『椰子の実(やしのみ)』は、1936年に発表された日本の歌曲。作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二。 歌詞の誕生については、柳田國男が愛知県の伊良湖岬 (いらごみさき)に滞在した際の体験が元になっている(写真:伊良湖岬と恋路ヶ浜)。 1898年(明治31年)夏、東京帝国大学2年だった柳田國男は、伊良湖岬の突端で1カ月滞在していた際、海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた。 「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した。」 柳田國男は、親友だった島崎藤村にその様子を話し伝えた。藤村はこの話にヒントを得て、椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂いを重ね、歌曲『椰子の実』の詩を詠んだという。 歌詞『椰子の実』 名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ 故郷の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき) 旧(もと)
なんだかんだ、2017年も残すところ、あと2カ月になってしまった。僕はやり残したことばかり。皆さんはいかがですか? 今の演劇ファンは松井須磨子をごぞんじだろうか。日本初の近代演劇女優と言われる存在だ。日本の演劇は歌舞伎に始まる。それに対し、川上音二郎の書生芝居、壮士芝居が登場して新派へとつながっていく。一方で、早稲田大学講師でヨーロッパに留学した島村抱月は帰国後、坪内逍遥らと文芸協会を設立し、やがて演劇研究所の1期卒業生らにより帝国劇場で『ハムレット』を上演する。その舞台でオフィーリア役を演じたのが松井須磨子だ。1911年のこと。ちなみに時期を同じくして、やはりヨーロッパ演劇に刺激を受けた小山内薫と二代目市川左団次により翻訳劇を演目に据えた自由劇場も活動を開始する。その二つの動きが新劇運動の先駆的な役割を果たした。新劇というのは現在の文学座、俳優座、民藝、青年座などの劇団を指す(あまり今で
Mikus Катюша/ Katyusha [(Russian folk) cover in Japanese] --------------------------------------------------- アカペラ・混声合唱編曲版「カチューシャ」を初音さんに合唱してもらいました。以前upしたもの(sm14718237)の改版になります。前のものより聞きやすくなっていればと思います。「混声合唱による決定版ロシア民謡集」より。歌詞は日本語訳詞です。ちなみに、4番の歌詞(「まぼろしの歌声...」)は、楽譜どおりではありません。うp主が少し変えました。初音さん増量中。 素敵なトップイラストは、「カチューシャ」をイメージして、前回と同じくピアプロよりお借りしました(銀杏様:http://piapro.jp/t/grbl)。 ----------------------------
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