎外」20、森鴎外記念会)P86には、 「志げの入籍の日は明治三十六年一月十八日」である、との記述があります。 森鷗外が志げと再婚したのは、小倉赴任中。森鷗外の「小倉日記」で明治35年の記事を確認。1月に東京で式を挙げ、2月に婚姻願を提出し、3月に勅裁がでたことを確認。 婚姻願は、当時施行されていたに「陸軍武官結婚条例」(明治14年5月3日)基づ

    森鷗外の再婚について。森鷗外は明治35年1月4日、東京の自宅で志げと再婚しました。婚姻の届け出はいつ... | レファレンス協同データベース
  • 【『舞姫』講座】セイゴンの夜⑥

    —— さて、次に行こう。 こたびは途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし冊子もまだ白紙のままなるは、独逸にて物学びせし間に、一種のニル、アドミラリイの気象をや養ひ得たりけん、あらず、これには別に故あり。 げに東に帰る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮き世の優き節をも知りたり、人の心の頼み難きは言ふも更なり、我と我が心さへ変はりやすきをも悟り得たり。昨日の是は今日の非なる我が瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せん。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。 サイゴン港に碇泊中の船室に一人、夜を過ごしている豊太郎の「行李」[こうり=籐などで編んだ旅行用トランク] の中には、ノートが入っていた。それは一冊だったか数冊だったか分からない。そのノートは洋行の際買ったものだった。洋行日記・留学日記を書くつもりだったと書いてあんべ。けど、そのノート

    【『舞姫』講座】セイゴンの夜⑥
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