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新劇に関するpengin-stellaのブックマーク (3)

  • 小山内薫|近代日本人の肖像

    小山内 おさない 薫 かおる 生没年 明治14年7月26日 〜 昭和3年12月25日 (1881年7月26日 〜 1928年12月25日) 出身地 広島県 職業・身分 芸術家 解説 劇作家、演出家、小説家。東京帝国大学を卒業した翌年、明治40(1907)年に第1次『新思潮』を創刊し、劇文壇に新風を吹き込む。42(1909)年に2世市川左団次を迎えて自由劇場を結成、ヨーロッパ近代劇の導入による新劇運動を起こした。その後は渡欧、市村座の幕内顧問、松竹撮影所長を経て、大正13(1924)年土方与志らとともに新劇最初の有形劇場である築地小劇場を設立した。同劇場は新劇の演出、演技、舞台技術の基礎を築き、日演劇に大きな影響を与えた。昭和2(1927)年ロシア革命10周年記念祭に招聘され参加、翌年築地小劇場の上演慰労会の席上、急逝した。 関連資料 直筆原稿 『』 『』 著作 『』 全集 『』

    小山内薫|近代日本人の肖像
  • 日本初の近代演劇女優・松井須磨子100回忌記念「松代町オリジナル年賀はがき」申込み受付け中 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

    なんだかんだ、2017年も残すところ、あと2カ月になってしまった。僕はやり残したことばかり。皆さんはいかがですか? 今の演劇ファンは松井須磨子をごぞんじだろうか。日初の近代演劇女優と言われる存在だ。日の演劇は歌舞伎に始まる。それに対し、川上音二郎の書生芝居、壮士芝居が登場して新派へとつながっていく。一方で、早稲田大学講師でヨーロッパに留学した島村抱月は帰国後、坪内逍遥らと文芸協会を設立し、やがて演劇研究所の1期卒業生らにより帝国劇場で『ハムレット』を上演する。その舞台でオフィーリア役を演じたのが松井須磨子だ。1911年のこと。ちなみに時期を同じくして、やはりヨーロッパ演劇に刺激を受けた小山内薫と二代目市川左団次により翻訳劇を演目に据えた自由劇場も活動を開始する。その二つの動きが新劇運動の先駆的な役割を果たした。新劇というのは現在の文学座、俳優座、民藝、青年座などの劇団を指す(あまり今で

    日本初の近代演劇女優・松井須磨子100回忌記念「松代町オリジナル年賀はがき」申込み受付け中 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
  • 島村抱月と「新しい女性」像-松井須磨子と近代演劇(沈 池娟) │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

    論文においては、日の近代演劇に貢献した島村抱月の演劇活動の再検討を目的とし、その演劇活動における演劇上の女性像を中心とした論を展開した。特に抱月の演劇活動が演劇活動の開始以前から培われていた美学的思想がその根となっている点、抱月が手がけた演劇上の女性像が当時の社会とも関わりを持っている点、その演劇活動と抱月の実生活が関わりを持っている点に注目した。 具体的な作品として、美学的思想を反映し後の演劇活動の発端となる新聞小説「其の女」、格的な演劇活動の開始となる文芸協会の『人形の家』、具体的な演劇観を表明するきっかけとなる芸術座の『復活』の三作品を取り上げた。この三作品を論じることにあたり、イギリスの原作小説をもとにした翻案小説「其の女」、ドイツ版とイギリス版の戯曲を参考にした『人形の家』、フランス版の戯曲と英語版の上演と原作小説を参考にした『復活』において、原作と参考作品との比較•分析

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