タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

ひきこもりに関するnebokegaoのブックマーク (2)

  • 『なるにわ』さんの呼びかけから - Freezing Point

    『全国ひきこもりデー(4月1日)』の呼びかけから考えたこと ●(1)積極的に「ひきこもろう」という呼びかけは、実際のひきこもり状態にあるような《切断》とは、異質のふるまいになる。ストライキは、社会的な意思表示であり、最初から活動的だ。 ストライキに生じている意識や関係の動きと、「やむにやまれず引きこもるしかない」に生じているそれとで、何が違うか。――これは、重要な検証テーマ。*1 ●(2)日頃働いている人たちが引きこもるという日に、「いつも閉じこもっている人たち」に任せられることがあるなら素晴らしい。 それまでの経歴から、差別的に「ひきこもり」とレッテルを貼られていても、すでに求職活動を続けていて、むしろ参加や就労のチャンスがないことに苦しんでいるケースだって多いはず。(私もその一人) ●(3)ひきこもろうが、ストライキをしようが、結局は同じ社会に暮らしている。そこで、どういう参加を私たち

    『なるにわ』さんの呼びかけから - Freezing Point
    nebokegao
    nebokegao 2014/03/25
    「「なにものか」でなくても、人が居られる場所/厄介なのは、…「なる」つもりがなくても、割り振られた役割によって、何者かで「いる」ことを強要される(ということ)」
  • ひきこもることと社会契約 - Freezing Point

    ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)』より: だから純粋に公民的な信仰告白というものが必要なのである。その箇条を定めるのは主権者の役割である。それは厳密に宗教的な教義としてではなく、社会性の感情としてである。この感情なしでは、善き市民でも、忠実な国民でもありえないのである。主権者はそれを信じることを誰にも強制できないが、これを信じない者を国家から追放することはできる。主権者はこの人物を、不信心な人物として追放できるのではない。非社会的な人物として、法と正義を真摯に愛することができない人物として、そして必要とされるときに義務のためにみずからの生命を捧げることのできない人物として、追放できるのである。もしも誰かがこの教義を公式に是認したあとで、あたかもそれを信じていないかのようにふるまったとしたら、その人物は死をもって罰せられるべきである。この人物は最大の罪を犯したのであ

    ひきこもることと社会契約 - Freezing Point
    nebokegao
    nebokegao 2014/03/20
    「「産んでくれと言った覚えはない」/しかし、「産んでくれ」と言ってから産み落とされた人は、人類史上に一人もいない/いつ「引き受けた」ことになるのかというのは、契約論の視点から整理しておく必要を感じる」
  • 1