∞「勝者」銀山 追う肘折 「東京では、銀山を知らないとおかしいというぐらい、名前が挙がっています」 マイクを握った来賓の国会議員が切り出した。 1999年12月4日。延伸当日に最上広域交流センター「ゆめりあ」であった記念式典でのことだ。当時銀山温泉組合長だった「昭和館」の13代目、笹原正一郎(66)は驚いた。「何だって銀山ばっかり」と、最上地方一円から集まった温泉関係者からうらやましがられた。 「ひなびた温泉場が脚光を浴びたのは新幹線のおかげ」と笹原は振り返る。 80年代に「おしん」で脚光を浴び、尾花沢市の「銀山温泉家並保存条例」で景観を守って「大正ロマン」を打ち出した。しかし魅力的な風景を生み出す雪が、一方で観光客誘致への障害にもなった。「都会の人は、雪国での運転は敬遠する。新幹線からの在来線への乗り換えも嫌うから、2月から3月半ばまでは開店休業だった」 そんな中で、新庄駅か