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ブックマーク / sakstyle.hatenadiary.jp (7)

  • 名古屋哲学フォーラム2013秋「美を語る資格があるのは誰だ? 心理学(脳神経美学) vs 科学哲学 vs 分析美学」 - logical cypher scape2

    日時: 2013年9月14日(土曜日)午後1時半より 会場: 南山大学名古屋キャンパスR棟R32教室 行ってきました。 名古屋は2度目。とはいえ、1度目は、他のところへの旅行の途中で立ち寄って名古屋駅の近くで昼べただけ。今回も、南山大学直行して、またすぐ帰るみたいな感じで、全然名古屋観光とかしてませんがw 地下鉄名古屋大学駅が、当に名古屋大学ど真ん中みたいなところにあるのにびっくりした*1。で、名古屋大から坂を登ったところに、南山大がある。歩いて10分かからないくらいのところで、この2つの大学がこんな近くにあるというのも知らなかった。 名古屋哲学フォーラム2013実況・感想など - Togetter [トゥギャッター] 当日の実況の様子など、kasuhoさんがとぅぎゃってくれています。 ってなわけで、以下大雑把ながらどんなんだったか要約したり、感想だったり あくまでも僕がメモったもの

    名古屋哲学フォーラム2013秋「美を語る資格があるのは誰だ? 心理学(脳神経美学) vs 科学哲学 vs 分析美学」 - logical cypher scape2
  • ロバート・ステッカー『分析美学入門』 - logical cypher scape2

    その名の通り、美学の入門書であり、複数のトピックについて基的な議論が紹介され、各章末には練習問題と参考文献が付されている。 また訳注も充実しており、時に、いわゆる分析哲学における議論の進め方についての一般的な解説とでもいうべきようなものまで書かれている。 あと、表紙のデザインがよい。 ちなみに原題は、Aesthetics and the Philosophy of Art: an Introductionであり、分析美学の名はない。「現代英語圏における美学と芸術の哲学」といった方がよりよいのかもしれない(とはいえ、近年では非英語圏でもこのスタイルでの研究があるということで、この言い方も正確ではない)。 さて、美学と芸術の哲学ということで、書も二部構成となっていて、一部が美学、二部が芸術哲学となっている。 Ch.1 はじめに 第1部 美学 Ch.2 環境美学――自然の美 Ch.3 〈美的

    ロバート・ステッカー『分析美学入門』 - logical cypher scape2
  • 八木沢敬『意味・真理・存在 分析哲学入門中級編』 - logical cypher scape2

    八木沢敬『分析哲学入門』 - logical cypher scapeの続編である(前作を読んでないと分からないという部分はなく、全く別の著作として読んでも問題ない)。 ぐっと内容の濃度が上がっていて、なるほど中級編だという感じ。 すごい色々と勉強になり、そういうことだったのかーとか、おもしれーとか色々あったけれど、むずいという部分も結構あった。 あと、ここまでは合意があるがここから先は意見が分かれてる、ということも書かれていて、ここから先は分析哲学の先端(?)なのかーというなんかワクワク感(?)も感じられる。 内容についてのレジュメもやっていきたいところなのだけど、とりあえず、どういうトピックが出てきたかを羅列しておく。 なお、以下人名のカタカナについては八木沢によるものに従う*1。 はじめに ジェームズのリスの思考実験(混同しやすいが別々の問題をわけること) 第1章 分析論 ムーアの未

    八木沢敬『意味・真理・存在 分析哲学入門中級編』 - logical cypher scape2
  • 藤田直哉『虚構内存在』 - logical cypher scape2

    サブタイトルは、「筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉」であり、筒井康隆論である。 第1章から第7章まで、筒井康隆の仕事をおよそ時系列順に追いながら、その中にある「虚構内存在」の思想を読み込んでいく。 最後につけられた第A章で、筒井康隆から離れて、「虚構内存在」の思想を藤田直哉的に展開している。 実をいうと、このを読み終わって、感想というのが思い浮かんでいない。 まず、筒井康隆を僕自身がほとんど読んでいないので、筒井康隆がどういうことをやってきた人なのかという点では勉強になったんだけど、それ以上はあまりピンときていない。 虚構論ということで、多分自分にとっても関心の近い領域ではあるのだけれど、一方で「文学と政治」的な、というか藤田さんの問題設定自体は、自分と関心のあり方が違って、そこでチューニングがうまくできなかったのかなあ、という感じ。 今日、ブログに書く記事が3目であることもあって、申

    藤田直哉『虚構内存在』 - logical cypher scape2
  • 門脇俊介『フッサール』 - logical cypher scape2

    フッサールについては、元々あまりしっているわけではないが、これを読んでフッサールのイメージが変わったかもしれない*1。 というか、おそらく著者自身が、今まであまり言われてなかったフッサール像を出そうとしたのかな、と思う。 筆者は、フッサールには3つの側面があるという。(1)基礎付け主義者(2)生の哲学者(3)反自然主義者の3つであり、ここでは特に3番目の姿に着目する。 まず、最初に心の哲学の話から始まる。心の哲学について、クオリアに着目する立場と志向性に着目する立場のふたつに分類した上で、フッサールが心の哲学の反自然主義立場の出発点である志向性理論の推進者だったと述べる。 そして、20世紀に起こった表象主義の転換との関わりも見て取る。 人間が表象によって世界をあらわすとは一体どういうことなのか、というのが哲学において長く論じられたことだが、近代においては、心の中の観念(表象)と世界との関係

    門脇俊介『フッサール』 - logical cypher scape2
  • 『現代形而上学論文集』 - logical cypher scape2

    メタフィジクスをやるとモテるという噂を聞いて、ゆるふわに近づくために読んでみた。 読んでみての感想は、メタモテへの道は遠い、というかこんな道は諦めるw そもそも形而上学って何なのよ、単なる言葉遊びじゃないの、と思われる向きに対して まああながち間違ってないというか、よっぽどの変態じゃない限り、こんなところに来なくてもいいだろうとは思うが*1、やはり色々なものの基盤についての思考であることも確かである。 こので扱われているのは、全て存在論に関する議論だが、こうした議論は、同一性に関する議論、因果や法則性に関する議論、あるいは自由意志や行為に関する議論をする上で重要な基礎となる。同一性も法則性もやはり形而上学のトピックなのだが、法則性や因果則とは何かということが分かれば、何故科学は世界を説明できるのかという問題に解決を与えることができるかもしれない。 に関して、少し注文をつけるとするならば

    『現代形而上学論文集』 - logical cypher scape2
  • 東浩紀『サイバースペースは何故そう呼ばれるか+』 - logical cypher scape2

    「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」を河出文庫版で再読。 それから、収録されている論考「精神分析の世紀、情報機械の世紀」「想像界と動物的通路」「スーパーフラットで思弁する」を読んだ。「精神分析の〜」は再読、残り2つは初めて読んだ。対話の章に収録されてるものは既読だったのでパス、また今度読む。あと、特別インタビューと濱野智史による解説を読んだ。 以前読んだときは、結構情報量の多さにいっぱいっぱいになりながら読んだ記憶があったのだが、今回はそうでもなかった。 一応、面白く読むことは出来たのだが(あちこち線引いたりして)、全体的な問題設定とそのための手段の繋がりというのに納得できなくなっていた*1。 ポストモダン論みたいなものへの興味が薄くなっていた。情報量にいっぱいいっぱいにならなかったのも、知識が増えたとかではなくて、そういう部分は少し引いて読んでいたからかもしれない。 近代からポストモ

    東浩紀『サイバースペースは何故そう呼ばれるか+』 - logical cypher scape2
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