タグ

内田樹と「脆弱な自我」論に関するpengin-stellaのブックマーク (6)

  • 及び腰ストラテジー - 内田樹の研究室

    普天間基地の移転問題がなかなか解決しない。 問題がなかなか解決しないのは、誰もが満足できるソリューションが存在しないからである。 当たり前のことを言うな、と言われそうだが、「誰もが満足できるソリューションが存在しないとき」に「早く、誰からも文句のでない決定を下せ」と言い立てるのはあまり賢いふるまいとは思えない。 「できるなら、しているよ」 ということである。 「先送り」というのはひとつのアイディアである。 これについてはかつて春日武彦先生から含蓄のあるお話しをうかがったことがある。 精神科に通ってくる患者の中にはしばしば家族関係のしがらみで「どうにも身動きならない」という窮状にあるものがいる。 あちらを立てればこちらが立たずという状況である。 そういうときには「先送り」するという手が有効だと春日先生はおっしゃっていた。 先送りにしているうちに、原因となっていた家族の誰かが死んだり、入院した

    pengin-stella
    pengin-stella 2009/12/19
     あ~単に"素材"として→多分(人間である)>首相も、(略)「何が最適解だかぜんぜんわからないので」(略)ときっぱりとした「及び腰」を示せばよろしいかと思う>が趣意/ 但し軽々に「素材」とするの是非は別…/
  • 鳥取 revisited - 内田樹の研究室

    倉吉東高校に講演に行く。 この高校の芝野先生という方がたいへん熱心な「ウチダ読者」で、ご招請いただいたのである。 増田聡くんによると、「たいへん熱心なウチダ読者」のことを業界の一部では「タツラー」というそうである。 ええ、そうなの〜 「ウチダー」よりはいいでしょうと増田くんは言う。 まあそうだけど。 とにかく、その先生の音頭取りで全校をあげて「ウチダ」を読む運動を展開されているらしい。 生徒たちはしかたなく近くの書店に行って「ウチダタツルのありますか?」と訊くことになる。 倉吉の書店の人も次々に高校生がやってきてはウチダを求めるので、さぞや驚かれたであろう。 そのせいで倉吉の書店では「内田樹コーナー」を作ったそうである。 リバプールでレコード屋をやっていたブライアン・エプスタインのところにある日レイモンド・ジョーンズという少年が来て、「ビートルズのレコードある?」と訊いた。 ブライア

    pengin-stella
    pengin-stella 2009/12/05
     ご本人がノリノリな稿は楽しいな/
  • 商品経済から贈与経済へ - 内田樹の研究室

    教育関係の取材がある。 学生や若いサラリーマンたちにどうやってコミュニケーション能力をつけたらよろしいのかというテーマである。 別に起死回生の妙手というのはありませんとお答えする。 そう答えたら、片づかない顔をしていた。 誰でもすぐにできるような妙手があれば苦労はない。 コミュニケーション能力というは平たく言えば「生きる力」ということである。 そのようなものを汎用的教育プログラムとして「はいよ」とご提案することは誰にもできない。 ときどき「これさえやればコミュニケーション能力が一気に身につきます」というような「はいよ」を書いている人がいるが、そういうを書いている人を信用してはならない。 「信用できる人間」かそうでないかをみきわめるのは「生きる力」のもっとも基礎的なもののひとつであり、このようなを手にとってふらふらと買ってしまう人は、その一点においてすでに「生きる力」の伸びしろが少ない

    pengin-stella
    pengin-stella 2009/11/27
     ⇒見)ん~と 「反」or「脱」or「超」"sustainability-consciousness"なるもの で軽く流しておく、ことにする/
  • いつまで続くぬかるみぞ - 内田樹の研究室

    土曜日は指定校推薦入試。 指定校推薦の応募状況は堅調である。 ありがたいことである。 つねづね申し上げている通り、学のような規模の大学の場合には、120万人の高校生のうちの600人くらいが「行きたい」と行ってくれれば、それで教育活動を継続できる。それは志願者を「かき集める」必要がないということである。 必要なのは「旗幟を鮮明にする」ということである。 よその学校でもしていることをうちもしています。よその学校にある教科がうちでも学べます。よその学校で取れる資格がうちでもとれます・・・というようなタイプの「勧誘」をしているうちに、いったい私たちは「何をしたくて」そもそも大学をやっているのかという根のところの動機がわからなくなってしまう。 うちでやっているようなことはうちでしかできません。 という自負が教育機関には絶対に必要である。 そうでなければ、その学校には存在理由がないからである。 「

    pengin-stella
    pengin-stella 2009/11/09
    思うに「大学」なるところは、建学の理念(若しくは「存在理由」)を"DNA"として組み込む”道場”かと。/それゆえ、むしろ卒業してのちその"DNA"を実感すること、年年歳歳/(以上、経験談)/
  • 学校の制度性について、など - 内田樹の研究室

    月曜日。珍しく、ふつうの月曜。 朝、下川先生お稽古。昼の部長会がなくなったので、授業の時間まで家事(カレー作り)と原稿書き。 それからゼミ。杖道の稽古。 帰宅してカレーべて、寝ころんで『鴨川ホルモー』を見る。 最初は「大学実名」でわくわくしたけれど、CGが出てきてから、急速につまらなくなる。 日映画はもうCGを使うのを止めなさい。 なんか「手抜き」という感じ。 山田孝之くんは『クローズzero』での怪演に比べると、ちょっとトーンダウン。栗山千明ちゃんも『キルビル』での怪演に比べると(比べるなよ)。 火曜日。世間はお休みであるが、われわれは教授会研修会。 学生たちの「こころのやまい」の現況と対応策についてのレクチャーとディスカッション。 境界性人格障害と発達障害について、専門家たちから貴重なインフォーメーションをいただく。 ぐったりして帰宅。しようと思ったが、そのあと中之島のリーガロイ

    pengin-stella
    pengin-stella 2009/11/06
    人格発達とその舞台装置、のお話/term「儀礼」:>「学校の虚構性」を構築している制度的装飾>/
  • 講演したり聴いたり - 内田樹の研究室

    まだ風邪が癒えない。 鼻水がじゅるじゅる垂れて、ときどき咳き込むが、それ以外はまあ標準的である。 バジリコから『邪悪なものの鎮め方』の初校ゲラが出る。 タイトルはむかしの企画の流用だが、中身は「コンピレーション」。 ただし今回は「霊」や「呪い」やその解除についての逸話が「狂言廻し」のような役割を果たして、テクストを繋いでいる。 自分でいうのもなんだけれど、たいへんに面白い。 ゲラを読み始めたら止まらなくなって、一気に読んでしまった。 これはやはり編集の妙というべきであろう。 読んでみてわかったのは、私が「同じ話」ばかりしているということである。 自分では気づかないのだが、たしかにブログには同じ話ばかり書いているようである。 注文原稿の場合は、同じ話の使い回しは原則的にはできない。 二重投稿というのは、プライオリティが重んじられる世界では禁忌だからである。 でも、ブログは別にそういう「しば

    pengin-stella
    pengin-stella 2009/10/31
    >脱-トラウマ的な営みの「王道」だからではないのか。というような話をしようとした>
  • 1