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東日本大震災では、多くの方が犠牲となり、行方不明の方がいまだ2000人を超えています。 このように沢山の人が行方不明なるというのは我が国の経験としては極めて稀な経験だと思います。 世界的に見ると、スマトラ地震・津波の際には死者・行方不明者は20万人以上で、行方不明者は5万人を超えました。また、911テロの際には2,973人の方が亡くなり、ビル内にいたとされる約1100人の方の亡骸は最後まで発見されませんでした。 このように行方の分からない喪失をあいまいな喪失(Ambiguous loss)といいます。 あいまいな喪失のケアに長年携わってこられたミネソタ大学のPauline Boss博士は、あいまいな喪失を「はっきりしないまま、解決することも決着を見ることも不可能な喪失体験」と定義し、「通常の喪失と異なり、あいまいな喪失の中にある人は、その悲しみのために前に進めなくなってしまう」と述べていま
「自殺ではなく、病気だったらよかったのに」 病気を苦に自死してしまった方のご家族の言葉を聴いた。 気持ちは、痛いほどわかる。 私の夫も以前、私が、 「○○さんのお父さん、息子さん亡くなっても明るくてがんばってるね」 と言った時に、 「○○さんは病気だから、オレの苦しみとは違う」 と、言ったことがあった。 確かに、自死は、どうしても偏見で見られがちだ。 あの子は、かわいそうな子だ。 あの子は、なぜ、自分から死んでいったんだろう。 あの子は、普段から様子が暗かった。 そんなふうに噂されることが多い。 だから、その人も名誉のためにも、自死であることは 知られたくないのだろうと思う。 でも、私は思う。 家族にしてみたら、自死でも事故でも病気でも、 もうその子に触れないのは同じこと。 その子の笑い声も、かわいい笑顔にも逢えない。 なのに、どうして 自殺ではなく、病気だったら「いい」のだろうか。 (同
1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史 東日本大震災からもう1年が経とうとしている。人々の記憶も薄らぎ始めた。しかし、国の復興対策はなかなか進まず、被災者・遺族の心の傷も癒えない。3.11がもたらした「喪失」は、日本人にどんな教訓を投げかけているのか。日本が真の復興を遂げられる日は来るのか。その問いかけをまだ止めることはできない。いや、止めてはいけない。遺族、医師、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを取材し続けた筆者
9/29締切【4ヶ月完結・オンライン+現地】わたしをいかした小さな商いをはじめる。まち商いスクール in 福島県双葉町 参加者募集!未来ワークふくしま起業スクール&ツアー いつ、どこで、どんな形で大切な人を亡くしても、確実にサポートできる社会を目指す「Live on」[マイプロSHOWCASE] 2012.05.05 森近 恵梨子 考えたくもないことかもしれませんが、一緒に想像してみましょう。もしあなたがいま大切な人を亡くしたら? さみしさ、後悔、怒り、いろんな感情がこみ上げるかもしれません。そんな時、支えてくれる誰かがいたら…このサポートの仕組みづくりをしているのが一般社団法人「Live on(リヴオン)」です。大切な人を亡くした方へのグリーフサポート、ケア、学びの機会の提供などさまざまなプログラムを、事業として行っています。 母の日の原点を伝えていく意義 Creative Common
東日本大震災から一年を前に、被災者や遺族らの傷ついた心を支える「グリーフ(悲嘆)ケア」があらためて問われている。立ち直ったとみられても、節目の日の前後は気持ちが不安定になりがちで、専門家は「被災者にも周囲の人にも気持ちの変化を正しく知ってほしい」と呼び掛ける。 (赤川肇) 自宅が全壊し、多くの知人が亡くなった宮城県東松島市の安倍志摩子さん(50)は十一日を迎えるのが心配だ。「震災さえなければみんな生きていたのにと考えると、十一日の同じ時間に自分がどんな気持ちになるのか。精神的に不安定になる被災者がたくさん出るのでは」と懸念する。 「仮設住宅に入って酒に依存するようになってしまった」「これからの生活が不安」。宮城県内最多の三千二百人が死亡した石巻市。精神的ケアの拠点として市が昨年十月、JR石巻駅前に設置した「からころステーション」には一日平均十人が相談に訪れる。 体と心を意味する「からころ」
印刷 2万人近い死者・行方不明者が出た東日本大震災を契機に、災害で大切な人を亡くして悲しみに暮れる人たちを支えようと、心療内科の医師や研究者らが12月、災害遺族の悲嘆(グリーフ)について考える全国ネットワークを立ち上げた。災害遺族への支援とともに、悲嘆の理解を深め、適切な対応を広めてゆく。 「災害グリーフサポートプロジェクト」(事務局・国立精神・神経医療研究センター)。東日本大震災後、全国の専門家11人が世話人となり発足した。ホームページ(http://jdgs.jp/)を開設し、遺族、支援者、専門家に向けてそれぞれ情報を提供。被災地で悲嘆ケアに取り組んでいる団体と連携するほか、遺族と接する医師らへの講習会も開いてゆく方針という。 プロジェクトのホームページなどによると、災害による死別は、突然訪れる▽多くの喪失が重なる▽遺体の損傷が激しい――といった傾向や特徴がある。加えて、遺族は避
ロンドンに住む写真家のMiranda Huttonさんは、支援団体の紹介や死別を扱ったウェブサイトを通じて、幼い子どもと死別した両親と面会しました。そこで見た子ども部屋のいくつかは、テディベアの下にたまるホコリを払ったりするなどして、子どもが亡くなったその日のままで何年も維持されていたそうです。 また、いくつかの部屋は額縁や棚などにホコリが多くたまっており、手つかずのまま思い出と共に密閉されていました。逆に、時間の経過と共に少しずつ来客者に客室として使ってもらったり、物置として使用している人もいたようです。中にはアートスタジオに改造したケースもあります。そんな部屋を入り口から撮影した写真が「Rooms Project」です。 Flavorwire >> Heartbreaking Photos of Dead Children’s Bedrooms 1:亡くなってから11年が経過した部屋(
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