多くの人は世界一とまでは言わないけれど、「自分はそこそこの善人」であると思っています。私自身を振り返ってみても、人には自分が善人でありたいと考える傾向があり、「あれが悪い、これが悪い」と自分を棚にあげて他人を批判したり文句を言ったりします。 自分が善人でありたいと思うのは、自分を相対的な善悪で考えているからです。それは自分のなかにつくりあげた世間を気にかけているだけで、本気で自分自身を深く見た結論というわけではありません。つまり「自分はそこそこの善人」という思いは、他人との比較によって自己を規定していると言えます。 そうやってちょっといい位置に自分を置こうとするのは自己愛や自己中心性という誰もが持つ人間の習性で、その奥底にあるのは不安や恐れです。不安や恐れが、自分というものの確かさを常に確かめたくて仕方がないという気持ちをかき立て、自分をいい位置に置こうという力として働いてしまうのです。