5月末からサイドスローに転向していた東海大相模・一二三(ひふみ)慎太投手(3年)の見慣れないフォームに、プロの目がくぎ付けになった。 6日、相模原市内の同校グラウンドで帝京(東東京)との練習試合に登板。集まった国内8球団10人のスカウトの前で、サイドスローを披露。7回から登板した第1試合は最速142キロで、先頭打者に本塁打を許すなど3回4安打2失点。しかし第2試合では、3回からの2回を3者凡退に抑え、修正能力の高さを見せた。 身長185センチからの角度ある直球は最速149キロをマークし、今秋ドラフトでは唯一の高校生1位候補。門馬敬治監督(40)によれば、センバツ初戦敗退など不振に終わった春から試行錯誤し、本人の意向もあり5月22、23日の沖縄遠征を機に変更したという。同監督は「横だから悪いということはない」と説明。7月11日開幕の神奈川県大会も、横手投げのまま参戦する可能性が高い。上手投げ
「党本部のやり方は到底看過できない」「言語道断であります」。二十二日午前に自民党本部に離党届を提出した長谷川大紋参院議員(66)=茨城選挙区=が同日午後、水戸市の事務所で会見した。十月に衆院茨城7区の中村喜四郎氏が入った改革クラブと衆院で統一会派を組んだ際、事前に自民県連に相談がなかったことについて、あらためて党執行部を激しく批判し、「こうした行動を取らないと分かってもらえない」と真情を吐露した。 (沢田佳孝) 離党届を出した長谷川氏は、険しい表情で姿を見せた。「去る十月二十四日、県連の臨時党大会があった。その前日、改革クラブと会派を組むと聞き、大変な衝撃を受けた」と切り出した。これまでの選挙戦で、対立候補の中村氏を応援した同僚議員五人を除名した経緯を「痛手」と振り返り、「総選挙で惨敗した党が再生を図るには、まず党員の意見を聞くことが大事」と訴えた。
総選挙惨敗後の自民県連役員選考会であいさつする長谷川大紋氏(中央)。左は山口武平氏、右は岡田広氏=9月19日、水戸市大町1丁目の県連本部 茨城県選出の参院議員、長谷川大紋氏(66)が自民党を離党する意向を固めた。22日にも党本部に離党届を提出するとみられる。10月、党本部が8月の衆院選で茨城7区から当選した中村喜四郎氏(60)の所属する改革クラブと衆院で統一会派を組んだことに反発、離党を検討していた。茨城は東京都に次ぐ党員数を誇る、いわば自民の牙城(がじょう)。長谷川氏は茨城自民の黄金時代を築いた県連最高顧問・山口武平氏(88)の右腕ともいえる存在だけに、県連の痛手は大きい。 衆院茨城7区をめぐっては、自民県連が長く支援してきた中村氏があっせん収賄罪で有罪判決を受けたため、2000年総選挙で県連は独自に故・永岡洋治氏を擁立。その際に自民県議5人が中村氏を支援し、県連から除名処分を受けた
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