取り壊されることになった天六阪急ビル(中央)。駅ビルだった名残で手前にはプラットホーム跡が見られる=大阪市北区で、大西岳彦撮影 大阪・天六の名物ビル「天六阪急ビル」(大阪市北区天神橋7)が今年春、取り壊される。国内で初めて屋内に高架のプラットホームを設けた駅ビルとして1926(大正15)年に建設。商業ビルとなった近年も、大正時代の重厚な雰囲気を残してきた。地元では「長年の地域のシンボル。残念」と別れを惜しむ声が上がっている。【松井聡】 新京阪鉄道(当時)が建設。鉄筋コンクリート造り7階建て(延べ約1万4000平方メートル)のビルは周辺で際立つ高さだった。2階部分が、京都に向かう路線の起点となる「天神橋駅」のホームで、上層階に食堂や鉄道本社が入った。駅前にはバスやタクシー乗り場も整備され、通勤客らの他、行楽シーズンには京都・嵐山への直通列車を待つ人であふれたという。現在の一般的な駅ビルの形態